昭和二九年一月 周辺(一二首/一〇首まぼろしの椅子)
出世を望まば道もあらむと縁者らに思はれゐる事も知れり二人は
耳ふさぎたき衝動に堪へて坐りゐつ人の言葉みな偽善めく夕べ
昭和二九年二月 母(一三首/一〇首まぼろしの椅子
小金溜むるたれかれの噂などしつつ母は老いゆく安らひもなく
いつまでも母を安んぜしめ得ぬわれか夫の酒量を今日も問はるる
盗癖もつ少年に手を焼く友に対へばとりとめもなしわが不幸感
昭和二九年三月 暗き季節(八首/まぼろしの椅子)
昭和二九年四月 波紋(一一首/まぼろしの椅子)
昭和二九年五月 危き未来(一〇首/七首まぼろしの椅子)
一人の姉を苦しむる彼を憎むとぞはげしく言ひて泣ける妹
今朝はやや張りを戻せしわがこころ鏡を拭きて身支度をなす
少女一人休めば家事の延長の如き仕事に一日追はるる
昭和二九年六月 流離(九首/八首まぼろしの椅子)
貪婪に素材を漁る画家の目ぞモデルになれと乞はれて母は戸惑ふ
昭和二九年七月 風塵(一一首/まぼろしの椅子)
昭和二九年八月 余波(一〇首/八首まぼろしの椅子)
代り得る人無しと言はれ慰むや又一年編集を続けねばならぬ
障壁もつ事も編集の責を担ふ証左ぞと自らに諭す日があり
昭和二九年九月 砂礫(九首/まぼろしの椅子)
昭和二九年一〇月 去来(九首/まぼろしの椅子)
昭和二九年一一月 教職(八首/六首まぼろしの椅子)
底深く教員たりし日を恋ふわれか酔へる君等のかたはらに坐す
一人一人の少女にわが夢を鏤めつつ港町の女学校に勤めし五年
昭和二九年一二月 村落(一二首/一〇首まぼろしの椅子)
開会を促す声係が伝へ来ればこころ重く講師の案内に立ちぬ
新歴史観説き進む論調の高まりに惹きこまれつつ速記続くる