昭和六一年春号通巻第一二号 鬼なりし日一〇首
ひともとの木として生(お)ひし椿ゆゑ葉ごもりに噴く念々の花
黄のしべにひそみゐしもの発ちゆきてひとすぢ宙に匂ひを曳けり
帯を如(な)すひとすぢ追へば森越えて山越えて沼のほとりに来つる
黒絹を敷きたるさまにしづもれる水をうがちて一つ月かげ
からみあひ組んずほぐれつありにしが仰向けに白き牙光りたり
むらくもの月を覆ひてときのまの闇に互みの姿かくろふ
漆黒を裂きて鋭きこゑ走り水のおもての白くさわだつ
ひとすぢのくちなはとなり沈みゆく尾を見たりとぞ杣のひとりは
あけぼのの光のなかに討たれたる花首ひとつまろびて紅(あか)し
たれもたれも世を去りければ花ひとつ鬼なりし日を人に知られず