草を食みても


02433
一つだけのコーヒーカップぬくめをりゆきどころなく帰れるわれは
ヒトツダケノ コーヒーカップ ヌクメヲリ ユキドコロナク カエレルワレハ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.104


02434
すさみゐる日々とも知らず花咲けるエリカの鉢を人の賜ひぬ
スサミヰル ヒビトモシラズ ハナサケル エリカノハチヲ ヒトノタマヒヌ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.104


02435
たれよりもしあはせにならむと言はれゐき故郷を出でて三十年たつ
タレヨリモ シアハセニナラムト イハレヰキ フルサトヲイデテ サンジュウネンタツ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.105


02436
起重機の幾つ音無くめぐる空何も見てゐずわれの眼は
キジュウキノ イクツオトナク メグルソラ ナニモミテヰズ ワレノマナコハ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.105


02437
亡きあとの部屋をそのまま妹の雑誌が着けば並べてやるも
ナキアトノ ヘヤヲソノママ イモウトノ ザッシガツケバ ナラベテヤルモ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.105


02438
髪を長く編みゐし妹を覚えゐてつね言ふ人もいつか厭はし
カミヲナガク アミヰシイモウトヲ オボエヰテ ツネイフヒトモ イツカイトハシ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.106


02439
ひとり在ることさへ武器とせよと言ふ草を食みても生きゆくために
ヒトリアル コトサヘブキト セヨトイフ クサヲハミテモ イキユクタメニ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.106


02440
深爪にいためし指のなほりゐてさゐさゐと裁つ喪服の絹を
フカヅメニ イタメシユビノ ナホリヰテ サヰサヰトタツ モフクノキヌヲ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.106


02441
始祖鳥のたくましき脚見てをれどいつより運を逃ししわれか
シソチョウノ タクマシキアシ ミテヲレド イツヨリウンヲ ニガシシワレカ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.107


02442
襟もとのスカーフ・垂るる髪などのうとましくゐしのちを病みつく
エリモトノ スカーフタルル カミナドノ ウトマシクヰシ ノチヲヤミツク

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.107


02443
読みさしの本はたと閉づるその音を最後に聞きて死ぬのかも知れず
ヨミサシノ ホンハタトトヅル ソノオトヲ サイゴニキキテ シヌノカモシレズ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.107


02444
今のわれに何が出来るかひとときに熱砂の色となる西の空
イマノワレニ ナニガデキルカ ヒトトキニ ネッサノイロト ナルニシノソラ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.108


02445
病みあとの髪梳きをれば口紅を塗らぬ顔いたく亡き母に似る
ヤミアトノ カミスキヲレバ クチベニヲ ヌラヌカオイタク ナキハハニニル

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.108


02446
幹のみとなりたる椰子の林とぞ照明弾は今もあがるとぞ
ミキノミト ナリタルヤシノ ハヤシトゾ ショウメイダンハ イマモアガルトゾ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.108


02447
写真などに物言ひて出づるあけくれにわれは用心ぶかくもならず
シャシンナドニ モノイヒテイヅル アケクレニ ワレハヨウジン ブカクモナラズ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.109


02448
腕のつけ根の何やらはかな街路樹の切り落されし枝を見て来て
ウデノツケネノ ナニヤラハカナ ガイロジュノ キリオトサレシ エダヲミテキテ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.109


02449
当然のなりゆきながら雪に濡れて帰れる肩をみづから払ふ
トウゼンノ ナリユキナガラ ユキニヌレテ カエレルカタヲ ミヅカラハラフ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.109


02450
鳥のときの風を窺ふ本能がよみがへりくる夜に醒めをれば
トリノトキノ カゼヲウカガフ ホンノウガ ヨミガヘリクル ヨニサメヲレバ

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.110


02451
往きに見て帰りはあらぬ花ならむ咲ける白梅仰ぎて通る
ユキニミテ カエリハアラヌ ハナナラム サケルシラウメ アオギテトオル

『雲の地図』(短歌新聞社 1975) p.110