[昭和三九年]

昭和三九年四月 (七首/六首無数の耳)(これ以降昭和四七年二月まで無題)
 年齢の差だけ後れてかなしまむ妹か白のコートなど着て
 
昭和三九年五月 (六首/三首無数の耳)
 日を選び新しき服着て出づる人に知られぬ祈りにも似て
 ひとしきり逸る焔の音聴けば暖炉などにも脅かさるる
 ガーゼもて仔犬の耳孔拭ひやる風邪癒え難き日のたゆたひに
 
昭和三九年六月(六首/五首無数の耳)
 蜂蜜の凍てもいつしかゆるみゐて朝のパン食む日あたる縁に
 
昭和三九年七月(六首/一首無数の耳)
 気になりてゐし事務服の釦などつけかへて日直の昼も闌けゆく
 カレー粉の匂ひをつねに纏らせ事務室に来る炊婦も老いぬ
 観音に似せてマリアを刻みつつ何祈りけむいにしへびとら
 濃密に層なす闇と思ふとき植ゑ並められし若木が匂ふ
 篠原のかなたに家の建ち始め夜々みどり児の泣く声がする
 
昭和三九年八月(七首/五首無数の耳)
 糸切れて畳にこぼれて珊瑚珠を拾ひつつ心華やぐとなき
 過信して今しばらくは生き得むか花の模様の服地選りつつ
 
昭和三九年九月(六首/二首無数の耳)
 花闌けしニツコウキスゲの群落を過ぎて烈しき夕立に会ふ
 湖のほとりの野菊濡らす雨耳覆はれて荷馬過ぎゆく
 前の世の沼のごとしと見てゐたり曇り映して澱める水を
 伴はれ旅ゆくこともなかりしと別れし夫を思ひつつ寝る
 
昭和三九年一〇月(六首/四首無数の耳)
 遠き世の殺戮のあとの野と言へり石鏃拾へば刃のこぼれゐる
 いつの世に沈められたる鐘ならむ沼のほとりの夜々に聞ゆる
 
昭和三九年一一月(六首/二首無数の耳)
 暗闇の地平に野火を這はせゐてわれを脱け出でし如き人影
 あたためしナイフもてパイ切らむとし酸ゆき果実の香が蘇る
 笹原の起伏の奥に蛇を祀る祠ありて細き道が続けり
 重油かけて共に燃やさむ年々にわれの窪みに溜まる落ち葉も 
 
昭和三九年一二月(六首/三首無数の耳)
 ひとしきり湖に輝き消えしとふ亡き子のホルン沈めしと言ふ
 地境に柵をめぐらす計画の進みつつ日々に草生色づく
 スノーボードに運ばれゆきし死者の後冴々と画面に映る雪山