『3 夕ぐれの歌』

ふまれても踏まれても尚起きあがらむ歩き得ざれば這ひても行かむ
連想のうた心遠みにほひ無く降りつぶ雪か濱辺の里のはるたちかへる
夜寒さめてとぼそほと/\打つ風や夜の寝語り途切れたる間か
吾が倚ればなやみたゞれし影まつはりつ夜半ろん/\ともゆるほだ火や
散策の行きかひにしてさりげなく瞳(め)かさねて過ぎし人を恋ひしぬ
おほろけき潮音(しおと)の中に住まゐて吾を侘びつゝ老いゆく母や
十日の休みまたゝく過ぎてふるさとゆさくら散りかふ春を耒りぬ
うすぐもりあやかふ玻璃や雨の日はふるさとの深霧(みぎり)の海も恋ほしも
雨ふれば大き石まろぶとふ川床のそのとゞろきよきかせてもがな
幾十年静かに生ける大樫のたりしいのちもゆかしとぞ思(も)ふ
君共に一つ嘆きを嘆かひて櫻ふゞける道を耒りぬ
君ををきて遠駆(かけ)りゆくこのこゝろこの罪を君よ許せたまへや
そのかみの歴史の影を尋(と)めゆけば小池の水も澱みぬ般若寺
石塔の苔むしたりてそびえたり冬陽だまりにさぶしや般若寺
古寺の午後陽だまりの枯れ芝にさわらべ二人あやとりあそぶ
求むれど想ひむなしみいたましく傷痍の君は遠去りたまひぬ
眞日い照る空傷みかもおもほへばみこゝろ晴れず去り行かしけむ
かなしもよ実を結ばざる花ならばちぎり捨つとも惜しと思ふまじ
片思(も)ひとつゆ知りたまはずかなしくも君大陸に吾を恋ひて在(ま)す
ますらをと出で征きし君大陸ゆなほ切つ/\と文(ふみ)寄せたまふ
夢見悪しとうれへたまへるやさしさにをとめ吾泣けぬ愛は無けれど
このまことやさしさにして悲しくもをみな吾君にいかにさからはむ
かの時はもだえ泣きにけれど君もまた旗をかゝげて勇み征く男の子なりしか
みいくさに召されて君は歌かなしくしこめし吾はも恋ひてゐまさむ
戦ひの庭に在すてふ君遠き秋の夕べを樟の葉の鳴る
さむ/゛\としろき野聖戰の夕月を仰ぎて在(ま)さんかますらを君も
 
松木立縫ひて歩みつ佇めば潮騒ゐの音にまじりてかすかにも吾をよぶ声
ありき
あせび路をあゆみて帰る春日の野あなはろらかに夕映えわたる
ポプラーのさゞめき梢にきらめきてよき日よ深き夕ぐれの空
耐えがたきわが日々なれどたんねんに樂譜を写すこの宵ぞ和(なご)し
眞日い照る空深みかも昨日を思はず朝げを待ちて爪をつむなり
空の青髙くまばゆきよき日なるかなしくも君熱病むといふ
物皆の厭はし夜深吾泣きぬ吾とわが身のいとほしくて
小夜(さよ)更(た)けて寮の静寂(しじま)の耐え難み別れて久しき君何處(いづく)かも
初恋の痛手切なくうづきより何の音ぞもいねがたき夜なり
君恋ひてかくい寢難みかの時の面輪あざやかに浮み耒る切なさ
お城町(しろまち)のかの一夏(ひとなつ)やたえがたく吾を恋せし男(を)の子もありき
かの時ゆ四とせめぐりて夏は耒ぬ美しき人の今何処ぞも
まぼろしもゆめも失せ果つおほけなきねがひを捨てし吾はをとめよ
いつよりか切なく狂ふはロンドのみ選りて奏づる吾のピアノは
おど/\と鍵盤に惑ふこれの指かくても和(なご)むはるの愁ひや
いとけなき夢うつろへど友どちとさゞめき笑まふ雛(ひいな)の夜かも
ふるさとゆ遠き寮舎に桃花活けてひいなをまつる十九の春や
いとせめて酔ひて哭かなむ白酒のこれのひいなのひとりなるはる