『埼玉文学』

昭和二五年八月一〇日 あけくれ一四首(一首オレンジ)
 勧告を潔く受けて辞めしとふ友の語気のふと淋しきはなぜ
 夕刊を買ふ列よぎり駅に入る今日もつひに彼に語り得ざりし
 粗食して月末をつなぐ家計ゆえ「ゴンクールの日記」買ひかねて來つ
 独身論ふりかざしゐし友もいつかみどり兒の歌を載せゐてやさし
 燒きてしまひき「マルテの手記」を漸くに買ひ來て今宵先づ夫が読む
 本買えば負債となりて殘りゆく当るあてなきくじも買ひつつ
 たんねんに背広の襟をつくろひ終へて立ちたる夜半を少しめまひす
 愚痴めきて來し話題そらし脚本募集の記事ある夕刊を君に示しつ
 食べてねるだけの人生も肯定すと書きあぐみ君は言ひて寝に立つ
 無名にて描き続け來し友も遂に個展開くと今朝來したより
 今日はひどく使ひすぎたる家計簿を記し終へて立つ既に暗き厨に
 菩提寺の長男が縊死せる噂憶測まじへて人ら語らふ
 涙ぐみてしまひし吾に別れぎはとりなす言葉君はかけにき
 脱党せし人と知るゆゑ彼來れば筆耕をおきてわれも寄り聞く