(1) この「増補略年譜」は、『青みさす雪のあけぼの 大西民子の歌と人生』(平成七年十月 さきたま出版会)の「略年譜」と新しく調べたものを加えたものである。元の「略年譜」も調査してあったので、今回の「増補略年譜」も、ともに調査し、説明、理由を付け加えてある。月日の下の○印は、再掲載した主なるものである。
(2) 出生地は、盛岡市志家第参地割字松尾前五拾弐番地ノ壱(現八幡町)。
(3) 免許状や教諭の任免、小学校と高等女学校の卒業のことはさいたま市立大宮図書館の資料に拠った。
(4) 「新聞」や特殊資料に「何日」と「日」の入っていないものは、不明であったものである。
(5) 「職名」、「異動」については、旧埼玉県立浦和図書館、埼玉県立文書館、『埼玉県教育要覧』で調べた。
(6) 「白い靴」、「秋篠の人」(昭和三十九年)は大宮図書館の雑誌から引用した。
(7) 埼玉県立浦和図書館の経緯については、『埼玉県立浦和図書館50年誌』の「年譜」で調べた。
(8) 埼玉県立久喜図書館については、「埼玉県立久喜図書館のあゆみ」によって調べた。
(9) 埼玉県文化団体連合会については、『埼玉文化―埼文連50年のあゆみ』によって調べた。
(10) 「埼玉文化月報」(埼玉県立文化会館)、「参考事務ニュース」(埼玉県立図書館)、「さくら草文庫」(埼玉県立図書館)については、旧埼玉県立浦和図書館の資料で調べた。
(11) 「法名」(戒名)については、「木俣 修 追悼特集 豪徳寺の桜」(「短歌研究」昭和五十八年六月)の書き出しに、御法名「慈厳院殿歌道良修居士」とあるので、これに倣って、法名「霜月院民誉白雲智光大姉」とした。
(12) 大西 博、菅野佐代子と同じ職場(県立図書館)に勤務した方で、お聞きしたのは細谷重麿氏である。
(13) 『大西民子全歌集』(昭和五十六年十二月 沖積舎)の「年譜」を参考にした。「古典及び明治文学史を岩城準太郎教授に」と「古典」が入っている。(五五二頁)
(原山喜亥編)