昭和二二年一月 高文前後六首 菅野民子名
ゆれやすき水をたゝえてわが湖は君の吐息にかげりそめつゝ
遠山の果てを見つめて何思ふひとの言葉とてはかなきものを
坦々と流るゝ日々をせきとめてきざはし一つ吾に上らしめ
身一つをさいなむことのはかなさに願ひ斷たんと幾度かせし
をんな一人まじりて何の寂寞ぞ試驗場はたゞ時移るまゝに
身一つも定めがてなる吾をたゞ生き甲斐と母は頼りたまへる
昭和二二年三月約成らむとして一〇首 菅野民子名
摘まれてはいよいよ香る花ならむ君に摘まるゝ吾はうれしゑ
匂ひ淡き花も摘まるゝさだめとふわが宿命こそ哀しきろかも
ま近くは共に住むべき契りなれ君を見ぬ日はさびしかりけり
視線の合へばはかなくそらすこと幾たびかせし今日の日中に
溷濁の現し世なれどわが戀はひとつこゝろにとほれるものを
激流におしながされてとめどなき木の葉か君に憑かれし吾は
激情はむしろさびしき靜寂とつのる思ひは斷ちてねむるべし
ぎりぎりに堪へてぞ睡るこの願遂げ得ざりせば死ぬべし吾は
人界の果ての寂しさに吾は沈めど陰影はやがて流れゆくべし
かくて又明日はありとふ確信はせめて今宵のねむりいざなふ
昭和二二年四・五月 (無題)九首 菅野民子名
暇なく生くるといふも無爲に近し萬作の花は咲く日となりぬ
夕空を微雲ひそかに移るらしわが文机のかげるけはひよ
まとまらぬ歌ども幾つ書きながし何はかなむや春の灯のもと
哀歓に照り陰りてはをみな子の歌を書きつゝかくて何時まで
春の灯を一つともして息づけばをんな一人やものがたりめく
夜の相はやさしきものぞ道の果の小森はまろく靜もりてゐる
温室咲きの菜の花光る花店や春戀ふおもひにときめき入りつ
きさらぎの陰翳柔らかき窓のへに菜の花活けて安らはむとす
春を待つこゝろかなしもうたゝねの夢もほのぼの花吹雪して