[昭和四三年]

昭和四三年三月(七首/四首花溢れゐき)
 他意のなき言葉ならむと思ひ返す午後の薬を飲み忘れゐて
 空間に垂れてしづまる虫のあり触るることなく今は過ぎゆく
 風やめばしづまり返るほかはなき枯れ葦となり夕映えのなか
 
昭和四三年四月(七首/三首花溢れゐき)
 ガラス戸を持ちあげて暫くかかる鍵眠らむとしてしばらく寂し
 雪の夜につどへる一人声低くシベリアにある墓のことを言ふ
 マッチの棒を頁に挟み立ちてゆく会はずにすまむ仕事にあらず
 いつまでも待たむと決めて出されたる林檎噛みつつ何処か寒し
 
昭和四三年五月(六首/三首花溢れゐき)
 おもむろに手袋はめて出でゆける若者の吹く口笛聞こゆ
 足首を吹く風寒く月かげを返して光る残雪のあり
 びつしりと地を埋めゐし苔のいろ息苦しさに醒めつつ思ふ 
 
昭和四三年一〇月(七首花溢れゐき)
 
昭和四三年一一月(七首/四首花溢れゐき)
 てのひらにまろばしてあそぶ二つ三つ巻貝は軽き音に触れ合ふ
 髪の毛に何かまつはるごとき日を根つめて縫ふ厚きスカート
 相会はぬ年月に何をゑがきけむ深藍いろの切符が届く
 
昭和四三年一二月(六首/一首花溢れゐき)
 たれの住む家とも知れず石垣の土のほつれを今朝も見て過ぐ
 どくだみの返り花咲き雨のなかに小さき十字花冠をささぐ
 死に絶えしけものの棲める跡といふしろじろと蕎麦の花咲ける丘
 食べものの嗜好もいつか移りゐてコーンスープを久しく買はず
 届きたるカラー写真にくちびるの黒く染まれるわれの顔見つ