遠景-離職あとさき


03956
うす雪の白くこごれるしづけさにあと幾朝と思ひつつ出づ
ウスユキノ シロクコゴレル シヅケサニ アトイクアサト オモヒツツイヅ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.36
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (1)


03957
雪のあとの木の間しづもり身の軽きものの足跡かそかに曳けり
ユキノアトノ コノマシヅモリ ミノカルキ モノノアシアト カソカニヒケリ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.37
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (2)


03958
登庁のかはりなければ三月後にやめゆくわれと人に知られず
トウチョウノ カハリナケレバ ミツキゴニ ヤメユクワレト ヒトニシラレズ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.37
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (3)


03959
一度にて点きしライター思はざる大きほのほを目の前に上ぐ
イチドニテ ツキシライター オモハザル オオキホノホヲ メノマエニアグ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.38
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (4)


03960
B4の紙片一枚回付され組織をまるごとゆさぶる日あり
ビーヨンノ シヘンイチマイ カイフサレ ソシキヲマルゴト ユサブルヒアリ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.38
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (5)


03961
狐ほどに痩せたる顔を持ち歩く夢ながながと見て夜の明けぬ
キツネホドニ ヤセタルカオヲ モチアルク ユメナガナガト ミテヨノアケヌ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.39
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (6)


03962
やめてゆく職場に在れば日毎日毎遠景となる書類の束も
ヤメテユク ショクバニアレバ ヒゴトヒゴト エンケイトナル ショルイノタバモ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.39
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (7)


03963
二十歳にて教員たりきこだはらぬ性にからくも勤め続けし
ハタチニテ キョウインタリキ コダハラヌ サガニカラクモ ツトメツヅケシ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.40
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (8)


03964
追ひ詰められし思ひにをれば目の前のパンジーの花も両眼を持つ
オヒツメラレシ オモヒニヲレバ メノマエノ パンジーノハナモ リョウガンヲモツ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.40
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (9)


03965
暇々に物縫ふならひいつとなく失せて買ひおく更紗も古りぬ
イトマイトマニ モノヌフナラヒ イツトナク ウセテカヒオク サラサモフリヌ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.41
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (10)


03966
目つぶしを投げて鬼よりのがれしが鬼の顔さへわれは見ざりき
メツブシヲ ナゲテオニヨリ ノガレシガ オニノカオサヘ ワレハミザリキ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.41
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (11)


03967
ユリア樹脂の羊歯あをあをと繁らせて装ほふことの限りも見え来
ユリアジュシノ シダアヲアヲト シゲラセテ ヨソホフコトノ カギリモミエク

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.42
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (12)


03968
流氷の寄せこむ春と言ふ聞けばわが待つ春にかさねて思ふ
リュウヒョウノ ヨセコムハルト イフキケバ ワガマツハルニ カサネテオモフ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.42
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (14)


03969
ゆく末に虹を見ぬとも決まりゐず光るコインのまろび出でくる
ユクスエニ ニジヲミヌトモ キマリヰズ ヒカルコインノ マロビイデクル

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.43
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (13)


03970
道々に思ひつづけしはかなごと目の前に来て木の立ちあがる
ミチミチニ オモヒツヅケシ ハカナゴト メノマエニキテ キノタチアガル

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.43
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (15)


03971
うたかたの職場におのれ尽くし来ぬ指のあはひを風の抜けゆく
ウタカタノ ショクバニオノレ ツクシキヌ ユビノアハヒヲ カゼノヌケユク

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.44
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (16)


03972
くらがりに時計を打つはたれの手か二階の部屋と気づきて寒し
クラガリニ トケイヲウツハ タレノテカ ニカイノヘヤト キヅキテサムシ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.44
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (17)


03973
生活の糧を得むのみに働くと思ひ見ざりき日々に気負ひて
セイカツノ カテヲエムノミニ ハタラクト オモヒミザリキ ヒビニキオヒテ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.45
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (18)


03974
しろじろとどこからも見ゆる明るさに喪の家の灯の夜すがら点る
シロジロト ドコカラモミユル アカルサニ モノイエノヒノ ヨスガラトモル

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.45
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (19)


03975
みひらかば大きなる目を逝きまして左合はせの白衣もやさし
ミヒラカバ オオキナルメヲ ユキマシテ ヒダリアハセノ ハクイモヤサシ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.46
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (20)


03976
生きをれば嘆くことのみあるものをいたく小さし柩の顔は
イキヲレバ ナゲクコトノミ アルモノヲ イタクチイサシ ヒツギノカオハ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.46
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (21)


03977
縛られつつ護られてもゐしわれならむ公務員とふ肩書失せぬ
シバラレツツ マモラレテモヰシ ワレナラム コウムイントフ カタガキウセヌ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.47
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (22)


03978
余すなく咲ける桜を仰ぎゐてかかるゆとりもわれに久しき
アマスナク サケルサクラヲ アオギヰテ カカルユトリモ ワレニヒサシキ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.47
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (23)


03979
野の空のいづこに落ち合ふ蝶ならむふはふはとしてとめどなく舞ふ
ノノソラノ イヅコニオチアフ チョウナラム フハフハトシテ トメドナクマフ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.48
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (24)


03980
大仰なしあはせなどは願はねどすこやかにしばしあらしめ給へ
オオギョウナ シアハセナドハ ネガハネド スコヤカニシバシ アラシメタマヘ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.48
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (25)


03981
妹の在らば停年まで働かむかかる思ひも痛みを誘ふ
イモウトノ アラバテイネンマデ ハタラカム カカルオモヒモ イタミヲサソフ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.49


03982
三枚のガラスを透かす角度にて花びらの如し黄の洋傘は
サンマイノ ガラスヲスカス カクドニテ ハナビラノゴトシ キノカウモリハ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.49
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (26)


03983
定期券を忘るることなどのなくてすむたつきのあるを知らで過ぎ来し
テイキケンヲ ワスルルコトナドノ ナクテスム タツキノアルヲ シラデスギコシ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.50
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (27)


03984
有楽町へ着くまで長し独りごとを言ひやまぬ人と隣りあはせて
ユウラクチョウヘ ツクマデナガシ ヒトリゴトヲ イヒヤマヌヒトト トナリアハセテ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.50
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (28)


03985
立ちどまり捨てし煙草を踏み消して去りゆくさまの映画めきたる
タチドマリ ステシタバコヲ フミケシテ サリユクサマノ エイガメキタル

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.51
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (29)


03986
青銅の像を見をれば胸板のつめたかりにし夜を忘れず
セイドウノ ゾウヲミヲレバ ムナイタノ ツメタカリニシ ヨルヲワスレズ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.51
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (30)


03987
あやとりをしてゐし夢にたれならむもうひとりゐし幼な子の影
アヤトリヲ シテヰシユメニ タレナラム モウヒトリヰシ オサナゴノカゲ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.52
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (31)


03988
湯のたぎる待ちて立ちゐていつよりかマッチを置かぬ厨と気づく
ユノタギル マチテタチヰテ イツヨリカ マッチヲオカヌ クリヤトキヅク

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.52
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (32)


03989
春の夜と思ふやさしさこぼしたる香水のあともすぐ乾きたり
ハルノヨト オモフヤサシサ コボシタル コウスイノアトモ スグカワキタリ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.53
【初出】 『埼玉歌人』 1982.7 紙の思ひ (1)


03990
わが持てるうらなひの本かの家に縞目さだかに育ちゆく猫
ワガモテル ウラナヒノホン カノイエニ シマメサダカニ ソダチユクネコ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.53
【初出】 『埼玉歌人』 1982.7 紙の思ひ (2)


03991
何のかたちにも折り得むにひろげたる紙のまま置く思ひと言はむ
ナンノカタチ ニモオリエムニ ヒロゲタル カミノママオク オモヒトイハム

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.54
【初出】 『埼玉歌人』 1982.7 紙の思ひ (3)


03992
沿線に春闌けにけむ勤めやめて桐の花など見られずなりぬ
エンセンニ ハルタケニケム ツトメヤメテ キリノハナナド ミラレズナリヌ

『印度の果実』(短歌新聞社 1986) p.54
【初出】 『短歌現代』 1982.6 遠景-離職あとさき (33)