『短歌新聞』

昭和三三年六月一〇日 花殻二〇首(一三首/不文の掟・三首/林鐘・一首/形成)
 陥穽(かんせい)の避けがたき夜ぞいづくにか光りつつ風見の矢は廻りゐて
 報復のねがひもうすれゆく日々よ書庫閉ぢて石の廊下を渡る
 夢にしてうとめる笑顔写楽斎の版画のなかの大夫なりしや
 
昭和四四年一月 明日読む本五首(二首/花溢れゐき)
 花の名を問へば答ふるやさしさに溺れつつ人と草市を行く
 葉のもみぢまだらのままに散りてをり夢の部分の如きしづけさ
 指先の痛み忘れて目ざめたし明日読む本を枕べに置く
 
昭和四四年八月 サブリナの靴一五首(一三首/花溢れゐき)
 亡き父の象牙の骰子をつね持ちて惑ひ絶ゆるといふこともなし
 花のあとしげみ深めて柘植のあり賑はふこともなき門先に
 
昭和四八年一月 同じ名五首
 かたはらに在るのみに足る日のありき孤りはさびし雪のふるさと
 樅の木のしづれの音もしづまりてひしひしといま言葉満ち来る
 落合ひの水の激ちを見てゐしがつひに届かぬ心と思ふ
 電話帳に同じ名のあることも知り会はぬ月日の過ぎてしづけし
 雨の夜は雨の音にも奪はるる奪はれし一生と今は思はず
 
昭和四八年八月 ほくろの一つ五首(四首/雲の地図)
 われに似る少女など世にゐてはならず眉をゑがきてゐる時思ふ
 
昭和四九年八月 十方の闇一五首(雲の地図)
 
昭和五〇年一月 無題一首(雲の地図)四九.八再掲
 
昭和五〇年一〇月 夏の終り五首(四首/野分の章)
 はかどらぬ縫ひもののあり物欲しき夏の終わりのくらしのなかに
 
昭和五一年八月 去年の港一五首(一三首/野分の章)
 足裏に踏むものなべて固き道いづこにかまた死の臭ひする
 燃料を如何ほどか使ひワイパーも徒労の如し雨のしげきに
 
昭和五二年一月 反故五首(野分の章)
 
昭和五三年二月 草食獣一五首(野分の章)
 
昭和五六年一月 無題一首(風水)
 
昭和五八年八月 印度の果実一五首(一四首/印度の果実)
 旋回しゐたりし鳩のわらわらと地上に降りてついばみはじむ
 
昭和六一年一月 野火一五首
 気付かれぬ距離に立ちゐて電車待つ五分ばかりの長かりしかな
 最後尾の車両にをれば発車のベル押しゐる車掌の指の先見ゆ
 郊外に家の立て込むわが町を新幹線の窓に見て過ぐ
 後部座席に英語の会話続きゐてをりをり笑ふ女性のこゑは
 紋服の男子が一人乗りて来て坐るまで見て何事もなし
 トンネルに入りて紛るる核シェルターのことを話してゐたりし声も
 一つの傘によりそひゆきてみちのくの訛りにわれもものを言ひゐつ
 地図に無き農道にして枯れ残るゑのころぐさのうなづきやまず
 堤より風を呼びつつ石を巻きまた走りたり野火の火先は
 先回りされゐし記憶よみがへり足型を砂に沈めつつゆく
 鳩の二十羽ほどが中空を旋回すリモートコントロールされゐる如く
 音立てず門をあけたりいつまでもひとりのわが名標札に見て
 笑ひたる顔が前列に写りゐて犬歯といふを今にわが持つ
 乱れしはわれかと思ふコーヒーのカップがドラマのなかに割られて
 山鳩の声にめざめて竪穴に棲みゐしころと何か変はらむ
 
昭和六二年一月 今年の百舌五首
 樟脳の匂ふモヘアに襟埋めて今年の百舌に鳴かれつつ出づ
 バス停のほとりの畑葉先みな鋭角に折れて立つ冬の葱
 地下道の地を這ふ風に紙が舞ひ舞ひ出づるものを身に持つごとし
 つはぶきの花びら欠けて咲く見ればもう一つ咲く低く小さく
 フォッサ・マグナを遠く住みゐる僥倖に思ひ至りて今日のしづけさ
 
平成元年一月 ひきぞめ五首(風の曼陀羅)
 
平成二年三月 文学少女一五首(風の曼陀羅)
 
平成三年一月 春の靴五首(四首/風の曼陀羅)
 吉備路よりはろばろと来しマスカットうすき緑のおぼろをまとふ
 
平成四年四月 短歌新聞「ヒトマロ」通巻二号早春記
 雪を踏む靴音を待つ夜々ありき若ければ待つ力のありて
 言ひかはす言葉は凍てて一本の火が細く立つやうになりにき
 三月の星と聞きゐてあくがれて未だわが見ぬ蟹座の光
 地雷なる魔のものに子らは傷つくとカメラを引きて無き足を見す
 スフィンクスは顔少し欠けてゐしといふ夕べ俄に冷ゆる砂漠に
 
平成五年一〇月 風のあとさき一五首(光たばねて)
 
平成六年一月 紅薔薇匂ふ五首(光たばねて)