無題


06300
はるばると来しわれのため幾たびも言ひて曇れる入江を見しむ
ハルバルト キシワレノタメ イクタビモ イヒテクモレル イリエヲミシム

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06301
相輪のあたり煙ると思ふまで次第につのり塔に降る雨
ソウリンノ アタリケムルト オモフマデ シダイニツノリ トウニフルアメ

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06302
植ゑ呉れし人も来ずなりはじめての花低く咲く蛍石蕗に
ウヱクレシ ヒトモコズナリ ハジメテノ ハナヒククサク ホタルツワブキニ

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06303
迷ひたるのみに終れど幾日経て痩せしと思ふ指環抜くとき
マヨヒタル ノミニオワレド イクカヘテ ヤセシトオモフ ユビワヌクトキ

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06304
寄せ置ける落葉を鳴らす夕の雨俄かに秋の深む思ひす
ヨセオケル オチバヲナラス ユウノアメ ニワカニアキノ フカムオモヒス

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06305
昨日のことのやうに思へど白萩の倒れてゐしはいづこの道か
キノウノコトノ ヤウニオモヘド シラハギノ タオレテヰシハ イヅコノミチカ

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06306
二十年先のことなど言はれゐてわれにはさびし明日のことさへ
ニジュウネン サキノコトナド イハレヰテ ワレニハサビシ アスノコトサヘ

『形成』(形成発行所 1975.2) 第23巻2号(通巻262号) p.32


06307
出おくれてひそめる鳩の如き日か風出でてまた棕梠の葉が鳴る
デオクレテ ヒソメルハトノ ゴトキヒカ カゼイデテマタ シュロノハガナル

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06308
昼も夜も竹の落ち葉を聴くのみの日日と告げくるまれの便りに
ヒルモヨモ タケノオチバヲ キクノミノ ヒビトツゲクル マレノタヨリニ

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06309
伴ひて渚に貝を拾ひつつ訛りのとれしわれをさびしむ
トモナヒテ ナギサニカイヲ ヒロヒツツ ナマリノトレシ ワレヲサビシム

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06310
音もなく舞ひくる雪の幾ひらはしばしとどまるコートの胸に
オトモナク マヒクルユキノ イクヒラハ シバシトドマル コートノムネニ

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06311
二重硝子のかなたさわだち帰らざる時を刻むか寄する波さへ
ニジュウガラスノ カナタサワダチ カエラザル トキヲキザムカ ヨスルナミサヘ

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06312
曇りのまま日は暮れむとし灰いろの布一枚となる冬の海
クモリノママ ヒハクレムトシ ハイイロノ ヌノイチマイト ナルフユノウミ

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06313
辞めてどうなる当もなき身にいつまでも退職願の汚れしを持つ
ヤメテドウナル アテモナキミニ イツマデモ タイショクネガイノ ヨゴレシヲモツ

『形成』(形成発行所 1975.3) 第23巻3号(通巻263号) p.5


06314
手を使ふ職場と思ふ指の先割るる季節のはやめぐり来て
テヲツカフ ショクバトオモフ ユビノサキ ワルルキセツノ ハヤメグリキテ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06315
耳もとを去らずめぐるは今朝見たる石蕗にゐし蜂かも知れず
ミミモトヲ サラズメグルハ ケサミタル ツワブキニヰシ ハチカモシレズ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06316
ウインドウに売れ残りゐる湖の絵にも降りゐむこよひの雪は
ウインドウニ ウレノコリヰル ミズウミノ エニモフリヰム コヨヒノユキハ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06317
穂に立ちて照りゐし朱美今朝あらず南天はうすく雪を溜めつつ
ホニタチテ テリヰシアケミ ケサアラズ ナンテンハウスク ユキヲタメツツ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06318
背後よりきらめく波を見たるのみ寒かりし海の記憶も古りぬ
ハイゴヨリ キラメクナミヲ ミタルノミ サムカリシウミノ キオクモフリヌ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06319
生き死にもさだかならぬに夢に来てわれをさいなむ昔のままに
イキシニモ サダカナラヌニ ユメニキテ ワレヲサイナム ムカシノママニ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06320
木枯のなか行くときに身に沁みてわが持つ傷よ千の過失よ
コガラシノ ナカユクトキニ ミニシミテ ワガモツキズヨ センノカシツヨ

『形成』(形成発行所 1975.4) 第23巻4号(通巻264号) p.27


06321
戻り来てドアとざすときわが庭の沈丁の花はいまだ匂はず
モドリキテ ドアトザストキ ワガニワノ ジンチョウノハナハ イマダニオハズ

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06322
気負ひてなす仕事の如し文房具のくさぐさを身の回りに置きて
キオヒテナス シゴトノゴトシ ブンボウグノ クサグサヲミノ マワリニオキテ

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06323
人の持つ生活は知らず訪ね来て口数多きはどのやうな日か
ヒトノモツ セイカツハシラズ タズネキテ クチカズオオキハ ドノヤウナヒカ

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06324
縫ひあげてふたたびさびし待針を色分にして挿し直しつつ
ヌヒアゲテ フタタビサビシ マチバリヲ イロワケニシテ サシナオシツツ

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06325
呼ばれたる車に乗りぬ陥穽はわが内にのみあると思ひて
ヨバレタル クルマニノリヌ カンセイハ ワガウチニノミ アルトオモヒテ

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06326
容易には誰もやめられぬ職場ならむ勤務表に名を入れつつ思ふ
ヨウイニハ タレモヤメラレヌ ショクバナラム キンムヒョウニナヲ イレツツオモフ

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06327
雪どけの水たまり一ついつ見たる古りし鏡の如くくぐもる
ユキドケノ ミズタマリヒトツ イツミタル フリシカガミノ ゴトククグモル

『形成』(形成発行所 1975.5) 第23巻5号(通巻265号) p.5


06328
洗ひたるレースの花を整へつつ何して見ても手の渇く日よ
アラヒタル レースノハナヲ トトノヘツツ ナニシテミテモ テノカワクヒヨ

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.4


06329
砂利掬ふ音は粗しと聞きながらかきまぜらるる如くにゐしか
ジャリスクフ オトハアラシト キキナガラ カキマゼラルル ゴトクニヰシカ

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.5


06330
破りたる約束に似む景品のダリアの種も蒔かずに終る
ヤブリタル ヤクソクニニム ケイヒンノ ダリアノタネモ マカズニオワル

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.5


06331
牙のあるけものの夜々に通ふとふ道をおほひて深き笹原
キバノアル ケモノノヨヨニ カヨフトフ ミチヲオホヒテ フカキササハラ

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.5


06332
公園の柵を出づれば風の坂白鳥ならぬ身はバスを待つ
コウエンノ サクヲイヅレバ カゼノサカ ハクチョウナラヌ ミハバスヲマツ

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.5


06333
人と会ふ仕事なしつつ口腔の荒れゐる意識をりをり還る
ヒトトアフ シゴトナシツツ コウクウノ アレヰルイシキ ヲリヲリカエル

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.5


06334
檜葉垣の秀の黄に萌えてゆらぐさま硝子戸ごしに花の如しも
ヒバガキノ ホノキニモエテ ユラグサマ ガラスドゴシニ ハナノゴトシモ

『形成』(形成発行所 1975.6) 第23巻6号(通巻266号) p.5


06335
乾き易くなりしてのひら気にしつつ持つもの多く朝々を出づ
カワキヤスク ナリシテノヒラ キニシツツ モツモノオオク アサアサヲイヅ

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06336
何に使ふ石とも知らず運びたるいにしへびとに似て在り通ふ
ナンニツカフ イシトモシラズ ハコビタル イニシヘビトニ ニテアリカヨフ

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06337
残像の消えがたき日と思ひたり萼のみとなれる桜を見つつ
ザンゾウノ キエガタキヒト オモヒタリ ガクノミトナレル サクラヲミツツ

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06338
果たし来し仕事といふも敢へ無きにいまだ灯ともす隣のビルは
ハタシコシ シゴトトイフモ アヘナキニ イマダヒトモス トナリノビルハ

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06339
雨傘に身を庇ひつつ歩みゐていつより蟹の匂ひをうとむ
アマガサニ ミヲカバヒツツ アユミヰテ イツヨリカニノ ニオヒヲウトム

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06340
苦しみも過ぎて思へばきれぎれに見たるドラマの画面のごとき
クルシミモ スギテオモヘバ キレギレニ ミタルドラマノ ガメンノゴトキ

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06341
堰を切りなだるる如き思ひよりふと浮き出でてこよひは眠る
セキヲキリ ナダルルゴトキ オモヒヨリ フトウキイデテ コヨヒハネムル

『形成』(形成発行所 1975.11) 第23巻11号(通巻271号) p.6


06342
テラスより見おろす街も秋めきぬビルのあはひに白煙あがる
テラスヨリ ミオロスマチモ アキメキヌ ビルノアハヒニ ハクエンアガル

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5


06343
台風の進路を示す矢印のかなたの海もあをくたそがれてゐむ
タイフウノ シンロヲシメス ヤジルシノ カナタノウミモアヲク タソガレテヰム

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5


06344
待たれつつせかれつつなす宵々の荷作といふもわが身に応ふ
マタレツツ セカレツツナス ヨイヨイノ ニヅクリトイフモ ワガミニコタフ

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5


06345
阻まれて目をあげしとき木のやうに伸びて茂れる山牛蒡立つ
ハバマレテ メヲアゲシトキ キノヤウニ ノビテシゲレル ヤマゴボウタツ

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5


06346
街路樹の黄ばみ早きは何の木か屋根のみ見えてバスの行き交ふ
ガイロジュノ キバミハヤキハ ナンノキカ ヤネノミミエテ バスノユキカフ

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5


06347
この部屋の矩形を全世界として出で入るはわが死人はらから
コノヘヤノ サシガタヲゼン セカイトシテ イデイルハワガ シビトハラカラ

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5


06348
雨の夜の冷ゆる空気を嗅ぎてゐて古りつつ痛む傷かと思ふ
アメノヨノ ヒユルクウキヲ カギテヰテ フリツツイタム キズカトオモフ

『形成』(形成発行所 1975.12) 第23巻12号(通巻272号) p.5