『現代短歌』

昭和四四年一一月一五日 カリフの言葉二〇首(花溢れゐき一四首)
 灰いろの野鳩のむれにまぎれつつおどおどとゐし夢もさみしも
 さまざまの靴の角度に人の立ちいつせいに走り出すときを待つ
 忘れたきこころも知らずべにばなの新しき種子届けくれたり
 一房のバナナがなせる影深し畏れつつ待つカリフの言葉
 うらなひは身をせばむるや青きまま熟れし葡萄を寂しみて食む
 大き葉のチシヤを供へて依らむ日にエヂプトの神の名を覚えゐず
 
昭和四九年七月一〇日 たれも還らぬ二〇首(雲の地図一〇首)
 知ることと思ふこととのへだたりを漂ふごとく日々の過ぎゆく
 タオル幾枚洗ひたるのみかなしみにこころ満つるといふ日のありて
 高原のいづこより来て羽虫のむくろのやうな白樺の種
 のがれやうもなく出先より戻り来て濡れしコートを踊り場に吊る
 太陽を入れたる雲のかがよひも忽ちにしてうすづきはじむ
 おぞましき夜に入らむとしむら雲の湧き立つごとし篠懸の木は
 女の名を呼ぶアナウンス急行を降りたる人のたれが聞きゐむ
 みづからを癒やすに限りあることも人の気配もひびくこの身に
 花びらのやうな瞼を持ちてゐしマリアと思ひそのまま眠る
 脱け殻に中身を塡めて這ひ出づる夢覚めてまたわれは脱け殻
 
昭和五三年一月一〇日 何も見ざりし一〇首(野分の章)