昭和三〇年四月 まなうらの像二〇首/まぼろしの椅子
昭和三一年七月 背後のこゑ二〇首(一七首/不文の掟)
楤もまだ芽吹かぬ道を幾曲りわれをいづこに連れ去るやバスは
そむかれしわれよりも苦しみ深からむ夫とひそかに思ひ暮しつ
いつ死ぬか知れねば日記も書けずと言ふ君の枕べに花活けて去る
昭和三三年一月 夕占一五首/不文の掟
昭和三四年四月 占象一五首/不文の掟
昭和三五年一一月 無証の夜一二首(一〇首/無数の耳)
曼珠沙華薙ぎつつ稲架(はさ)を組めるさま踏まれて花の緋の色なだる
坪刈りのあと方形にくぼみゐていちはやく夕の霧を溜めゆく
昭和三五年一二月 一〇首/不文の掟
昭和三六年一二月 五首/無数の耳
昭和三七年一月 冬心二〇首(一五首/無数の耳)
月蝕の夜より続きて果て知れぬ間に微塵の毒ら流らふ
いれ違ひに入りゆきたる横顔に奪はれやすく帰路を歩めり
塩水にひたせし釘を箱に打てり見るべきならぬ何をか填めて
圏外にゐたしと告げて帰せしが日暮れてとざすアコーディオンドア
癇性のけものおしこめて眠らむに藁燃えあがるごとき風音
昭和三七年八月 無数の耳三〇首(二〇首/無数の耳)
抽象に流るるわれを堰くごとく鉢傾けて灰汁こぼしゐる
地下深き震源を伝ふる夜半の声枕にオーデコロンが匂ふ
圧点を知られしごとき危ふさに油絵のなかのわれと向き合ふ
切り口より垂るる血のごと脈打ちてタール吐きゐる土管ありたり
野の隅に積まれ久しきドラム罐土橋を渡るをりふしに見ゆ
自転車を土手に寝かせて人憩ふ萱草(かんぞう)の花もやがて開かむ
山々の雌雄をつなぐ物語旅の一夜のつれづれに恋ふ
麦の穂のかすかに白き花まとふ野を傾けて過ぎゆく疾風
円心に沈みゆく身を幻覚に光る波紋のひろがりやまず
円筒の太き脚もて立つ埴輪われは踵を返すほかなく
昭和三八年五月 沼の遠景三〇首(二一首/無数の耳)
竜巻に吊りあげらるる曠原に騎馬の一人を置きたしわれは
ふくだみし靴下のばしつつはきて勤めもつ身がつくづく悔し
とめがねのとれしブローチ捨て得ねば引出しをあくるたびに煌く
校正の負ひめのごとくわがゆくて活字の渦をネオンが点す
はがき一枚書くにさへ辞書を引くわれを若き友らが或る日言ひ出づ
獣骨の剣は刃欠けてゐていかなる惨を古代に遂げし
何の手か仮死のわが身を沈め去り白々と水に輪がゑがかれき
いつまでも枯れ色残る笹原を分けつつ捜す贄など無きや
水枯れし沼のほとりの夕かげにてのひらほどの下駄こぼれゐる
昭和三九年五月 季冬日々三〇首(二八首/無数の耳)
十年の経緯は知らね床脇に大き木彫りの熊置かれゐつ
残雪に裾まみれつつ坂のぼりわれを尋(と)めゆく司祭ならずや