[昭和四二年]

昭和四二年一月(六首/三首花溢れゐき)
 金属の冷たい把手に触れて来て奈落のごとき夜を迎へたり
 市果ててガラスの翼張りゐたる小さき天使も運び去られぬ
 凭れゐる擬木の柱つめたきにのがるるごとく水は流れゆく
 
昭和四二年二月(七首/四首花溢れゐき)
 鍵穴のごときが不意に闇に見え疲れて帰る夜が続くなり
 葛の葉の襤褸まとひて立つ木あり魚臭をはこぶ霧ながれつつ
 伏せておく白埴の壺返り咲くくさぐさの花を挿すこともなし
 
昭和四二年三月(七首/四首花溢れゐき)
 みどり児を抱ける写真送り来ぬリルケを好む教へ子なりき
 椅子のまま沈みてゆける幻覚に水底のごとき風が流るる
 塩はゆき木の実はみつつ一人ゐて継ぎめだらけの心と思ふ
 
昭和四二年四月(六首/四首花溢れゐき)
 ふくらなる耳殻を持てる幼な子の積み木の城を築きて倦まず
 霊代を海中に燃すふるさとの習ひに似つつゆらぐ漁り火
 
昭和四二年九月(七首/一首花溢れゐき)
 鎮台の跡の草むら敷石を走る亀裂を見しのみに行く
 芦の穂の乱れてそよぐまぶしさに帰らぬ人のことをまた言ふ
 地を埋めて芥子の花湧く幻覚に朱肉の壺を閉ぢて立ちゆく
 時の間の暗黒さへも許されず噴水の色は忽ち変る
 泥亀のかさなりあへる橋の下腐蝕されゆく思ひに覗く
 荒れやすき会話の中に次々に入り来るつぶてのごとき羽虫ら