幼児教育の推移

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幼稚園の教育も一〇〇年の歴史を見るまでに至ったが、その間の変遷は小学校の開設に重点が置かれ、国公立幼稚園の設立は遅々とした状態であった。特に明治四十年小学校令が改正せられ、義務教育年限の延長に伴い、財政上の理由から公立幼稚園の増加がにぶったのに対し、その間私立幼稚園が著しく発達した。
 明治五年(一八七二)に制定された「学制」の中にも「幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学ニ入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ」と定められている。したがって、幼児教育として最も早いものでも明治八年(一八七五)十二月京都に「幼稚遊戯場」が開設され、翌九年十一月「東京女子師範学校付属幼稚園」が開設されたのが幼稚園施設の発足とみられる。
 幼稚園は学校と区別されて取り扱われ、公私立の別なく文部省の監督内にあるものと定め、次のような変遷があったので、そのあらましをあげてみる。
  明治一二・一一・ 幼稚園の設置廃止認可について布達する
    一五・一二・ 簡易幼稚園設置の奨励を各府県学務課長に通達する

    一七・二・  学齢未満ノ幼児ヲ学校ニ入レ学齢児童ト同一ノ教育ヲ受ケシムルハ其害不尠候条右幼児ハ幼稚園ノ方法ニ因リ云々と文部省通達する

  一八・八・一二  公私立幼稚園等の設置、変更廃止の条項を布告する

  二二・六     幼稚園保有及設備規程の公布
           一、幼稚園は満三歳から保育する
           二、保育時数は一日五時間以内
           三、保母一人の保育数は四〇人以内
           四、幼児数は一〇〇人以内但し一五〇人まで増加できる

大正一五・四・二二  幼稚園令同施行規則を定める(幼稚園令の独立勅令)

昭和一六・一〇・   学校防空緊急対策に関する通牒で「一定期間授業を中止」を指示(自然閉鎖となり昭和二十年四八六園が廃止)

  二二・三・二九  学校教育法公布で新しい幼稚園教育が示された。(学校教育法第七章幼稚園)

  二二・一二・   児童福祉法の制定によって保育所が規定される。
  三一・一二・   幼稚園設置基準を公布する
 右のような変遷過程の中で幼稚園教育の普及と充実は、昭和三十九年頃からで、四十五年には五三・七%と適令者の半数を超えるに至った。