[昭和四五年]

昭和四五年一月(七首/一首花溢れゐき)
 遠く来て何をもたらす鳩ならむ路地の日ざしにながくついばむ
 癒えにくき病ひ庇ふといつよりか無頼よそほふことも身につく
 スカートの裾直しをりいきいきと物言ふ日などわれに還えるや
 鶏を飼ひはじめたる家あるを言ひ出でて何を寂しむ汝か
 欺けるもの皆滅びよといふごとく烈しき雨のひとしきり降る
 片附けるといふ感じにて書き終へし稿を綴ぢつつ俄かに脆し
 
昭和四五年三月(七首/五首花溢れゐき)
 振り切れて帰らむとする夢のつね雪のはげしく橋灯に降る
 醒めをれば厨に何をきざむ音はげしくなりてやがてゆるびつ
 
昭和四五年四月(七首/三首花溢れゐき)
 練乳をしたたらせゐて立つ湯気にまなじりうるみやすき日のくれ
 去りゆきしをとめの一人の作りたる縫ひぐるみ今もわが棚に置く
 消息を断ちて久しき人のためライン河の地図壁に貼り置く
 失へる皮のブローチも出でて来て春のコートにアイロンを当つ
 
昭和四五年六月(六首/四首花溢れゐき)
 通勤のバスの七分地獄とも極楽とも思ひ朝々揺られゐる
 散りがたの椿となりぬ楊貴妃とひとり名づけて見上ぐる日々に
 
昭和四五年一〇月(七首/三首花溢れゐき)
 獅子舞の人ら去りゆき獅子が歯を噛みて鳴らしし音残りたり
 吊り橋の形さながら描かれゐる古地図にたどり信濃路を恋ふ
 途中より切り離されて別れゆく短かき汽車は秩父に向ふ
 開校の記念日近く鼓笛隊をはげます声の朝より聞ゆ
 
昭和四五年一一月(六首/二首花溢れゐき・一首雲の地図)
 幾日経てよぢれし葉書戻り来ぬ行きしことなき那覇の町より
 なづさひて苦しきときに候鳥の渡る夜空をテレビは見しむ
 正面に見る日のなくて通ひつつ背高き石の像とのみ知る