4 私学聚星館

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 佐良土西原滝ノ御前に私立学校聚星館があった。木造杉皮葺の屋舎であった。野口藤作が、明治三十六年光丸山の付属建物を借りて私塾を開き、後に前記の土地に移り二十年間子弟の教育に当った。村当局もその功を認め助成の措置を講じた。大正十二年に閉館した。
 明治四十二年三月二十二日招集の村会議案に、一、私立聚星館村費補助に関する件が上提され、これにより補助がなされた。
 「私立聚星館ハ本村ノ高等小学科ヲ授クル唯一ノ学館ニシテ其成績漸次良好ナルヲ以テ相当補助ノ件」について審議され、次のような規程が作られたのは、同四十三年五月九日の村会に於いてである。
   私立学校教育費補助規程
第一条 本村私立学校教育費中村費補助ヲ為スニハ此ノ規程ノ定ムル所ニ依ルベシ

第二条 補助金額ハ毎年村会ニ附議シ之ヲ定ム

第三条 補助金ハ当分左記用途ノ外交付セズ

   一、高等小学科用図書標本器械器具新調費
   二、教場ノ築造修繕費
   三、農工芸ノ施設費
   四、生徒給用薪炭費
第四条 補助金ハ現品購入修築施設ノ実績ヲ認メタル后ニアラズバ交付スルコトヲ得ズ、炭ハ十二月ヨリ翌年二月マデ毎月十俵ヅヽ現品ヲ以テ交付ス

第五条 補助金ヲ以テ購入シタル図書標本器械器具等、及新造施設ノ物件ハ其年ヨリ十年以内ニ於テ廃校又ハ本村以外転住スル時ハ現品ヲ本村ニ返還シ現品ナキ時ハ相当代価ヲ以テ返償スルコトヲ誓約セシムルモノトス

第六条 補助金仕払用途不相当ナリト認ムル時ハ村会ノ決議ヲ以テ補助ヲ停止又ハ廃止ス

第七条 補助費ハ当該学校長ノ出願ヲ調査シ九月、十二月ニ於テ之ヲ交付ス

 明治四十四年九月某日、栃木県の産んだ義民政治家田中正造が佐良土の小林初造を訪ねた折、聚星館に立より一席講演をしたことが彼の日誌に記されている。明治三十四年、足尾銅山鉱毒問題について、明治天皇に直訴した彼は、時の政府にとって要注意人物であったので、警官の監視付の道中であった。
 田中正造は、小林方(かどや)の前を流れる用水の水をすくい口に含んで、長い間、口をすすいでいたという。
 木綿の紋付羽織に袴で、素足にわらじを穿いた服装は極めて粗末なふうさいであった。
 (当時小学校五年生だった小林三子氏の話)