[昭和四五年]

昭和四五年一月二二日 「埼玉の四季」吉見百穴七首
 数知れぬ塚のほらあな傾きし月のひかりはいづへまで差す
 かりそめに死を思ひたる日のありき洞深く水の流るる声す
 み柩を置きけむ台座幼ならば畏るるとなくのぼりてあそぶ
 愛恋はかくまざまざと土脆き壁に彫られてあまたイニシャル
 セーターの色とりどりのをとめたち遠ざかりつつ花の如しも
 古りし世の人らも汲める水ならめ市ノ川とぞ聞きて渡りつ
 光苔見て来し日よりまなうらに青きほのほの散りぼひやまず
 
昭和四五年二月二六日 「埼玉の四季」盆栽村七首
 音もなく降り出づる雨よせうゑのくぬぎ林はいまだ芽ぶかず
 玉の緒の鈴鳴るごとし白梅に紅梅まじりふふめる見れば
 枝深き松のかぶだち若者の指しなやかに苔を貼りゐつ
 千年の樹齢と聞きてうちつけにおどろきの声あぐる異人ら
 はかり得ぬ倭人を置きて春浅きけやき通りの雨に去りたり
 黄の細きリボンを綴るまんさくはわがふるさとの春告ぐる花
 水蝕の痕あらはなる石を置き磯馴れの松か雨したたらす
 
昭和四五年四月三〇日 「埼玉の四季」箭弓神社七首
 緋の袴いまだ幼なき巫女二人若葉の雨にささめきあへり
 通り雨すぎて日の差すやさしさにほぐれむとする白の牡丹は
 緋牡丹の開ききりたる花びらに露光りゐてなみだのごとし
 しべの黄に纏はる風の消ゆる待ちカメラ構へて人の動かず
 うちかけの肩なだらかに花嫁は今し社殿のきざはしのぼる
 花蘇芳さつき椿と咲きみてる園去りやらずめぐる幾たび
 礼服の人らのまじり昼すぎて牡丹まつりの賑はひゆけり
 
昭和四五年六月二五日 「埼玉の四季」埴輪の雨七首
 いまの世の農に得がたき耕作の幸にほはせて鍬持つ埴輪
 四つ竹のごときを掲げ踊るさま対の埴輪はめをとならむか
 たのしげに笑へる埴輪舞ふ埴輪笑ふ埴輪は白き歯こぼす
 声あげて笑まふ埴輪よ現し身はかくおほどかに笑ふことなし
 はゆま路を遠ざかりゆく鈴の音埴輪の馬はまろき目を持つ
 をとめ子の埴輪の幾つもののふの埴輪まじへて語るならずや
 樅の葉にやむとしもなきつゆの雨埴輪をとめの耳に聞きゐつ
 
昭和四五年七月三〇日 「埼玉の四季」勝願寺七首
 身に不軌は思ふならねど目を剥きて大き丹塗りの金剛力士
 水鉢の蓮弁の上ゆくりなく白鳩の来てながく水浴ぶ
 子の犬を右手にふかくかばへるは口結びたる狛犬の母
 口あける狛犬は朱の舌やさし持てる手鞠のふとまろばずや
 みまかりし幼な子のため童形の地蔵を彫りきその父母も亡し
 木洩れ陽のをりをり届く篁に片寄せられて無縁の墓ら
 また暑きひと日とならむ朝鳥の声にまじりて蝉の鳴き出ず
 
昭和四五年一〇月一日 「埼玉の四季」黒塚の森七首
 浄瑠璃の鬼の言葉が湧くごとし逢魔が時の黒塚の森
 人を食ふ性やみがたく持つ鬼女の如何にやさしき声に呼びけむ
 誘はれて入りて食はれて帰らざる人とも知らず待つにあらずや
 怨念の鬼となるより目を閉ぢて石になりたきわれかも知れず
 新道を開かむとして掘り出でし石の大里まとかにおはす
 みあかしのともりそめたる夕まぐれ長くぬかづくをとめ子一人
 明日知れぬ木の葉の如き身を持ちてさまざまに人は願ひ事なす
 
昭和四五年一一月二六日 「埼玉の四季」水判土千手観音七首
 散りたまる銀杏の落ち葉踏みしめて素足に立たす大き仁王は
 あばかるる咎もあらむか光る眼にみそなはす閻魔大王の前
 獄卒の肩怒らせて立つあたり冬の微塵の縞にかがよふ
 衣剥ぎの姥よと恐れ真向へばさむざむとして人間の顔
 観音のあまた持ちますみ手にさへ堰きとめ難き流れか知れず
 地の上のことのむなしさ羽衣をひるがへし絵の天人は舞ふ
 手向けたる菊しろじろと音の無き石の仏のおん膝の上