6 戦時下の教育

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 昭和六年の満州事変、昭和十二年の日中戦争の勃発によって、我が国の教育は非常時下の教育としてかり立てられたが、昭和十六年十二月の太平洋戦争開始と共に、戦時下の教育として、もっぱら戦時教育の体制をとらねばならなくなった。すなわち、昭和十六年三月一日小学校令改正として皇国民育成の目標の下に国民学校と改められ、修業年限も初等科六年高等科二年の義務制となった。また特修科を設置することができ、修業年限は一カ年で高等科を修了した者を入学させた。
 太平洋戦争の戦局がはげしくなってきた昭和十八年十月「教育ニ関スル戦時非常措置方策」が閣議決定され、国民学校義務教育八年制の実施は当分の間延期される状況となった。
 青年学校令は昭和十年四月一日に施行され、普通科は二年、本科は男子が五年、女子は三年とし男女青年を教育していたが、昭和十三年一月の閣議で、青年学校を義務制とする方針を決定し、軍隊教育に代行することになり、戦時非常体制の措置を講ぜられた。これが変遷については後に述べることにする。
 太平洋戦争の末期昭和十九年頃より、村内小学校の校舎の一部が軍隊の駐屯する宿舎として使用され、校庭等も兵の訓練の場となった。学校敷地にも防空壕が堀られ、戦時下の緊張した場面を見せられたものである。