4 孤独とともに(1972~1994)

 
歌碑と民子
歌碑と民子
 勤務先が文化会館から図書館へと変わり、1980(昭和55)年には県立久喜図書館の館内奉仕部長にまでなった民子ですが、次第に体調を崩すようになり、58歳の時に退職を決心します。
 その後は、師・木俣修が亡くなった後の「形成」のため、中心となって後輩の指導育成に尽力しました。こうした民子の短歌の業績が認められ、1992(平成4)年には紫綬褒章を受賞しました。
 1993(平成5)年、「形成」が解散となってしまい、民子は後輩達のために持田勝穂(もちだかつほ)と新結社「波濤」を結成、雑誌『波濤』を発行します。ところが、1994(平成6)年1月5日、民子は心不全により大宮の自宅にて永眠することになりました。享年69。
 その後、民子関係の資料が旧大宮市に寄贈されたことを機に、現代短歌新人賞を創設。第2回からさいたま市に継承されて今にいたります。