こぬか雨降りしく夜なり唯一人血潮の音をひたに聞きつゝ
嘆きつゝ鈴虫が音の語るらく汝が言ふ秋の月の侘びしさ
月の夜に濡れ縁に寄する文机に文は開けど心許なく
ひとしきりこほろぎ咽ぶ庭先に千草が影の月に揺れつゝ
故里の北の丘辺に風立てば尾花しきりに去年の人招ぶ
煙のごと薄れ果つらむこの町の夜々に結びし幸多き夢
月夜なり又来し秋の月を見て心駈け行く遠き幸の日
忘られし花束胸に抱きしめ声を限りに水を求めぬ
何人も風の如くに去り行きて吾唯一人かくし歌へり
上の山は露も草葉に夢結びそよぐ梢に夕陽照り映ふ
ふら/\と当てもなけれどこの道を往きつ戻りつ幾度かせし
名残あれど残りしまゝに胸に秘め咽ぶ汽笛と共に行くなり
身は去るも胸去り難し幾月の幸なる命永久に忘れじ
幾月の幸なる夢も醒め果てゝ現つのまゝ吾は行くなり
覚め果てゝ薄れ行くなり町の夜々夢に描きしうまし面影
君まさぬ夜の月影に惑ひつゝ野辺の真闇をひとり彷徨ふ
身の遠く離りてあればおのづから想ひも淡くなりにけるごと
彼の窓に灯は赤々と燈れども人無き家の光の虚しき
何事も覚めにし夢よ今はたゞ學びの書と共に進まむ
夕暮の窓に漂ふ夜の息吹き胸に汲みつゝ聞く川の音
過ぎし夢追ふは愚かよひとすぢに賢き道を求め進まむ
故分ぬ悲しみ胸に閉ぢこめて現すら無く泣けるこゝろよ
ひそやかに落葉踏みつゝ今日も行く山の彼方の幸を慕ひて
遠山の彼方に幸の住むといふ人のこゝろの吾にかなしも
夕霧の静かに迷ふ水際に問ひ見るひとも無き胸に泣く
秋津行く流れの岸にたそがれの息吹き汲みけり空ろなる身して
虚ろなる瞳を向けぬ川波にいざよふ灯影のあやの動きに
ひそかなる流れの音は幸の日の美まし言の葉胸に問へとや
今はたゞ虚ろなる身に頼りつゝ灯も無き道をひとり行くなり
眉のごと細き三日月薄れつゝ来ぬひとを待つ野辺の夕風
偲べども甲斐も無かりき醒め果てし幸なる夢にあえかなる人
彼の人を送りてからに移り耒し浅きこゝろを想ふ淋しさ
彼の路に君を送りし夢を見て目覚めて聞きぬせゝらぎの音
心のみ焦りつ尚も學びでと忘れむとする浅ましさかな
己が為はた母の為かの光嵐の中に探ね求めむ
この窓に何時の日まみえむ山波の雄々しき緑競ふその影
荒鷲の彼の爆音を仰ぎ見し君が面影とはに忘れじ
旭日影照り添ふ窓にとこしへの別離の町の影を見守る
逝きませし姉がみ影のいますごと月の影より遠きまぼろし
たはむれの言の葉故や文の文字浮立ち見ゆる恋の悲しさ
故里もいづこにあらむ今はたゞ宿命の風のまゝに行くなり
とこしへに別れとならむこの町を流星のごと去り行く身かな
さすらひのそれの如くにこの町を出でゝ何処に夢を結ぱむ
当もなく去り行く身かな學び舎のかの白樺のにほひ慕ひて
ひとしきり山の時雨も心寄せて去り行く吾と共に泣くかや
故里を遠く離れて学びつゝ夜毎夢見る母の面影
たそがれの小暗の中に亡き人を尋ね求めて今日も彷徨へり