雨の坂


02871
いつのまにあがれる雨か夜の水は鏡のうしろの如くしづもる
イツノマニ アガレルアメカ ヨノミズハ カガミノウシロノ ゴトクシヅモル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.40
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (1)


02872
しみじみと今日もひとりぞ帰り来て雨に濡れたる把手回すとき
シミジミト キョウモヒトリゾ カエリキテ アメニヌレタル ノブマワストキ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.40
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (2)


02873
雨傘を打つ音に似て脅やかす棕櫚の葉を打つ夜の雨の音
アマガサヲ ウツオトニニテ オビヤカス シュロノハヲウツ ヨノアメノオト

『野分の章』(牧羊社 1978) p.41
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (3)


02874
眠られぬ理由を思ひめぐらして思ひつくころ寝入るならひよ
ネムラレヌ リユウヲオモヒ メグラシテ オモヒツクコロ ネイルナラヒヨ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.41
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (4)


02875
すきまなく青葉となれる山が見ゆ山の笑ふはいかなる朝か
スキマナク アオバトナレル ヤマガミユ ヤマノワラフハ イカナルアサカ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.41
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (5)


02876
こだはりてわが在るものを雨のあと癒えたるごとき空がひろがる
コダハリテ ワガアルモノヲ アメノアト イエタルゴトキ ソラガヒロガル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.42
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (6)


02877
梅雨のころ病み易かりし誰も亡し弟切草は蕊立てて咲く
ツユノコロ ヤミヤスカリシ タレモナシ オトギリソウハ シベタテテサク

『野分の章』(牧羊社 1978) p.42
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (7)


02878
生くる限りの罪かも知れず黄に熟れしさくらんばうは芯まで黄いろ
イクルカギリノ ツミカモシレズ キニウレシ サクランバウハ シンマデキイロ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.42
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (8)


02879
バス待ちて手話をつづくる少女らの世界もまぶし今のこころに
バスマチテ シュワヲツヅクル オトメラノ セカイモマブシ イマノココロニ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.43
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (9)


02880
クーラーに背を吹かれつつ待ちをればはね返るやうなバナナのかたち
クーラーニ セヲフカレツツ マチヲレバ ハネカエルヤウナ バナナノカタチ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.43
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (10)


02881
みまかりし人らの住むといふ国のいづこと知れず降りしきる雨
ミマカリシ ヒトラノスムト イフクニノ イヅコトシレズ フリシキルアメ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.43
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (11)


02882
こときれてわれにかかりし重みなどよみがへりつつ忌の夜をゐる
コトキレテ ワレニカカリシ オモミナド ヨミガヘリツツ キノヨルヲヰル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.44
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (12)


02883
つなぎたる部分よりまた切れたるを電気コードのこととして置かむ
ツナギタル ブブンヨリマタ キレタルヲ デンキコードノ コトトシテオカム

『野分の章』(牧羊社 1978) p.44
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (13)


02884
一歩だに引けぬと思ひゐたりしが醒めてふたたび耳の鳴り出づ
イッポダニ ヒケヌトオモヒ ヰタリシガ サメテフタタビ ミミノナリイヅ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.44
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (14)


02885
目の前の闇をへだてて芍薬のひらかむとする花のしづけさ
メノマエノ ヤミヲヘダテテ シャクヤクノ ヒラカムトスル ハナノシヅケサ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.45
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (15)


02886
ひとすぢの青竹として雨にしなふかかる撓ひも人に知られず
ヒトスヂノ アオタケトシテ アメニシナフ カカルシナヒモ ヒトニシラレズ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.45
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (16)


02887
草むらをのぼりつめたる影のまましばし吹かる堤の上に
クサムラヲ ノボリツメタル カゲノママ シバシフカル ツツミノウエニ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.45
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (17)


02888
道に会ひ駅までの坂を歩みつつ病みて久しき人の名も聞く
ミチニアヒ エキマデノサカヲ アユミツツ ヤミテヒサシキ ヒトノナモキク

『野分の章』(牧羊社 1978) p.46
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (18)


02889
鈴懸は揉まれつつ立つ街灯のいまだともらぬうすくらがりに
スズカケハ モマレツツタツ ガイトウノ イマダトモラヌ ウスクラガリニ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.46
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (19)


02890
三階の事務室に日毎眺めつつボーリング場へも入りしことなき
サンガイノ ジムシツニヒゴト ナガメツツ ボーリングジョウヘモ イリシコトナキ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.46
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (20)


02891
思はざる遠くまで見ゆる日のありていまだ木立の多きこの町
オモハザル トオクマデミユル ヒノアリテ イマダコダチノ オオキコノマチ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.47
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (21)


02892
木の幹にたれか自転車立てかけぬ裏側そよぐ銀杏の若葉
キノミキニ タレカジテンシャ タテカケヌ ウラガワソヨグ イチョウノワカバ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.47
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (22)


02893
夜となれば血管の浮く手の甲をさびしみてひとりの夕食を終ふ
ヨトナレバ ケッカンノウク テノコウヲ サビシミテヒトリノ ユウショクヲオフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.47
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (23)


02894
身を匿すすべを思へるときのまに信号は青にかはりてしまふ
ミヲカクス スベヲオモヘル トキノマニ シンゴウハアオニ カハリテシマフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.48
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (24)


02895
心臓のかたちといふを思ひたり動悸して闇にめざめゐしとき
シンゾウノ カタチトイフヲ オモヒタリ ドウキシテヤミニ メザメヰシトキ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.48
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (25)


02896
おほかたは聞きてそのまま置く習ひ身につくこともさびしき一つ
オホカタハ キキテソノママ オクナラヒ ミニツクコトモ サビシキヒトツ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.48
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (26)


02897
平静に戻らむとしてひひらぎの棘のさだかにわが目に見え来
ヘイセイニ モドラムトシテ ヒヒラギノ トゲノサダカニ ワガメニミエク

『野分の章』(牧羊社 1978) p.49
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (27)


02898
庭土をおほひて苔の青みたり息苦しきはわれのみならず
ニワツチヲ オホヒテコケノ アオミタリ イキグルシキハ ワレノミナラズ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.49
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (28)


02899
間をおきて忘れしころに花おとす椿を軒にひと日もの縫ふ
マヲオキテ ワスレシコロニ ハナオトス ツバキヲノキニ ヒトヒモノヌフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.49
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (29)


02900
空き壜の残りはさかさに交叉させ運び去りたり音もろともに
アキビンノ ノコリハサカサニ コウササセ ハコビサリタリ オトモロトモニ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.50
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (30)


02901
風邪ひかぬ算段をして脆きかなひとりにはこの家も広過ぎむ
カゼヒカヌ サンダンヲシテ モロキカナ ヒトリニハコノ イエモヒロスギム

『野分の章』(牧羊社 1978) p.50
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (31)


02902
枯れ枯れの欅も枝を空に向け声を限りに芽ぶかむとする
カレガレノ ケヤキモエダヲ ソラニムケ コエヲカギリニ メブカムトスル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.50
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (32)


02903
降りつのる音を聞きつつ雨傘をことわりて帰りゆきし理由も思ふ
フリツノル オトヲキキツツ アマガサヲ コトワリテカエリユキシ リユウモオモフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.51
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (34)


02904
失はば大きからむと知りてをり知りて失ふ日を待つわれか
ウシナハバ オオキカラムト シリテヲリ シリテウシナフ ヒヲマツワレカ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.51
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (35)


02905
戻り来し人形は壁に吊されぬ衣裳ばかりの重さに垂れて
モドリコシ ニンギョウハカベニ ツルサレヌ イショウバカリノ オモサニタレテ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.51
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (36)


02906
終点に近づくバスの床の上紙の徽章の幾つちらばる
シュウテンニ チカヅクバスノ ユカノウエ カミノキショウノ イクツチラバル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.52
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (37)


02907
意のままになること一つなき日にて駅を出づればまた雨の坂
イノママニ ナルコトヒトツ ナキヒニテ エキヲイヅレバ マタアメノサカ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.52
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (38)


02908
眠れずにゐるはすかひにほの白きかたまりをなす百合の蕾は
ネムレズニ ヰルハスカヒニ ホノシロキ カタマリヲナス ユリノツボミハ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.52
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (39)


02909
舞ひやまぬ羽虫目に追ふかたはらに帰りゆく家ありて人はしづけし
マヒヤマヌ ハムシメニオフ カタハラニ カエリユクイエアリテ ヒトハシヅケシ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.53
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (40)


02910
足もとの枯れ草に火を放つとも熔けず残らむわが石一つ
アシモトノ カレクサニヒヲ ハナツトモ トケズノコラム ワガイシヒトツ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.53
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (41)


02911
追ふわれも追はるるわれも息切れて苦しかりにし夢より帰る
オフワレモ オハルルワレモ イキキレテ クルシカリニシ ユメヨリカエル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.53
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (42)


02912
見慣れたる遠景のなか黄のバスがとまれる店のしばし賑はふ
ミナレタル エンケイノナカ キノバスガ トマレルミセノ シバシニギハフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.54
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (43)


02913
何となく身がるになりてみづからを吊す糸吐く虫を見てゐる
ナントナク ミガルニナリテ ミヅカラヲ ツルスイトハク ムシヲミテヰル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.54
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (44)


02914
出でて来し手品の種のマッチ箱かかる遊びをわれは厭ひき
イデテコシ テジナノタネノ マッチバコ カカルアソビヲ ワレハイトヒキ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.54
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (45)


02915
明日からの筋書きを書きなづみつつ渦に巻きおく髪重き日よ
アスカラノ スジガキヲカキ ナヅミツツ ウズニマキオク カミオモキヒヨ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.55
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (50)


02916
推しはかることのさびしさ帰り来て輪ゴムひとすぢ畳に拾ふ
オシハカル コトノサビシサ カエリキテ ワゴムヒトスヂ タタミニヒロフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.55
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (48)


02917
枝のない立ち木のやうにゐたりしがよみがへりたり髪を吹かれて
エダノナイ タチキノヤウニ ヰタリシガ ヨミガヘリタリ カミヲフカレテ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.55
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (33)


02918
散りつくすまでをと賭けて待つことも柘榴の花の照る赤さゆゑ
チリツクス マデヲトカケテ マツコトモ ザクロノハナノ テルアカサユヱ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.56
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (46)


02919
おろしたる旗をたたみゐる人の見ゆ風を利用して角そろへゆく
オロシタル ハタヲタタミヰル ヒトノミユ カゼヲリヨウシテ カドソロヘユク

『野分の章』(牧羊社 1978) p.56
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (47)


02920
鰭も持たず翼も持たず終るならむ長き刑期のごとき一生を
ヒレモモタズ ツバサモモタズ オワルナラム ナガキケイキノ ゴトキヒトヨヲ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.56
【初出】 『短歌研究』 1975.8 雨の坂 (49)