昭和二三年五・六月 朝ごころ夕ごころ八首
燃えたたぬ日ごろの心ほぐれんか夕陽の街に夫と出でたり
歸りみちの束のまを燃えし夕燒けは君の横顔を美しくしき
日の疲れしるき宵居は灯を寄せて夫とすすらむ暖かき茶を
朝燒けの空に匂える合歡の花や癒えがたき夫の病ひなるかも
をちこちに夕かしぎするさゞめきの黄昏はたのし夫も癒えつつ
我執遂げて人はばからぬ不逞さを待たねばならぬ生くべく吾も
決然と人の思惑は顧みずもの言えるさがを持つべし吾も
我執持ちて生存をきそふ現し世を正視し得るまでをとなさびゐる
昭和二三年八・九月 山峡の家一一首
門の邊の大樹の合歡に花咲きてこのごろ道に降る日もありぬ
物乏しく貧しさに時に諍へど相ひ寄り生きて二とせ近し
山峡ひの泉を引きし裏背戸のかけひの水を汲みて我が生く
小夜更けて芯にひゞきくる谷川の音にぞ吾ら相ひ寄られつつ
風の野に微動だもせず吹かれゐる巌うらやむ別れ來につつ
小さきいがのあまたつきそめし山栗の大樹仰ぎて何頼みゐる
うす霧の夜の天体の靜けさも今宵乱るる思惟に甲斐なく
ものなべて懐疑に曇るこの頃を病ひと言ひて幾日こやりし
いつの日に晴るゝ懐疑ぞなす事もなくて今年の春を逝かしむ
痛みやすき花一つ持つ草か吾よふるへて夜の野に吹かれゐる
吾の生命を愛しむものとて究極はあめつちに吾の外はなきものを