ふたたびわれは


02285
複眼を光らせて虫の飛び立てりわれには見えぬもの多からむ
フクガンヲ ヒカラセテムシノ トビタテリ ワレニハミエヌ モノオオカラム

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.52


02286
傾けてさすとき不意に五体まで透けて見ゆるやうなビニールの傘
カタムケテ サストキフイニ ゴタイマデ スケテミユルヤウナ ビニールノカサ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.52


02287
いちめんに卯の花などの咲きてゐる感じにあはき朝の眠りよ
イチメンニ ウノハナナドノ サキテヰル カンジニアハキ アサノネムリヨ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.53


02288
知る筈のなき人ながら指先を脂いろに染めて死すと伝ふる
シルハズノ ナキヒトナガラ ユビサキヲ ヤニイロニソメテ シストツタフル

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.53


02289
魚眼レンズに覗ける街の夕闇に続けり声を洩らさぬ会話
ギョガンレンズニ ノゾケルマチノ ユウヤミニ ツヅケリコエヲ モラサヌカイワ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.53


02290
いづこにか生きながらへて沈みさうに歪む屋根など今もゑがくや
イヅコニカ イキナガラヘテ シズミサウニ ヒズムヤネナド イマモヱガクヤ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.54


02291
満たしたる水に洗剤を振り入れて儀式のごとしかき回しつつ
ミタシタル ミズニセンザイヲ フリイレテ ギシキノゴトシ カキマワシツツ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.54


02292
聞きてはならぬ言葉を誘ひ出さむとしふたたびわれは思ひとどまる
キキテハナラヌ コトバヲサソヒ ダサムトシ フタタビワレハ オモヒトドマル

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.54


02293
水の輪のかさなりあひてつかのまに木蔭の椅子も濡れはじめたり
ミズノワノ カサナリアヒテ ツカノマニ コカゲノイスモ ヌレハジメタリ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.55
【初出】 『埼玉新聞』 1971.12 引き戻さるる (2)


02294
駅までを連れだちてゐて身の左庇はれて歩むことのやさしさ
エキマデヲ ツレダチテヰテ ミノヒダリ カバハレテアユム コトノヤサシサ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.55
【初出】 『埼玉新聞』 1971.12 引き戻さるる (6)


02295
振り向かるることをかすかにたのみゐてもろ手汗ばむマントのなかに
フリムカルル コトヲカスカニ タノミヰテ モロテアセバム マントノナカニ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.55


02296
幼な子を呼びてはげしき母のこゑはげしく何を呼ぶことありや
オサナゴヲ ヨビテハゲシキ ハハノコヱ ハゲシクナニヲ ヨブコトアリヤ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.56


02297
回り道したるを悔やむことなくて吊り橋の上にしばらく憩ふ
マワリミチ シタルヲクヤム コトナクテ ツリバシノウエニ シバラクイコフ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.56


02298
人参をそぎゐる夢に現れし顔に見られて一日ありたり
ニンジンヲ ソギヰルユメニ アラワレシ カオニミラレテ ヒトヒアリタリ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.56


02299
動くともなくただ薄く運命のかげりのやうな雲が見えゐる
ウゴクトモ ナクタダウスク ウンメイノ カゲリノヤウナ クモガミエヰル

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.57
【初出】 『おおみや』 1972.1 風の凪ぐとき (9)


02300
白鳥のプリマ追ひゆく円光のなかを影なる部分も走る
ハクチョウノ プリマオヒユク エンコウノ ナカヲカゲナル ブブンモハシル

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.57


02301
夜の雪を漕ぎ来しブーツ脱がむとし何か失ふごとき怖れよ
ヨノユキヲ コギコシブーツ ヌガムトシ ナニカウシナフ ゴトキオソレヨ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.57


02302
たどり得る限りの経緯さかのぼりつきとめがたし陰画のゆくへは
タドリウル カギリノケイイ サカノボリ ツキトメガタシ ネガノユクヘハ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.58


02303
八方をふさがむとしていつまでか道のバラスを敷き均らす音
ハッポウヲ フサガムトシテ イツマデカ ミチノバラスヲ シキナラスオト

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.58


02304
棕櫚の葉の苦しきばかり鳴る夜なり地の果てまでも行かむと告げよ
シュロノハノ クルシキバカリ ナルヨナリ チノハテマデモ ユカムトツゲヨ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.58
【初出】 『来陽』 1972.2 地の果てまでも (4)