『14 はるの虹』

ふるさとのはゝはましろき餅あまた送りたまひぬ豆の粉そへて
老いらくの母が手づから葛まぶし箱詰めしけむすがたしのばゆ
言ふにたへぬ諍かひありてゆくりなく室のメンバーを俄に替へぬ
幾日をかなべてをやりて舎のために盡くせしものを効あらはれず
はかなきは人のこゝろいとせめてわれつゝしむ日頃となりぬ
ゆめ泣かじとさだめしものをまなざしの冷たきにあひてまたしも哭かゆ
苦しみはたへてゆかなといくそたび誓ひしものを涙もろくして
何氣なき友の情も誠あれば事ある時はあらはれにける
問はるれど一言をだに云ひあへず聲あげて吾は泣き出してけり
やさしくも吾をいたはりたまひつゝ友のまごゝろもなみだあふれきぬ
ろーそくのくらきほかげのゆらめきにわが歎きやまず夜はふけゆくを
歎きよろこび分ちし友ともい別るゝわがかなしみはこゝにきはまりぬ
公けも私も共に事なりぬたえがたき夜は眠るにしかず
宵はやく寝入らむとしつゝはゝのこと思ひ出でゝはまた泣かれきぬ
故里は杳くもあるかな寮の中の氣配のすさみきはまれるかも
かくて子のなげき極まる生活(なりはひ)を知りせばはゝは狂ひたまはむ
吾をそしる聲たかけれどなげき重ねし吾がこゝろいまはすみきはまりぬ
殊更にすげなく人にふるまひてはつかにこゝろ癒やさむとしぬ
梅咲ける昨日(きぞ)の日和もはかなしや雪ふか/゛\と積もる夕ぐれ
何時の日か吾は想はむ春日社の節分の夜の燈籠の灯を
書物等も得がたくなりてしみ/゛\と図書館にかよふ日頃となりぬ
戦ひのさ中にありて図書館に通ふおほけなさを思ふ日もあり
朝おそく覚めて花の香を吸ひしとき体に春はしみとほりたる
薄暮(ゆふぐれ)の寂かにゆらぐ野に立てばこゝろほすゝきのづをれてゆくなり
日暮れに川の面をまもりゐぬ早春の花を泛べてながれもすやと
疲れふかく書はとぢつゝ目にしみ花かげ夕陽の中にうごかず
悲しみといふにもあらぬ虚ろさにこころひかれて人と別れぬ
別れ来て岸辺にたてば名も知らぬ小魚かすかに水を濁しぬ
定まりし愛に埋もるゝ日々はあきらめのごとくさみしきものを
あふれくる思ひさゝへて奈良坂や並みゆく人の言葉すくなし
もえいづるいのちはくゝむ黒土をいたはるごとくはるさめのふる
もの言ひてこゝろ言葉をさかりゆくこのむなしさに吾はたへなく
まもりつゝこゝろひそみきふるひとは佛のまゆをかくも描きたる
たちさはぐ黄の花群も夕ぐれて郷愁の思ひ霧のごとくに
あるかなき花のにほひも目にしみきかへらぬものに心傷む日
遙けかる日に捨てしつもりの憧れよ今日もきざして魂(たま)ゆらぎつゝ
雷鳴もはかなく遠きこぬか雨はれやらぬまにあはれ春の虹
雨を見つゝそろひもじかにたそがれはわかためにのみ濡るゝ灯もあれ
たそがれてさびしく燃やす幸ひは人に知られな沈丁の花
あざむかれて舎の幹はゆらぎつれ母を思へばえ堪えぬ事も
明日の日に期する思ひはあらなくに花きそひ咲く春は待たるゝ
真底より人を呪ひの言葉さへ湧きてあやしき今年の春よ
積みても積みても崩るゝ夢を見てをりぬ夜半のねざめにあはれ雨の音
 
かにかくに嘆くもひとゝきのひかりは照りかげりよと雨にぬれつゝ
                  昭和十九年四月二十二日