[昭和四六年]

昭和四六年一月(七首/四首花溢れゐき・二首雲の地図)
 わが真上めぐる鳩あり仰ぎつつ風に乱れし髪をととのふ
 
昭和四六年二月(七首/四首花溢れゐき)
 計数の誤りは消して直せば済む余計なことは言はずにおかむ
 地に落ちし弾みにまろぶ樫の実の行方の一つだに見極めがたし
 まざまざと義務の苦しさ句読点の全くあらぬ文を読みつつ
 
昭和四六年三月(六首/一首花溢れゐき)
 温室の蘭見に来よといふ賀状幾たびとなく思ひてやさし
 まろび出づる言葉の如し戸をあけて破魔矢の鈴の鳴る折々に
 おもかげの遠くなりつつ鹿児島は火山灰降るといふ松の内より
 使ひたる人みな在らず重いだけの手斧ふたたびくるみて蔵ふ
 蜘蛛の巣にかからず落ちし樟の葉の地上の風にしばらくまろぶ
 
昭和四六年四月(六首/三首雲の地図)
 サンプルに置きゆける事務室のシクラメン蕾抬げて次々に咲く
 眼先のくらみたるとき蛍光管裂けたる音すとなりの部屋に
 雪道に足を取らるる夢も見て訪ふ日はあらず遠きふるさと
 
昭和四六年五月(七首/四首雲の地図)
 閉館のチャイムが鳴りて少女らは歌ふごとくに挨拶しゆく
 街灯のまばらにともる路地を来て鳩時計鳴るはいづこの家か
 著莪の根に圧されて花の咲かざりしベコニアの芽の土抬げゐる
 
昭和四六年六月(六首/一首花溢れゐき・三首雲の地図)
 紫の花咲く藻草売る少年日に幾たびも水を貰ひゆく
 喪にこもる人を訪はむと選びつついづれの花のかたちも険し
 
昭和四六年七月(六首/一首雲の地図)
 恙なく皆在りがたき季節かと知りびとの訃のつづけば思ふ
 忘れ易くなりしあはれを人は言ひ遅れし本を返しゆきたり
 いつまでも寒き春よと歩みゐて白のあやめの直盛りに遭ふ
 水死者をとむらふ菊の黄も白もたちまち潮に巻きこまれゆく
 熱風(シロツコ)の季節怖るる文面にそぐはず青し絵はがきの海
 
昭和四六年八月(六首/三首雲の地図/一首埼玉新聞)
 おもかげにかならず逢ふと百地蔵めぐりゆきつつ次第に脆し
 相合はばまたかなしみは噴くものを亡き人の名を唱へてやまず
 
昭和四六年九月(六首/三首雲の地図)
 刈り伏せて十日余りか下草の羊歯はこまかき葉をもたげ来ぬ
 水いろの綿菓子を持つ児らのゐて一人は片手にぶらんこをこぐ
 鳴る鐘はいづこの空か新しき剃刀をもて眉根ととのふ
 
昭和四六年一〇月(六首/二首雲の地図)
 キヤンプの時の赤き蝋燭ともしつつ停電の夜のめぐり華やぐ
 何の木と分きがたきまで暗くなり声をおとして人ら語らふ
 見覚えのある顔一つ夜汽車より降り来ぬスキーの身支度のまま
 雪山を見て茫然とゐる写真背後よりとりて人のもたらす
 
昭和四六年一一月(六首/二首雲の地図)
 自動車の過ぎてしばらくそよぎあふ道べの草ももみぢしてゐる
 明日は休みと思ふ家路に渡されしビラもたたみて鞄にしまふ
 トラックの尾灯と知れど幾つにも殖えつつ揺るる夜霧の奥に
 ガス灯の形やさしきガラス壺葡萄いろの飴もてこよひは満たす