いつか失ふ


04424
麦畑わづかに熟れてこの町に雲水などは見かけずなりぬ
ムギバタケ ワヅカニウレテ コノマチニ ウンスイナドハ ミカケズナリヌ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.112
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (1)


04425
昨日までトラックの来てゐしあたり松の花粉に染まる水あり
キノウマデ トラックノキテ ヰシアタリ マツノカフンニ ソマルミズアリ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.112
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (2)


04426
最短距離を知りゐるごとく音もなく渡りゆきたり小さき蛇は
サイタンキョリヲ シリヰルゴトク オトモナク ワタリユキタリ チイサキヘビハ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.113
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (3)


04427
春紫苑隙なく咲きて底無しの沼といへども陽に凪ぎわたる
ハルシオン スキナクサキテ ソコナシノ ヌマトイヘドモ ヒニナギワタル

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.113
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (4)


04428
思はざる視角に入りて弓なりに胴を伸ばしてゐる猫を見つ
オモハザル シカクニイリテ ユミナリニ ドウヲノバシテ ヰルネコヲミツ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.113
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (5)


04429
行く雲は捲き毛のやうにほぐれつつ一触即発のときも過ぎたり
ユククモハ マキゲノヤウニ ホグレツツ イッショクソクハツノ トキモスギタリ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.114
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (6)


04430
紺いろの皮膜となれる夜の空に飛び火のごとし白の水木は
コンイロノ ヒマクトナレル ヨノソラニ トビヒノゴトシ シロノミズキハ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.114
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (7)


04431
われの目もけものの如く光らむかまともに自転車のライトを浴びて
ワレノメモ ケモノノゴトク ヒカラムカ マトモニジテンシャノ ラントヲアビテ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.114
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (8)


04432
ひしひしと人の増えくる夢なりき石筍などの立つさまに似て
ヒシヒシト ヒトノフエクル ユメナリキ セキジュンナドノ タツサマニニテ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.115
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (9)


04433
手袋を濡らして寒く従きゆきし雪の一夜のありし忘れず
テブクロヲ ヌラシテサムク ツキユキシ ユキノヒトヨノ アリシワスレズ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.115
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (10)


04434
さまざまの物を載せ来してのひらにカリフォルニアのさくらんぼ置く
サマザマノ モノヲノセコシ テノヒラニ カリフォルニアノ サクランボオク

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.115
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (11)


04435
松葉杖は投げ出されゐて病み長き人の乱れを見し思ひせり
マツバヅエハ ナゲダサレヰテ ヤミナガキ ヒトノミダレヲ ミシオモヒセリ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.116
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (12)


04436
ペチュニアの目を射る赤さ見て過ぎて思へることのふと遠ざかる
ペチュニアノ メヲイルアカサ ミテスギテ オモヘルコトノ フトトオザカル

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.116
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (13)


04437
茹でし菜の根元そろへて泳がする鉢の真水の冷たさも良き
ユデシナノ ネモトソロヘテ オヨガスル ハチノマミズノ ツメタサモヨキ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.116
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (14)


04438
絹針をはこびて裾を絎けてゆくたのしみなどもいつか失ふ
キヌバリヲ ハコビテスソヲ クケテユク タノシミナドモ イツカウシナフ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.117
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (15)


04439
口少しあけて振り向く顔一つ絵巻のなかにありてあざむく
クチスコシ アケテフリムク カオヒトツ エマキノナカニ アリテアザムク

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.117
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (16)


04440
軍手せる大き手うごき白炭は骨の音してかき寄せられぬ
グンテセル オオキテウゴキ シロズミハ ホネノオトシテ カキヨセラレヌ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.117
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (17)


04441
色褪せてたるみゐにしが直立し青葱はみな花を揚げたり
イロアセテ タルミヰニシガ チョクリツシ アオネギハミナ ハナヲアゲタリ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.118
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (18)


04442
温水器の音と気づけどなほしばし地底の音のごとく続けり
オンスイキノ オトトキヅケド ナホシバシ チテイノオトノ ゴトクツヅケリ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.118
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (19)


04443
喉元まで水を満たして芍薬を活けて重たき壺となりたり
ノドモトマデ ミズヲミタシテ シャクヤクヲ イケテオモタキ ツボトナリタリ

『風の曼陀羅』(短歌研究社 1991) p.118
【初出】 『歌壇』 1987.9 いつか失ふ (20)