『雁』

昭和四九年三月 石か動く(十五首/雲の地図)
 
昭和六二年七月 冬唱十六首
 こだまさへ還ることなきはろけさに古墳といへど枯れ草の丘
 岩鼻を獅子に見立てて獅子岩と呼ぶ伝承に守られて来し
 鳴き声を散らして飛ぶは何の鳥鴉は太き声に物言ふ
 竹林の秀をひきしぼりひきしぼり絞り切れざる風のごとしも
 寄り合ひを終へし人らか出でて来て背中まるめて突風のなか
 稲藁の束は濡れゐて目の前に投げ出されたる体のごとしも
 白木綿の折れてくねりて凍りたる滝はさだかに流路を見しむ
 少年は兄弟ならむ年かさの声が嗄れゐてバスを待ちあふ
 木簡のきれぎれのなか橘といふ文字を読み得て香の立つごとし
 誰が星と思ふならねど夕まけて空の巽に光る星あり
 茫漠と明るかりしが網目よりぬけ出でて月の光となりぬ
 知り人の営む宿はひらがなの会津八一の書も親しけれ
 首寄せてありし人形のたちまちにかたき同士となりて揉みあふ
 降りながら溶けゐる雪のけはひして父の忌の日も暮れゆかむとす
 耐へをれば耐へ得るわれと思はれて長き年月を交はりて来ぬ
 夜の底に芯澄みて燭の火の燃ゆと夢ともうつつともなく思ひをり
 
平成元年一〇月 今日の顔(二〇首/風の曼陀羅)
 
平成三年四月 風聞(一六首/風の曼陀羅)