鯉たちに齢といふはあるらむか石の間を音なく動く
仔犬ほどのぬくもりと思ふのせくれしボアのショールに膝を覆へば
行員の手に扇形にひらかれてゆく紙幣見ゆ百枚ほどか
公営の薔薇園なりし賑はひのあとかたもなくキャベツの畑
公園の白き木馬はいかにせむ花降る夜半となりて風立つ
轟音を聞きし思ひせり幼くて三陸の津波遠くはなれて
高架より見下ろすわれの住む町はゲットーの如し低くかたまる
広告の多くなれども夕刊はわが亡きあとに幾日届かむ
工事場が上手(かみて)にありて一丁ほど足場の悪き道が続けり
校舎より少しはなれてドーム型の体育館あり簀の子伝ひに
降神の術などもちてあばかむに会ひがたければただ夜が長し
香水などふりてみたしと思ふまで吾らの閨のまどしげかして
香水の空き瓶あまた捨てかねて来し歳月もいつしかおぼろ形成六一.二没
洪水は一夜に引きて収まれど橋の落ちたる夢なども見つ
航跡雲ひとすぢながれゐたりしがつねなる空に戻りてゆけり
後退し曲がらむとするトラックより乗り出していまだ少年の顔
紅茶冷やすと水流れゐし間中おちつかざりしわれと気づきぬ
構内の並木を抜けて帰らむに教育学部はいまだ灯ともす
こふのとりが煙突に巣を作りしとあり得ぬことの如くに伝ふ
紅梅の咲きはじめたる寒さにてふり返らずに行ける犬あり
好物と知られし今はすべなけれ思はぬときに赤飯届く
公民館とわれはそのまゝ呼びてをり円柱をかこむかっこうあざみ
蝙蝠傘(かうもり)は濡れたるままにみな倒れ何か勝負のつきたる如し
蝙蝠の飛べるを仰ぐわれをおき哀れむごとく歩をゆるめたり
洋傘は大き音して開かれぬ不意に何かをかくまふ如く
紺屋町肴町などありにしが前後左右に雪は降りゐし
紅葉の谷を幾つ越えていよいよ近き人かと思ふ
紅葉のヘアピン・カーブ降るとき危ふくて美しかりし夕日よ
効用のままに大きく土用波を吸ひ込みやまずテトラポッドは
声あげて人は言へども死に花が咲くにすぎずとわれの知りをり
声立てぬものはやさしくわが前を離れずに歩む影法師あり
声のして呼ばるるわが名ありにけりどこか遠くへ行きゐしものを
声低くあきなはれゐる参道の骨董市を通り抜け来ぬ    ※
声低く人ら寄りあひ波を得て一気にくだる流灯のあり
子を生みしは網膜剥離せし部分眼窩に残り眼球抜かる
コードレス電話しばしばおびやかす身幅せばめてゐる如き日に
コーヒーを売る店の前時間が来てバスが来てまたからっぽになる
コーヒーを断ちて幾とせ煙草さへ断てば何をかよすがに生きむ
コーヒーの豆挽きをれば係累のあらぬくらしも久しくなりぬ
凍りたる雪道をふみしだきゆくトラックありて夜半にめざめぬ
凍りつける如くに坐りゐたりしが眼鏡はづしていづこに置かむ
氷詰めにされゆく過程夢見ゐつ氷枕をしたるばかりに
凩一号が明日は吹くらむ山は雪になるらむと伝ふ天気予報は
木枯らしに法衣吹かれて振り向くは誰ぞ尼僧のいでたちをして
木枯らしのあとの夕映えうすれゆきいきなりふえて蝙蝠が舞ふ
木枯らしの中行きしときわが知らぬシベリアからの風と言ひにき
木枯らしのゆくへ思へば夜の灯を寄せて華やぐ駅舎もあらむ
木枯らしは人攫ひの声よとさびしげにわれに教へて若かりし母
古稀の日の近づきてゐてねる前に万年筆にインク足しおく
刻限となりてシャッターをおろす店々のそれぞれの音きしみたり
ご功徳は変はらぬらむか老夫妻値切りて大き達磨を買へり
黒板に亡き人の名の書かれゐて何事もなし庫裡の人らは
黒板に文字を書きゐて独り身の女教師のままに終りたかりき
国宝の社殿の棟も傾きて僧の吐息をきゝつゝ仰ぐ
コクリコの群落を分けてさまよふにオレンジいろの花二つ三つ
こけむして十字架と殉教の碑を洞窟にひつそりと置く
心あるものの如くに時を経て燃え出す古きタイヤの山は
心とはつね闇にして稲妻のごとき光にをりをり裂かる
心より心にかよひ合ふ言葉ひしひしとわれの鞭打たれゐつ
五歳ごろ川のほとりに住みてゐきあひるの玉子は少し大きく
五歳にして人の心を読む如き幼子とゐて隙あらぬとぞ
来し方を思はせて比喩はさびしきにまむしの目とぞテールランプは
個室とふ空間にゐて枯れ原のはるか向かうまで見ゆる日ありき
五十年すぎてはくろがねの艦ならず白き船体をバックに写す
五十年経し奈良なれば思はざる鹿のたむろす若草山に
五十年も前のことにて水兵の帽子の形思ひ出でたり
誤植ゆゑ取り上げられし歌ありきその漢字一つ幸呼ぶ如し
梢には陽の残りゐて山桜かぞふるほどの返り花咲く
子雀のいづれともなく飛び跳ねて砂利に紛れて散りぢりとなる
コスモスの花を分けねば帰られず如何に数へて百万本か
五線紙をたどりゆきつつ亡き人の弾きなづみゐし音よみがへる
胡蝶花と書けばやさしき花にして黄色の芯をもてるむらさきに
骨格までほどけてしまふ思ひしてよはひ忘れてゐたるときのま
国境に氷れる大河ありしとぞ忘れたしとぞ戦地のことは
ごつとんと揺れて醒むれば長編の終わりの部分読みゐしごとし
小粒なる雀なりしをとび立ちて思はぬ大き影おとしゆく
琴糸を買ふ友を待つときのまにうすれてゆけり夕の茜は
言の葉のあらぬやさしさほぐれむとするりんだうを撮りし写真に
言葉少なにをりにし人の去りぎはにポケットの胡桃を取り出して置く
諺の次々に浮かび慰めてまた落ち込みて雨季明けむとす
こなごなのステンドグラス残りたる部分にそよぐ若葉のいろ
この畦をこのまゝゆかばすれ違ふボクサー犬が先立ちてくる
子のころは野中の一軒家なりしとぞひしひしと家並のつづく川べり
この仕事終へなば次は何をせむ考へながら鉛筆をとぐ
木下闇抜けて出づればジーンズの少女がひとりバスを待ちゐつ
この月は見落として見ず女手のはがきのロサンゼルスの切手
この年に来むかがよひを待つごとく花芽湧き出づ沈丁の木に
この齢に何がさびしといふならねさびしき日ありて外に出で来ぬ
この年の仕事はじめにボタンつけて鋏つめたき夕べと気づく
この年も蓮の花あまた咲きしとて五条の寺より絵はがき届く
この年は五千羽といへるなべづるのいのちひしめき帰る日近し
子のなきを言ふにあらねど順礼の鈴など買ひくる乙女もあらず
この夏はもう着ぬ服をたたみつつたのみがたしよ来年の夏
こののちのいかほどか今朝百舌の鳴き手間どることの多くなりつつ
この冬も終はらむとせり男・女帽子をかぶる人をふやして
このまゝに隠しおほせて生き得むかむき出しとなるをりふしのあり
この夜また手負ひのまゝに帰り耒て立つことのなしわが火柱は
小走りに行くは家鴨よ白鷺も一歩一歩と歩むことあり
小春日のなか行く電車幼な子は軽く咳してまた寝入りたり
五匹ゐし仔猫は見えずゆつたりと地に尾を打てり母の三毛猫
語尾を濁して語る人のみゐる事務所黙しがちに吾は編集をする
古風なるヒロインを描きし短篇よ書き終へて君の寝入りし夜明け
呉服町といへる通りの映画館隠れて見にし「ドクトル・ジバコ」
古墳なす山を見をれば土の下の闇は寒しといつより思ふ
五分ほどの時間の誤差を禍根としひねもすわれのいらだちてすぐす
こぼしたる牛乳はわが膝のへに白き紙片のごとく散らばる  平元.四形成差替
こぼれ易き黄粉を左のてのひらに受けて王羲之の書の一文字の形と思ふ
小町糸の赤もて縫ひし雑巾の麻の葉模様今も目に見ゆ
こまやかに鋏の先を使ひしかほどきものなどすることもなき
混みあへるさま何に似む蓮の葉はみな大きくてかさなりあへり
来む世にも必ず力士になると言ふ大銀杏初めて結ひし少年
ゴムの木にしづかに水をやりをればこらへて言はぬことのありたり
子もなければ易き別れと思はれむ死んだつもりで出でゆくものを
こもりゐのこころわびしきうらに出てどくだみのはなふみにじりたり
こよひふとわが魂は歩みゐて持ち重りするキャベツのごとき
これ以上知らば壊れむ知らざるを幸ひとしてすごすことあり
これ以上は伸びぬ桔梗と知りをれば白をまじへて紫の花
転ぶなよ風邪をひくなと冬をこえ花吹雪まで辿りつきたり
こはさるる用意されゐる家に会ふコースを変へて歩み来つれば
毀はれてはまたかき寄せて生き来しかつがれしビールのまず見をれば
紺いろの水着着てみな五年生プール開きはたのしかりけり
コンクリートジャングルに住む年月に森羅万象の一語恋ほしき
コンクリートの乾きて固まりゆくを待つ如き時間を折々に持つ
今秋は運動会も出耒ぬとぞ子供のへりし町内会は
根抵をゆすぶる何もなき日々をはかなき事に照りかげりする
根抵をゆする感激もなく過ぎて末梢の技巧などにかゝづらいつゝ
コンテナの雪にまみれて去りゐし遠き記憶の野も昏れそめぬ
コンパスの基軸ゆらぎて描きあへぬ円周なりき醒めて思へば
根本を誰も言はねば応急の処置のみをしてここまでは来ぬ