あとがき

989 ~ 990
 昭和五十年十月、村誌編さん懇談会を開催、公民館の一室が村誌編さん室にあてられ、直ちに協力委員会を開催、資料収集等について協力をお願いし、編さんの準備を始めてから満二ケ年になりました。五十一年一月にはコピー機が備え付けられ、その後専用の小型車も配置されました。
 村内の資料(古文書等)収集につきましては、協力委員の方、村内の収蔵家の皆様に大変好意的な御協力を積極的に賜わり、感激いたしました。五十一年度一ケ年は資料集めに忙殺され、(蜂巣と、職員天沼久夫、後に若水滋と交替となる)、五十二年になると、まとめの期に入り、執筆の段階に入りました。
 三月に編さん委員会を開催し、具体的に原稿の分担などをきめました。
 当初専門家に執筆を依頼することを考えたのですが、期間の関係で都合かつかず、編さん室で執筆を考えることになりました。
 五十二年六月からは小林鑑、五十三年一月から生田目藤市の二氏をお願いすることができ、蜂巣と若水と四人となり、これにより仕事は急ピッチに進められ、有難い次第でした。
 村内小中学校の諸先生にも自然・教育・神社部門について、忙しい公務の外に調査執筆のご協力をお願いしましたところ、快よくおうけいただき感謝の外ありませんでした。
 それにしても私達はその道の専門家ではなく、その部門の研究家のご指導、ご助言をいただきたいと、栃木県史編さん室を煩わし、諸先生のご協力ご助言を賜わり、大変有難く存じました。
 村誌編さんに当っては
一、村の歴史的発展過程を明らかにして、村の発展に寄与する。

二、学問的に権威のある内容を維持するとともに、平易な文章で記述し村民の郷土に対する認識を深め、愛郷心の育成に資する。

という二項目を掲げたわけですが、諸先生のお骨折りを賜わりながらも、非才の私達が、果してこの目的に副う成果を挙げ得たかどうか甚だ疑問であります。
 資料のまとめ方、編集上の不馴れ等もあり、不備の点も多いことと存じますが、ご高評、ご指摘等をいただき今後の参考に資したいと念じております。
 最後に自然関係の提橋昇・加藤仁・植竹伸一の諸先生、近世には徳田浩淳先生、民俗の尾島利雄先生、県史編さん室並びに文化課を通じてお世話になった古代関係の諸先生には、お忙しいところをご懇切なご助言、ご指導をいただきました。町村合併の原稿については永町金吾収入役、現在の行政面については各担当課長、職員諸氏から調査資料について特段のご協力をよせられました。
 ここに厚く感謝の意を表し、謹んで御礼を申しあげます。
(村誌編さん室)