『林鐘』

昭和三二年五・六月 季春一〇首(二首/不文の掟・一首/埼玉新聞) ガリ版
 唆さるればたやすく動く君を知り才あることは寂しと思ふ
 何時来ても水無き川よ草深き橋をふたたび渡りて帰る
 保姆となりて豫後を働くといふ便り茶目な生徒なりしかば身に沁む
 幾日か咲き保ちたる紅椿あきらめし如く落ちはじめたり
 夕立の晴れてひとしきり明るめりそのまま昏れむ今日と思ひし
 ユトリロの街歩み来しごとくして霧にしめれるシヨールをたたむ
 手をのべてたたしめくれき夢なればそのままいだきよせられゐたり
 
昭和三二年一〇月 をりをりの歌一〇首 ガリ版
 さとられずにすましたき齟齬思ひゐて柿の花がら踏みつつ帰る
 雨あとの靄はれゆけば対岸に廃墟のごとき街浮び出づ
 徒労と知りつつ待ちし年月よ熱きタオルに襟あし拭ふ
 濡れて届かむわれの手紙と思ひつつまどろめば遠ざかる夜の雨
 古文書を読みつなぎつつほうけゆく雨に散りゐむ百日紅も
 同じ弧を描き続くるネオン見え思はぬことも言ふかも知れぬ
 大聲にてわめき散らせしあとのごと何に寂しむ今朝のこころよ
 秋草を手向けて遠く過ぎ来しが野の石佛も霧に濡れゐむ
 「アラスカのやうに淋し」といふ詩句を眠らむとして今宵も思ふ
 ありありと後れゆく身を寂しめば木菟も夜すがら啼きとほしたり
 
昭和三三年四・五月 春信七首(三首/不文の掟)
 遠景をとざして萌ゆる雑木原夜となれば街の灯かげを透かす
 何つなぎおきたきこころ返されぬ詩集のことに觸れず別れつ
 乗り出してもの言ふこともなき日々とゆであげし三葉切り揃へゆく
 灯を寄せて春着の袖の丸み縫ふかくひそやかに背離のこころ