昭和三七年一月 冬の日溜まり(七首)
日溜りに舞ひ来む語彙もある如し犬の敷き藁替へてやりつつ
再会を促す電話若やげる声に答へてたちまち脆し
少年の面輪を描きゐし瞬時二人子のあることも告げらる
探し当てし喜びを隠さぬ電話の声十年の紆余伏せゐるわれに
甘えゐし心吹っ飛び読む手紙まざまざとわれは憎まれてゐる
人伝てに知りし憎悪を受けとめて灼然と今直る心よ
犬を解き文鳥を放ち死にたりと老女の臨終聴けばほださる
昭和三七年二月 冬の傷あと(六首/四首無数の耳)
鉄塔の根もとを蔽ふ草枯れて工区へ渡る橋現はれぬ
まどかなる埴輪の顔を棚に置きとげとげと過ごしゐる身を嗤ふ
昭和三七年三月 冬雲(六首/一首無数の耳)
うらぶれの旅にあらねど夕づきて春のみぞれは肩を濡らしつ
夜の旅のつれづれにクインを追ひつめて喜びに遠しチエスの遊びも
溝跡も炉あとも枯れ生に埋もれゐて冬雲を映す水が溜れり
顔のなき土偶洗へばあらはにて女性を示すふくらみを持つ
指貫の金具つめたき夜ををりぬめもり薄れし巻尺を垂れて
昭和三七年四月 街上抄(六首/三首無数の耳)
出航の時に遅れて来し波止場紙のコップが吹かれてまろぶ
浅春の光なづさふ三保の海古き説話を恋ひて歩めば
クーデター成りゆく国を恋ふ語韻安住し得ぬ若さか持ちて
昭和三七年五月 春を呼ぶ(八首/五首無数の耳)
黒板の地図拭き消して別れしが夜道は煙霧の匂ひしてゐる
丘の裾を削りて道となす作業餅草青む野の果てに見ゆ
春分を待ちて蒔かむと出しおきし花の種子夜々の夢にふくらむ
昭和三七年六月 瑣事(七首/五首無数の耳)
掃きおろす石階の下殺戮の跡とも椿の花散り溜まる
迫りゐる別れの時を惜しみつつイースターの赤き卵剥きあふ
昭和三七年七月 移る日々(八首/五首無数の耳)
干し置きし黄の傘が風にまろぶさま覆へるまで見てゐて淡し
旅の夜のかなしみに似て寄りゆけばプロンドの髪を人形は持つ
釘づけにされゐるごとき幾日あり芝生に浮きて白き飛び石
昭和三七年八月 遅日(七首/四首無数の耳)
街灯が落とす楕円の影それてうつぎの花の散りしける白
コンパスを開きて測る限界に抛物線の指す未来あり
ころげ来しボール塀ごしに投げ返しまたよりどなき夕べの心
昭和三七年九月 返景(七首/五首無数の耳)
輪郭のうるむ月かげのかかりゐて点さぬ窓の多きアパート
人造の岩を据ゑたる檻のなか置きもののやうに熊が眠れり
昭和三七年一〇月 路上抄(七首/二首無数の耳)
横向きになれるこけしの視線など追ひつつたどきなく病む日あり
湖心にてオール失ふ夢を見し昨夜より青き今朝のみづうみ
硫酸の空甕を積む一区劃今朝は真赤な傘干されゐる
付箋して戻りし書類確実に読まれし証として受けとめむ
朱肉いろのサボテンの花忘れゐし痛みの如く夜の部屋に咲く
昭和三七年一一月 夕かげ(六首/一首無数の耳)
ふるさとの海猫の島を思ふまで暗き渚に鳥の声する
われを呼ぶ言葉のごとく漁り火は闇のかなたにしげく瞬く
身と心呼応しゆかぬ焦ちをさながらにフーガ弾きなづみゐつ
包みきれぬ心の如く道傍のパイプの継ぎ目より湯気洩れてゐる
花の種子蒔きし日付もメモし置く厨の壁の小黒板に
昭和三七年一二月 枯れ生(六首/二首無数の耳)
休日の朝思へばわが働くはひつきりなしに電話鳴る部屋
一年分の薪買ひこむ習はしも古りつつ枯れ生にリヤカーを押す
野の道をよぎりゆくバス自らのあげし砂塵を置きざりにして
尊大を憎しむ心もてあまし一日ありたり帳簿閉ぢて立つ