平成二年一月 (無題)(五首)
病み長きわれといつしか知られゐて今年の月下美人に会はず
忘れかねし思ひのごとく道草に白のたんぽぽ返り咲きたり
見覚えのある服ながら濃き色のサングラスしてたれとも分かず
ドラセナが幸福の木と知る迄にビバークなどはせずて生き来ぬ
甲斐のなき砂時計よと横たへて長くなりたり夜更けの電話
平成二年二月 (無題)(五首)
道のべの無人の店は丈低くたばねて黄色の菊も売りゐる
花豆と呼ぶ大粒を炊きをれば母在りし日に近づく如し
渡来して百五十年とぞ鮮やかにポインセチアは苞をひらきぬ
スティックに人参を切りセロリを切り十センチ程に揃へて遊ぶ
白粥を煮つつ思へば若くして家事を負担としたる日ありき
平成二年三月 (無題)(五首)
追はるるを喜びならむ喚声をあげてわらべはどこまでも逃ぐ
障害者の体育祭のにぎはひにバンドネオンを若者は弾く
掛けてゐし人は世になくゆつたりとやや傾きて絵のなかの椅子
ギャザー深き服を蹴りつつ年齢を詐りて舞ふこともさだめよ
キッチンの灯を又点けて又消して何か合図のやうなことをす
平成二年四月 (無題)(五首)
脚赤きゆりかもめ一羽水ぎはをしばし歩みて飛び立ちゆけり
黒鳥のもどり来たりて着水の瞬のしぶきを低く揚げたり
ぼろぼろに砂岩崩れて四五段か干潟へくだる石の階あり
これだけの仕掛けに命落とすやと梁にのたうつ鮎を見てゐし
昔見し木立の如くいつとなく人の来てゐて落ち葉を燃せり
平成二年五月 (無題)(五首)
うす味に仕立てし夕餉ひとりして伊予柑むけば匂ひのしるし
ぼんぼりに照らされし貌しろじろと雛たちはみな正面を向く
父母の娘として稀に家にゐてえび茶の色の足袋をはきにき
雪国に生れにしものを身丈より高きスキーをはくこともなし
割れものの器にあれば尊びて包みて蔵ふ七草のあと
平成二年六月 (無題)(五首)
うつむきて歩みてあれば舗装路の栗の落ち葉はいづこより降る
夜の更けにスキーのバスは発ちゆけり二人を街灯の下に残して
わが留守に来にし人あり淡雪にチャイムの下まで残る足あと
伴天連とよばれて隠れゐしころも洞をうづめて雪は降りけむ
子を連れて戻るを待つと言ひゐしがその女童か手を引きゆけり
平成二年七月 (無題)(五首)
あがりたる雨と思へど灯を消して誰も訪ひこぬ玄関とせり
丈低きたんぽぽがわが踏み石をかこみて咲けりいつの日よりか
木槿の花を描きしことありB6の鉛筆を母に買ひてもらひて
うち沈みひと日ありしが届きたる知らぬ雑誌にわれの名が載る
クルーザーの事故にし思ふ海を越え遣されたる新羅使ありき
平成二年八月 (無題)(五首)
顔ほどの紫陽花咲けど仮の世のいつまでならむ草の香のして
カーテンのレースに透けてコーヒーを運ぶ役目は少女にふさふ
養蚕をやめたる村のをちこちに桑の若葉がそよぎゐるとぞ
芯立てて咲けるどくだみさはらねば匂はぬ花ら窪地占めゐる
病院の日のみ印して八月の暦の絵には白馬がそよぐ
平成二年九月 (無題)(五首)
日記にも書かざりしかど人知れず時間をかけて決めしことあり
黒潮の迂回して今年は獲れぬとぞ春のわかめを贈りたまひぬ
しろじろと立ちたる波は足もとに土いろの水となりて寄せくる
いくたびも見たる島ありひとたびも行かぬ岬もありて年経ぬ
ジャイアンツの負けたるあとは農業の未来を語る番組を見つ
平成二年一〇月 (無題)(五首)
わが背にもまだらあらずや鷹揚に向きを変へたりまだらの鯉は
月に一度通ひてつひに花に逢ふ内堀通りのアカシアの並木
明治四十一年一月雪の日に釧路に着きし啄木思ふ
汗あえて草抜き呉るる人のをり不幸せなどと言ひてはならじ
古への戦ならねば篝火はレストランの庭に輝きて燃ゆ
平成二年一一月 (無題)(五首)
コバルトの照射を受けに行くといふ今朝はレースの肩掛けをして
ガレージが建てられてゐて道々の著莪の花など見られずなりぬ
硝子ごしに見えゐてうごく赤き色金魚とわかるまでにまのあり
桜の葉かそか匂ひて思ひたる色よりも濃き餅のくれなゐ
食パンの切り口のかたちも懐かしく新しきパンの店が建ちたり
平成二年一二月 (無題)(五首)
自転車の速度に台風はありといふわが軒を打つさきぶれの雨
やはらかくふくらみてゆく雲が見ゆ足慣らしに来し堤のかなた
こぶ白鳥一羽声無く浮きゐたり曼珠沙華見むと濠をめぐれば
水面を見つつし行けば夕まけて川の流れの速くなりゐる
われの持つ磁石の狂ふ日ならむか見知らぬ人のみわが前に立つ