在り通ふ


02921
乾き易くなりしてのひら気にしつつ持つもの多く朝々を出づ
カワキヤスク ナリシテノヒラ キニシツツ モツモノオオク アサアサヲイヅ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.57
【初出】 『形成』 1975.11 「無題」 (1)


02922
何に使ふ石とも知れず運びたるいにしへびとに似て在り通ふ
ナンニツカフ イシトモシレズ ハコビタル イニシヘビトニ ニテアリカヨフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.57
【初出】 『形成』 1975.11 「無題」 (2)


02923
容易にはたれにもやめられぬ職場ならむ勤務表に名を入れつつ思ふ
ヨウイニハ タレニモヤメラレヌ ショクバナラム キンムヒョウニナヲ イレツツオモフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.58
【初出】 『形成』 1975.5 「無題」 (6)


02924
果たし来し仕事といふも敢へ無きに未だ灯ともす隣のビルは
ハタシコシ シゴトトイフモ アヘナキニ イマダヒトモス トナリノビルハ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.58
【初出】 『形成』 1975.11 「無題」 (4)


02925
雨傘に身を庇ひつつ歩みゐていつより蟹の匂ひをうとむ
アマガサニ ミヲカバヒツツ アユミヰテ イツヨリカニノ ニオヒヲウトム

『野分の章』(牧羊社 1978) p.58
【初出】 『形成』 1975.11 「無題」 (5)


02926
硬貨一枚握れるほどのこだはりと思ひなしつつ駅までの闇
コウカイチマイ ニギレルホドノ コダハリト オモヒナシツツ エキマデノヤミ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.59
【初出】 『短歌新聞』 1975.1 夏の終り (5)


02927
テラスより見おろす街も秋めきぬビルのあはひに白煙あがる
テラスヨリ ミオロスマチモ アキメキヌ ビルノアハヒニ ハクエンアガル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.59
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (1)


02928
台風の進路を示す矢印のかなたの海もあをくたそがれてゐむ
タイフウノ シンロヲシメス ヤジルシノ カナタノウミモアヲク タソガレテヰム

『野分の章』(牧羊社 1978) p.59
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (2)


02929
洗ひおきし葡萄は露を溜めてをり死にてもたれも褒めてはくれず
アラヒオキシ ブドウハツユヲ タメテヲリ シニテモタレモ ホメテハクレズ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.60
【初出】 『短歌新聞』 1975.1 夏の終り (4)


02930
苦しみも過ぎて思へばきれぎれに見たるドラマの画面のごとき
クルシミモ スギテオモヘバ キレギレニ ミタルドラマノ ガメンノゴトキ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.60
【初出】 『形成』 1975.11 「無題」 (6)


02931
堰を切りてなだるるごとき思ひよりふと浮き出でてこよひは眠る
セキヲキリテ ナダルルゴトキ オモヒヨリ フトウキイデテ コヨヒハネムル

『野分の章』(牧羊社 1978) p.60
【初出】 『形成』 1975.11 「無題」 (7)


02932
阻まれて目をあげしとき木のやうに伸びて茂れる山牛蒡立つ
ハバマレテ メヲアゲシトキ キノヤウニ ノビテシゲレル ヤマゴボウタツ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.61
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (4)


02933
街路樹の黄ばみ早きは何の木か屋根のみ見えてバスの行き交ふ
ガイロジュノ キバミハヤキハ ナンノキカ ヤネノミミエテ バスノユキカフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.61
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (5)


02934
待たれつつせかれつつなす宵々の荷造りといふもわが身に応ふ
マタレツツ セカレツツナス ヨイヨイノ ニヅクリトイフモ ワガミニコタフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.61
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (3)


02935
この部屋の矩形を全世界として出で入るはわが死人はらから
コノヘヤノ サシガタヲゼン セカイトシテ イデイルハワガ シニンハラカラ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.62
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (6)


02936
雨の夜の冷ゆる空気を嗅ぎてゐて古りつつ痛む傷かと思ふ
アメノヨノ ヒユルクウキヲ カギテヰテ フリツツイタム キズカトオモフ

『野分の章』(牧羊社 1978) p.62
【初出】 『形成』 1975.12 「無題」 (7)