無題

ねぢ釘をみどり児を庇はむと事務室のはかどらぬ粉チーズ四日目の甲虫のかすかなるあたたかき天気予報を夜の海に吊られゐるパパイアの抜け道を蜂蜜の山の桜のみちのくの古びたる賜びにしはポストへ寄らむ湖を盂蘭盆のあるを願ひ堕ちてゆく存在が亡き人にいそしみてコップのなかの秋の日の綿の雪ぬけ出でて照準の人づてに惑はしの吹き荒れし守られて急速にこの家の行跡をシベリアの人の持つ汚染に強きかぐはしき怖るるを切りかへす実験室に掘りあげむなりはひとヒッピーのどうなるか買ふ方がこだはればしろじろとクイーンの別れたる降りやまぬエアカーテンの思ひきり地下道に物憂くて横にうごく平安の喪の家を見てはならぬ思惑の珊瑚礁とゆとりあらば暑き夜によぢのぼり意識して山里は五線譜をスパカコール旅に出づるあかあかとなすことのいにしへの簡潔に赤錆びのいつまでもさまざまに人の声の九回目も錯覚にまたぎきに全きを三歳のたれの吹くとどこほる思はざるしろじろと砂などの生者死者かなたなる構へたるとのぐもるとざされて菜を漬けてわが書けるさまざまの俯瞰して待ち長き生きもののひとすぢの角印をいつとなく落ち葉焚くくぐもりてかりそめに突き刺して一日は反射的に片仮名に兵隊のはろばろと足垂りて雲がゆきほきほきと体ごと白檀の黄ばみたる残業を用の済み再びも一人分と風落ちて明日の日を宴のあと落ち入らむ雨あとのストーブを花びらの近づきて全身のうつ向きて秋草の返り咲くわが身より坂道に描きかけて寄せ植ゑに夜の更けにいつ見たる喪の家を亡き父も遠縁に病院へふくよかに春の雲の夜の汽車に胸ふたぎ面壁とは声立てずマンゴーの音もなく桜桃のいづこなる太々と目覚ましの絨緞に背後などタクシーの人の手に分れ道とふ雨あとは横文字をあたたかきつぎつぎに母のいまさばはろばろと火をつけてループタイに人の声透明の襟もとを明けそめて一枚の昼過ぎて隣室の雲を見て誰がための渋滞の病院を親猫と全開の旅行きてくくり椿降り出づるケニアなどいつとなく新米とふるさとを病室は点滴の浮世絵の横顔の手の届く暖房の言ひつのるいくひらの似かよへる旅先の白梅は亡きあとの黄の花の日曜は花も葉もゆるやかにしはぶける夜の鳥のいまだ見ぬわが住むはバスに見てわれの道しろじろと絵本見て稚魚あまた人の持つ釣り人のいつの日のつね仰ぐ幾つものしろじろと未だ雪の山あひの能登の浦は旅人と堂深く若草いろのそれぞれの蕗の葉のくろぐろと目の下に人の声言ひ出づるゆで玉子を夜に入りて肩のへの野菜籠を乾きたる銀いろの香水のむらさきにふるさとに傍らに眠られぬ指先の幾重にも敷き置ける古傷を電線の働きてもみぢして背後より抜け穴の誇張されて年の瀬のこもりゐのオルゴールひっそりと買ひ戻す一気に遠きいつ使ふ焼け跡を会釈して枯れ草の救はるるひと刷毛の嘆きつつ桟橋の坂道をもやもやに胡蝶蘭のひとりゆく春の夜の落葉松の水濁る旦夕に急がねば石仏の声あげて先生のみ柩にみそなはし仕へたる東京へわれのみのゆるやかに何を売る精霊舟のいくばくを逃げ水の日ぐれとも断ちがたく標高を花の香に駅の名をみちのくの曲り家は美容院の腕力もドアの外は限られし似合ふとふ起き出でて曼珠沙華の傾きて熱気球は返り咲く砂山を吊り皮に先生の早馬を人形の石鹸の結論のナレーションの方向音痴の持ちあがらぬ水玉を目分量の道の上に持ち時間春の日は土手の上をバスの来て東京の日本はいくたりを十四年しづかなるうづもるる夕焼けを遠景に行き違ひにかなしみのつらなれる桐の実の植ゑぬ田の病むことは駅前に風邪に寝て黒豆を好奇心のこみあへる乱るるは幾月かユツカ蘭の夕焼けに背後より呼びとめてリラの雨気にかかりつねよりも一滴のマニキュアをかなしみの眠られぬ行き止りに砂利はじく気のつけば病みをればうす味のゆるみゐるつくばひにちぎり絵を

06464
ねぢ釘を探す箱より出でて来て何の鍵とも知れず小さし
ネヂクギヲ サガスハコヨリ イデテキテ ナンノカギトモ シレズチイサシ

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06465
みどり児をいだく重みもわが知らず帳簿かかへて廊を往き来す
ミドリゴヲ イダクオモミモ ワガシラズ チョウボカカヘテ ロウヲユキキス

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06466
庇はむと思へるひまにあらだてて人はうとましき性分を持つ
カバハムト オモヘルヒマニ アラダテテ ヒトハウトマシキ ショウブンヲモツ

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06467
事務室の外はまた雨直ちには答へぬ習ひいつよりか持つ
ジムシツノ ソトハマタアメ タダチニハ コタヘヌナラヒ イツヨリカモツ

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06468
はかどらぬこよひの仕事不揃ひの紙の裁ち目の気になりてゐて
ハカドラヌ コヨヒノシゴト フゾロヒノ カミノタチメノ キニナリテヰテ

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06469
粉チーズ砕きて振りてグラタンの皿を使ふも幾月ぶりか
コナチーズ クダキテフリテ グラタンノ サラヲツカフモ イクツキブリカ

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06470
四日目の夕に熱の引きて醒む何も歎かず経し百時間
ヨッカメノ ユウベニネツノ ヒキテサム ナニモナゲカズ ヘシヒャクジカン

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06471
甲虫の如くにもがきゐしわれも見てゐたる貌も覚むればあらぬ
コウチュウノ ゴトクニモガキ ヰシワレモ ミテヰタルカオモ サムレバアラヌ

『形成』(形成発行所 1978.5) 第26巻5号(通巻301号) p.4


06472
かすかなる花粉の匂ひ地に湧くと夜のくらがりを行くとき思ふ
カスカナル カフンノニオヒ チニワクト ヨノクラガリヲ ユクトキオモフ

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06473
あたたかき夜霧のかなた街の灯は粒子撒きたるさまに散らばる
アタタカキ ヨギリノカナタ マチノヒハ リュウシマキタル サマニチラバル

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06474
天気予報を聞かむラジオは夜桜につどふこよひの人出を伝ふ
テンキヨホウヲ キカムラジオハ ヨザクラニ ツドフコヨヒノ ヒトデヲツタフ

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06475
夜の海に降り込む雪を思ひゐていつしか眠る病みて十日目
ヨノウミニ フリコムユキヲ オモヒヰテ イツシカネムル ヤミテトオカメ

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06476
吊られゐるもののさびしさ店先のレインコートの裾ひるがへる
ツラレヰル モノノサビシサ ミセサキノ レインコートノ スソヒルガヘル

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06477
パパイアの持ち重りするたのしさも長く続かず混むバスにゐて
パパイアノ モチオモリスル タノシサモ ナガクツヅカズ コムバスニヰテ

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06478
抜け道を探してゐしか夢のなかのわれは諦め易くくぐまる
ヌケミチヲ サガシテヰシカ ユメノナカノ ワレハアキラメ ヤスククグマル

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06479
蜂蜜の底のこごりもゆるみ来としたたらせをりケーキの上に
ハチミツノ ソコノコゴリモ ユルミクト シタタラセヲリ ケーキノウエニ

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06480
山の桜のみごろを知らせ来し手紙持ち歩みつつ四月も過ぎむ
ヤマノサクラノ ミゴロヲシラセ コシテガミ モチアユミツツ シガツモスギム

『形成』(形成発行所 1978.6) 第26巻6号(通巻302号) p.4


06481
みちのくの干潟思へば草の穂も秋の気流になびかふころか
ミチノクノ ヒガタオモヘバ クサノホモ アキノキリュウニ ナビカフコロカ

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.4


06482
古びたるメジャーの狂ふことなくてほどよく決まる釦の位置は
フルビタル メジャーノクルフ コトナクテ ホドヨクキマル ボタンノイチハ

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.5


06483
賜びにしは花の賑はふ鉢なりき葉のみしげれる秋のベゴニア
タビニシハ ハナノニギハフ ハチナリキ ハノミシゲレル アキノベゴニア

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.5


06484
ポストへ寄らむ為に数分早出して見知らぬ人とバスを待ちあふ
ポストヘヨラム タメニスウフン ハヤデシテ ミシラヌヒトト バスヲマチアフ

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.5


06485
湖をめぐる短き旅も果たし得ず今年の秋のはやく更けゆく
ミズウミヲ メグルミジカキタビモ ハタシエズ コトシノアキノ ハヤクフケユク

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.5


06486
盂蘭盆の終らむとして年々におとなひ呉るる人も移ろふ
ウラボンノ オワラムトシテ ネンネンニ オトナヒクルル ヒトモウツロフ

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.5


06487
あるを願ひあらぬを知りてゆく日々に返り花咲く額紫陽花は
アルヲネガヒ アラヌヲシリテ ユクヒビニ カエリバナサク ガクアジサイハ

『形成』(形成発行所 1978.10) 第26巻10号(通巻306号) p.5


06488
堕ちてゆく思まざまざと身にあるを思のみにて終へしめむとす
オチテユク オモイマザマザト ミニアルヲ オモイノミニテ オヘシメムトス

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06489
存在が即罪悪と畏れたる若き日ありき雪深かりき
ソンザイガ ソクザイアクト オソレタル ワカキヒアリキ ユキフカカリキ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06490
亡き人に庇はれて今もあるならむあはれまれてもあらむと思ふ
ナキヒトニ カバハレテイマモ アルナラム アハレマレテモ アラムトオモフ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06491
いそしみていそしみてなほ足らざるは時間のごとし力のごとし
イソシミテ イソシミテナホ タラザルハ ジカンノゴトシ チカラノゴトシ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06492
コップのなかの嵐と思ひ至るまで時間をかけて苦しむあはれ
コップノナカノ アラシトオモヒ イタルマデ ジカンヲカケテ クルシムアハレ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06493
秋の日の澄み徹りゐる道を行き神隠しにわが遇ふにもあらず
アキノヒノ スミトオリヰル ミチヲユキ カミガクシニワガ アフニモアラズ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06494
綿の雪しろじろとまとふ空間を俳優ひとり立ち去りゆけり
ワタノユキ シロジロトマトフ クウカンヲ ハイユウヒトリ タチサリユケリ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06495
ぬけ出でていづくへ行かむ月明にひとすぢ光る水路のあらば
ヌケイデテ イヅクヘユカム ゲツメイニ ヒトスヂヒカル スイロノアラバ

『形成』(形成発行所 1978.11) 第26巻11号(通巻307号) p.4


06496
照準の不意に定まりくれなゐに芙蓉の花の咲く道に出づ
ショウジュンノ フイニサダマリ クレナヰニ フヨウノハナノ サクミチニイヅ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.4


06497
人づてに聞きたることのあやなすをたしなめて雨の陸橋を越ゆ
ヒトヅテニ キキタルコトノ アヤナスヲ タシナメテアメノ リッキョウヲコユ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.4


06498
惑はしの声のごとしもゆく末をつくづくと思ひ見よといふ声
マドハシノ コエノゴトシモ ユクスエヲ ツクヅクトオモヒ ミヨトイフコエ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.4


06499
吹き荒れし嵐なりしがこのままを往けよと如く落ち葉が匂ふ
フキアレシ アラシナリシガ コノママヲ ユケヨトゴトク オチバガニオフ

『形成』(形成発行所 1987.12) 第26巻12号(通巻308号) p.4


06500
守られて生きたる日なきわが上にいたくやさしきいざなひの声
マモラレテ イキタルヒナキ ワガウエニ イタクヤサシキ イザナヒノコエ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.4


06501
急速に興味失ひゆくことの失意に似つつ別れ来りぬ
キュウソクニ キョウミウシナヒ ユクコトノ シツイニニツツ ワカレキタリヌ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.4


06502
この家の二度目の冬に入らむとし今朝よりはボアの上衣を纒ふ
コノイエノ ニドメノフユニ イラムトシ ケサヨリハボアノ ウワギヲマトウ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.5


06503
行跡を晦ますと謂へりわが日々に晦ますほどのこともなし得ぬ
ギョウセキヲ クラマストイヘリ ワガヒビニ クラマスホドノ コトモナシエヌ

『形成』(形成発行所 1978.12) 第26巻12号(通巻308号) p.5


06504
シベリアの冬を思ふは囚はれて橇に乗りたる記憶のごとし
シベリアノ フユヲオモフハ トラハレテ ソリニノリタル キオクノゴトシ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06505
人の持つさびしさは知らぬゆきずりに暗かりし顔の暫し離れず
ヒトノモツ サビシサハシラヌ ユキズリニ クラカリシカオノ シバシハナレズ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06506
汚染に強き植物といふ坂の上の篠懸もいつか色づきて来ぬ
オセンニツヨキ ショクブツトイフ サカノウエノ シノカケモイツカ イロヅキテキヌ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06507
かぐはしきブバリアの束花嫁の持つ花と言ひて供華に賜ひぬ
カグハシキ ブバリアノタバ ハナヨメノ モツハナトイヒテ クゲニタマヒヌ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06508
怖るるを知るはいつの日幼な子は蛇のかたちをゑがきて倦まず
オソルルヲ シルハイツノヒ オサナゴハ ヘビノカタチヲ ヱガキテウマズ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06509
切りかへす言葉を包みゐる日々にまざまざと錆びてゆく刃見ゆ
キリカヘス コトバヲツツミ ヰルヒビニ マザマザトサビテ ユクヤイバミユ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06510
実験室にガラスの光る秤見え何の重さかはかられむとす
ジッケンシツニ ガラスノヒカル ハカリミエ ナンノオモサカ ハカラレムトス

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06511
掘りあげむ球根一つあらぬこと思ひてありて百舌に鳴かれつ
ホリアゲム キュウコンヒトツ アラヌコト オモヒテアリテ モズニナカレツ

『形成』(形成発行所 1979.1) 第27巻1号(通巻309号) p.4


06512
なりはひと割切りて言ふ声聞けば恥多くしてわれら働く
ナリハヒト ワリキリテイフ コエキケバ ハジオオクシテ ワレラハタラク

『形成』(形成発行所 1979.2) 第27巻2号(通巻310号) p.4


06513
ヒッピーの起は十年前と言へりながく生くればさまざまに遇ふ
ヒッピーノ オコリハジュウネン マエトイヘリ ナガクイクレバ サマザマニアフ

『形成』(形成発行所 1979.2) 第27巻2号(通巻310号) p.4


06514
どうなるか胸騒して聞きゐしが言へば気のすむことかも知れず
ドウナルカ ムナサワギシテ キキヰシガ イヘバキノスム コトカモシレズ

『形成』(形成発行所 1979.2) 第27巻2号(通巻310号) p.4


06515
買ふ方が早からむなどさびしむに手袋の片方未だ出で来ず
カフホウガ ハヤカラムナド サビシムニ テブクロノカタホウ イマダイデコズ

『形成』(形成発行所 1979.2) 第27巻2号(通巻310号) p.4


06516
こだはれば眠れざらむと知りてをり書棚から文庫本一冊を抜く
コダハレバ ネムレザラムト シリテヲリ ショダナカラブンコボン イッサツヲヌク

『形成』(形成発行所 1979.2) 第27巻2号(通巻310号) p.4


06517
しろじろとさびしき夢を見るならむ風邪の薬の誘ふ眠に
シロジロト サビシキユメヲ ミルナラム カゼノクスリノ サソフネムリニ

『形成』(形成発行所 1979.2) 第27巻2号(通巻310号) p.4


06518
クイーンの切手貼られて届く手紙雪の故国を恋ふると告げて
クイーンノ キッテハラレテ トドクテガミ ユキノココクヲ コフルトツゲテ

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06519
別れたる死にたる人らみな若くをりをりの夢に入り来るはよき
ワカレタル シニタルヒトラ ミナワカク ヲリヲリノユメニ イリクルハヨキ

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06520
降りやまぬ雪に思へば運命を分けたるごとき一夜さありき
フリヤマヌ ユキニオモヘバ ウンメイヲ ワケタルゴトキ ヒトヨサアリキ

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06521
エアカーテンの遮る外気いくばくか八時間労働われに始まる
エアカーテンノ サエギルガイキ イクバクカ ハチジカンロウドウ ワレニハジマル

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06522
思ひきりそれてゆきたき衝動を抑へつつゐて人に知られず
オモヒキリ ソレテユキタキ ショウドウヲ オサヘツツヰテ ヒトニシラレズ

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06523
地下道に雨を避けつつ歩みゐて言葉すくなし伴ふ人も
チカドウニ アメヲサケツツ アユミヰテ コトバスクナシ トモナフヒトモ

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06524
物憂くて幾日ありけむ今宵よりは巻き込まれゆかむ仕事の渦に
モノウクテ イクヒアリケム コヨイヨリハ マキコマレユカム シゴトノウズニ

『形成』(形成発行所 1979.4) 第27巻4号(通巻312号) p.16


06525
横にうごくものばかりなるやましさに街は夕の影深めゆく
ヨコニウゴク モノバカリナル ヤマシサニ マチハユウベノ カゲフカメユク

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06526
平安の待つわが家とも決まりゐず署名なき手紙今日は来てゐる
ヘイアンノ マツワガヤトモ キマリヰズ ショメイナキテガミ キョウハキテヰル

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06527
喪の家を示す矢印いつよりか貼られゐて見知れる苗字を記す
モノイエヲ シメスヤジルシ イツヨリカ ハラレヰテミシレル ミョウジヲシルス

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06528
見てはならぬ場面の如し床の間の菖蒲にわが目をしばし遊ばす
ミテハナラヌ バメンノゴトシ トコノマノ ショウブニワガメヲ シバシアソバス

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06529
思惑の渦なすなかに身は置きてとりとめのなきわれと知られず
オモワクノ ウズナスナカニ ミハオキテ トリトメノナキ ワレトシラレズ

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06530
珊瑚礁といへる明るき海域は思ふのみにて訪ふ日も無けむ
サンゴショウト イヘルアカルキ カイイキハ オモフノミニテ トフヒモナケム

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06531
ゆとりあらば何なすならむか金銭の遊びといふをわれは好まず
ユトリアラバ ナニナスナラムカ キンセンノ アソビトイフヲ ワレハコノマズ

『形成』(形成発行所 1979.7) 第27巻7号(通巻315号) p.4


06532
暑き夜に見し夢のなか光る目をのぞかせてわれはアラブの女
アツキヨニ ミシユメノナカ ヒカルメヲ ノゾカセテワレハ アラブノオンナ

『形成』(形成発行所 1979.9) 第27巻9号(通巻317号) p.5


06533
よぢのぼり塀をこえたる瞬間にまぶしきライト浴びて目ざめつ
ヨヂノボリ ヘイヲコエタル シュンカンニ マブシキライト アビテメザメツ

『形成』(形成発行所 1979.9) 第27巻9号(通巻317号) p.5


06534
意識してへだてがましくなすことも今のひとりを守らむがため
イシキシテ ヘダテガマシク ナスコトモ イマノヒトリヲ マモラムガタメ

『形成』(形成発行所 1979.9) 第27巻9号(通巻317号) p.5


06535
山里は人かげあらず石仏をただの石のごとく道ばたに置く
ヤマザトハ ヒトカゲアラズ セキブツヲ タダノイシノゴトク ミチバタニオク

『形成』(形成発行所 1979.9) 第27巻9号(通巻317号) p.5


06536
五線譜をたどりつつ歌ふ少女ゐてロシア民謡らしくなりゆく
ゴセンフヲ タドリツツウタフ ショウジョヰテ ロシアミンヨウ ラシクナリユク

『形成』(形成発行所 1979.9) 第27巻9号(通巻317号) p.6


06537
スパカコール鏤めてゆく指先のわが手ともなくこまかにうごく
スパンコール チリバメテユク ユビサキノ ワガテトモナク コマカニウゴク

『形成』(形成発行所 1979.9) 第27巻9号(通巻317号) p.6


06538
旅に出づる錯覚などは持ちがたし今朝もこみあふ東北線は
タビニイヅル サッカクナドハ モチガタシ ケサモコミアフ トウホクセンハ

『形成』(形成発行所 1979.10) 第27巻10号(通巻318号) p.4


06539
あかあかと昼もともして人はみな古りにし傷を庇ひ働く
アカアカト ヒルモトモシテ ヒトハミナ フリニシキズヲ カバヒハタラク

『形成』(形成発行所 1979.10) 第27巻10号(通巻318号) p.4


06540
なすことのなべてよぢれてゆく如き思ひに仰ぐもじずりの花
ナスコトノ ナベテヨヂレテ ユクゴトキ オモヒニアオグ モジズリノハナ

『形成』(形成発行所 1979.10) 第27巻10号(通巻318号) p.4


06541
いにしへの葡萄文様を雲に見て電車にゐたり土曜の午後は
イニシヘノ ブドウモンヨウヲ クモニミテ デンシャニヰタリ ドヨウノゴゴハ

『形成』(形成発行所 1979.10) 第27巻10号(通巻318号) p.4


06542
簡潔にくらさむとのみ願ひ来て壁に貼リおくルオーも古りぬ
カンケツニ クラサムトノミ ネガヒキテ カベニハリオク ルオーモフリヌ

『形成』(形成発行所 1979.10) 第27巻10号(通巻318号) p.5


06543
赤錆びの砂漠ばかりをこえゆきて夢にも人に会ふ日はあらず
アカサビノ サバクバカリヲ コエユキテ ユメニモヒトニ アフヒハアラズ

『形成』(形成発行所 1979.10) 第27巻10号(通巻318号) p.5


06544
いつまでも空一面に貼られゐて鱗の光りあふごとき雲
イツマデモ ソライチメンニ ハラレヰテ ウロコノヒカリ アフゴトキクモ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06545
さまざまに願ひたゆたひ木の如く豊かに立つといふ日もあらず
サマザマニ ネガヒタユタヒ キノゴトク ユタカニタツト イフヒモアラズ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06546
人の声の弾みてゐるに合はせつつ次第に合はせにくくなりゆく
ヒトノコエノ ハズミテヰルニ アハセツツ シダイニアハセ ニククナリユク

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06547
九回目も勝ちしボクサー今はただ休みたしとのみ言へりと伝ふ
キュウカイメモ カチシボクサー イマハタダ ヤスミタシトノミ イヘリトツタフ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06548
錯覚にすぎざりしことのよみがへる曇る眼鏡を拭きつつをれば
サッカクニ スギザリシコトノ ヨミガヘル クモルメガネヲ フキツツヲレバ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06549
またぎきに聞くわが言葉胴体を拭き抜けてゆく声の如しも
マタギキニ キクワガコトバ ドウタイヲ フキヌケテユク コエノゴトシモ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06550
全きを願ふならねど築きてはまた崩す塔のごとき仕事よ
マッタキヲ ネガフナラネド キズキテハ マタクズストウノ ゴトキシゴトヨ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06551
三歳の児の父といへりねたましきまでに燿ひサーブを打てり
サンサイノ コノチチトイヘリ ネタマシキ マデニカガヨヒ サーブヲウテリ

『形成』(形成発行所 1980.1) 第28巻1号(通巻321号) p.17


06552
たれの吹くフルートならむ光りつつ亀裂を伝ふ水を思はす
タレノフク フルートナラム ヒカリツツ キレツヲツタフ ミズヲオモハス

『形成』(形成発行所 1980.2) 第28巻2号(通巻322号) p.5


06553
とどこほる思考のなかに入り来て不意に口あく納蘇利の面は
トドコホル シコウノナカニ ハイリキテ フイニクチアク ナソリノメンハ

『形成』(形成発行所 1980.2) 第28巻2号(通巻322号) p.5


06554
思はざるゆとりの如し菜を洗ひ湯のたぎる待つしばしの間
オモハザル ユトリノゴトシ ナヲアラヒ ユノタギルマツ シバシノアイダ

『形成』(形成発行所 1980.2) 第28巻2号(通巻322号) p.5


06555
しろじろと乾く日多き県道も土の色なす時雨のあとを
シロジロト カワクヒオオキ ケンドウモ ツチノイロナス シグレノアトヲ

『形成』(形成発行所 1980.2) 第28巻2号(通巻322号) p.5


06556
砂などの濡れて詰まれる重さかと晴れぬ思ひを運びて帰る
スナナドノ ヌレテツマレル オモサカト ハレヌオモヒヲ ハコビテカエル

『形成』(形成発行所 1980.2) 第28巻2号(通巻322号) p.5


06557
生者死者あまたの声に呼ばはれて騒然とあり夢の醒めぎは
ショウジャシシャ アマタノコエニ ヨバハレテ ソウゼントアリ ユメノサメギハ

『形成』(形成発行所 1980.2) 第28巻2号(通巻322号) p.5


06558
かなたなる海の入り日にきはだちて大き寝釈迦の如し砂丘は
カナタナル ウミノイリヒニ キハダチテ オオキネシャカノ ゴトシサキュウハ

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06559
構へたる歩みとなりぬ速力をおとして迫る車のあれば
カマヘタル アユミトナリヌ ソクリョクヲ オトシテセマル クルマノアレバ

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06560
とのぐもる空のいづくかに月ありて背すぢ光らせ犬の集まる
トノグモル ソラノイヅクカニ ツキアリテ セスヂヒカラセ イヌノアツマル

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06561
とざされて幾日ありけむ目の前の氷を割らば何か出づるや
トザサレテ イクヒアリケム メノマエノ コオリヲワラバ ナニカイヅルヤ

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06562
菜を漬けて目分量の塩を打ちゆくにほどよくくぼむこの掌は
ナヲツケテ メブンリョウノ シオヲウチ ユクニホドヨク クボムコノテハ

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06563
わが書ける図書館のニュース広報に読みて心の開くもあはれ
ワガカケル トショカンノニュース コウホウニ ヨミテココロノ ヒラクモアハレ

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06564
さまざまの匂ひ嗅ぎ分け生きて来しわれかと思ふ蘭を嗅ぎつつ
サマザマノ ニオヒカギワケ イキテコシ ワレカトオモフ ランヲカギツツ

『形成』(形成発行所 1980.3) 第28巻3号(通巻323号) p.18


06565
俯瞰して見ゆる範囲に黄に塗られ何を限れるひとすぢの柵
フカンシテ ミユルハンイニ キニヌラレ ナニヲカギレル ヒトスヂノサク

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06566
待ち長き思ひのごとし花つけて宙にしづまりがたき穂先は
マチナガキ オモヒノゴトシ ハナツケテ チュウニシヅマリ ガタキホサキハ

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06567
生きものの何かがゐたる気配して筧の水のうすく濁れる
イキモノノ ナニカガヰタル ケハイシテ カケヒノミズノ ウスクニゴレル

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06568
ひとすぢの水路に隔てられてゐる町が見ゆ階を降り来ても見ゆ
ヒトスヂノ スイロニヘダテ ラレテヰル マチガミユカイヲ オリキテモミユ

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06569
角印を一つ捺すにも平均に力の入ることは少なし
カクインヲ ヒトツオスニモ ヘイキンニ チカラノハイル コトハスクナシ

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06570
いつとなくギプスに固められきたる心のごとしながく勤めて
イツトナク ギプスニカタメ ラレキタル ココロノゴトシ ナガクツトメテ

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06571
落ち葉焚く火に近づきて見てあれば炎は風に片寄りて立つ
オチバタク ヒニチカヅキテ ミテアレバ ホノオハカゼニ カタヨリテタツ

『形成』(形成発行所 1980.4) 第28巻4号(通巻324号) p.4


06572
くぐもりて幾夜をあらむ渡されし名刺ほどなるかなしみ持ちて
クグモリテ イクヨヲアラム ワタサレシ メイシホドナル カナシミモチテ

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06573
かりそめにナイフ研ぎゐてまとひけむ鋼の匂を気にしつつ立つ
カリソメニ ナイフトギヰテ マトヒケム ハガネノニオイヲ キニシツツタツ

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06574
突き刺して共に死なむと思ひしか若かりし日も遠くへだたる
ツキサシテ トモニシナムト オモヒシカ ワカカリシヒモ トオクヘダタル

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06575
一日は二十四時間ありたりとつとめやめし友の切実に言ふ
イチニチハ ニジュウヨジカン アリタリト ツトメヤメシトモノ セツジツニイフ

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06576
反射的にひるがへりまたひるがへり何か試してゐる魚と見ゆ
ハンシャテキニ ヒルガヘリマタ ヒルガヘリ ナニカタメシテ ヰルウオトミユ

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06577
片仮名に戦死の土地の名を記す碑のかたはらは妹の墓
カタカナニ センシノトチノ ナヲシルス ヒノカタハラハ イモウトノハカ

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06578
兵隊の位にすればなど言ひて人はよはひをまざまざと見す
ヘイタイノ クライニスレバ ナドイヒテ ヒトハヨハヒヲ マザマザトミス

『形成』(形成発行所 1980.5) 第28巻5号(通巻325号) p.4


06579
はろばろとゆく雁見れば明日死なむ人とも知らず物を言ひゐき
ハロバロト ユクカリミレバ アスシナム ヒトトモシラズ モノヲイヒヰキ

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06580
足垂りてリフトに昇りゆきにしがかの夕より帰らずといふ
アシタリテ リフトニノボリ ユキニシガ カノユウベヨリ カエラズトイフ

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06581
雲がゆき雲の影ゆく草原に逝きにし人のなべて恋ほしも
クモガユキ クモノカゲユク ソウゲンニ ユキニシヒトノ ナベテコホシモ

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06582
ほきほきと枝をおとして活けをれば季節はづれの小菊もやさし
ホキホキト エダヲオトシテ イケヲレバ キセツハヅレノ コギクモヤサシ

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06583
体ごと傾けて何を聴く人かをりをりかげる表情を見す
カラダゴト カタムケテナニヲ キクヒトカ ヲリヲリカゲル ヒョウジョウヲミス

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06584
白檀の香のする店にわれひとり筆を選びてひそかにゐたり
ビャクダンノ カノスルミセニ ワレヒトリ フデヲエラビテ ヒソカニヰタリ

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06585
黄ばみたる梔子を捨てなめらかな日ばかりならず六月も逝く
キバミタル クチナシヲステ ナメラカナ ヒバカリナラズ ロクガツモユク

『形成』(形成発行所 1980.9) 第28巻9号(通巻329号) p.114


06586
残業を終へて出で来てゆくりなく七夕の夜の賑はひに会ふ
ザンギョウヲ オヘテイデキテ ユクリナク タナバタノヨノ ニギハヒニアフ

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06587
用の済みほとりと受話器置きたればなべて終れる如きしづけさ
ヨウノスミ ホトリトジュワキ オキタレバ ナベテオワレル ゴトキシヅケサ

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06588
再びも三たびも折れて戻りくる生くる限りの意識の回路
フタタビモ サタビモオレテ モドリクル イクルカギリノ イシキノカイロ

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06589
一人分といふに慣れつつ珈琲豆を挽く作業などたちまち終る
ヒトリブント イフニナレツツ コーヒーマメヲ ヒクサギョウナド タチマチオワル

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06590
風落ちて夕日さし来ぬ出でゆかば遠くの山の見えゐるならむ
カゼオチテ ユウヒサシキヌ イデユカバ トオクノヤマノ ミエヰルナラム

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06591
明日の日を怖るる要などなくならむ職をひきたる後を思へば
アスノヒヲ オソルルヨウナド ナクナラム ショクヲヒキタル ノチヲオモヘバ

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06592
宴のあと幼きわれに重かりし大皿などはいづちゆきけむ
エンノアト オサナキワレニ オモカリシ オオザラナドハ イヅチユキケム

『形成』(形成発行所 1980.10) 第28巻10号(通巻330号) p.18


06593
落ち入らむ予感にさとく来しゆふべ刃先隠してナイフは売らる
オチイラム ヨカンニサトク コシユフベ ハサキカクシテ ナイフハウラル

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06594
雨あとの光みなぎりけものみち風の道みな笹原のなか
アメアトノ ヒカリミナギリ ケモノミチ カゼノミチミナ ササハラノナカ

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06595
ストーブを消すもともすもわが仕事独りの部屋のみ冬づきつつ
ストーブヲ ケスモトモスモ ワガシゴト ヒトリノヘヤノ ミフユヅキツツ

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06596
花びらのとがれるにさへ脅ゆると聞けどはるけし病む人のうへ
ハナビラノ トガレルニサヘ オビユルト キケドハルケシ ヤムヒトノウヘ

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06597
近づきて見れば色あひさまざまの鯉ゐる水の騒々しけれ
チカヅキテ ミレバイロアヒ サマザマノ コイヰルミズノ ソウゾウシケレ

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06598
全身の醒むるに間ある朝まだき何か黄色のかたまりが見ゆ
ゼシンノ サムルニマアル アサマダキ ナニカキイロノ カタマリガミユ

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06599
うつ向きてゐる日の多く床を這ふコードの色はみなねずみいろ
ウツムキテ ヰルヒノオオク トコヲハフ コードノイロハ ミナネズミイロ

『形成』(形成発行所 1980.12) 第28巻12号(通巻332号) p.2


06600
秋草の枯るる匂ひの湧きのぼる野道を行けり忘れむとして
アキクサノ カルルニオヒノ ワキノボル ノミチヲユケリ ワスレムトシテ

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.16


06601
返り咲く枝にまばらにつきゐたる浜なすの実もいつしかあらず
カエリサク エダニマバラニ ツキヰタル ハマナスノミモ イツシカアラズ

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.16


06602
わが身より何かの抜けてゆく如し遠ざかりゆく雲を見をれば
ワガミヨリ ナニカノヌケテ ユクゴトシ トオザカリユク クモヲミヲレバ

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.16


06603
坂道にかかりて重き乳母車かかる重さも知らで過ぎ来し
サカミチニ カカリテオモキ ウバグルマ カカルオモサモ シラデスギコシ

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.16


06604
描きかけて照葉樹林の分布図もありしと伝ふ遺品のなかに
カキカケテ ショウヨウジュリンノ ブンプズモ アリシトツタフ イヒンノナカニ

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.16


06605
寄せ植ゑに森をかたどる盆栽の欅のうれもかすかもみぢす
ヨセウヱニ モリヲカタドル ボンサイノ ケヤキノウレモ カスカモミヂス

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.16


06606
夜の更けに厨ごとなすわがならひ音をしのびて皿を抜きつつ
ヨノフケニ クリヤゴトナス ワガナラヒ オトヲシノビテ サラヲヌキツツ

『形成』(形成発行所 1981.1) 第29巻1号(通巻333号) p.17


06607
いつ見たる門とも知れず夢に見て椿散る坂をのぼりゆきたり
イツミタル モントモシレズ ユメニミテ ツバキチルサカヲ ノボリユキタリ

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06608
喪の家をやうやく今日は訪ひて来て夜の思ひのはつかになごむ
モノイエヲ ヤウヤクキョウハ トヒテキテ ヨルノオモヒノ ハツカニナゴム

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06609
亡き父も故郷に老いて雪の野に成る木責めなどしていまさずや
ナキチチモ コキョウニオイテ ユキノノニ ナルキゼメナド シテイマサズヤ

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06610
遠縁に職業軍人一人ゐき騎兵大尉を人ら畏れき
トオエンニ ショクギョウグンジン ヒトリヰキ キヘイタイイヲ ヒトラオソレキ

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06611
病院へ行くと職場を離れ来ていづこへ寄るといふにもあらぬ
ビョウインヘ ユクトショクバヲ ハナレキテ イヅコヘヨルト イフニモアラヌ

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06612
ふくよかに湯浴みなしたるみどり児の匂ひと思ひすれ違ひたり
フクヨカニ ユアミナシタル ミドリゴノ ニオヒトオモヒ スレチガヒタリ

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06613
春の雲のふくらむ見れば錯誤さへ身に華やげる日のありにけり
ハルノクモノ フクラムミレバ サクゴサヘ ミニハナヤゲル ヒノアリニケリ

『形成』(形成発行所 1981.3) 第29巻3号(通巻335号) p.4


06614
夜の汽車に行きし日ありき春日野の万灯会にもながく参らず
ヨノキシャニ ユキシヒアリキ カスガノノ マンドウヱニモ ナガクマイラズ

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06615
胸ふたぎ出でて来にしが抜き出でてたんぽぽそよぐ常の道なり
ムネフタギ イデテキニシガ ヌキイデテ タンポポソヨグ ツネノミチナリ

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06616
面壁とはおのれに向ふことならむおのれといふも単純ならず
メンペキトハ オノレニムカフ コトナラム オノレトイフモ タンジュンナラズ

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06617
声立てずひと日ありしが電話来て笑へばわれと顔のあかるむ
コエタテズ ヒトヒアリシガ デンワキテ ワラヘバワレト カオノアカルム

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06618
マンゴーの実を掬ひをり松やにの匂ひのするとひとり思ひて
マンゴーノ ミヲスクヒヲリ マツヤニノ ニオヒノスルト ヒトリオモヒテ

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06619
音もなく霧の湧く野を帰り来ぬゆふべのミサも終らむころか
オトモナク キリノワクノヲ カエリキヌ ユフベノミサモ オワラムコロカ

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06620
桜桃のころに生れしわれといふ実桜の木も伐られてあらず
オウトウノ コロニウマレシ ワレトイフ ミザクラノキモ キラレテアラズ

『形成』(形成発行所 1981.5) 第29巻5号(通巻337号) p.116


06621
いづこなる春のうしほに育ちたる若布か水に浸せば匂ふ
イヅコナル ハルノウシホニ ソダチタル ワカメカミズニ ヒタセバニオフ

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06622
太々と葉をひろげゐてクレパスに児のゑがきたる水仙の花
フトブトト ハヲヒロゲヰテ クレパスニ コノヱガキタル スイセンノハナ

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06623
目覚ましの電池の切るる頃ならむ不意に思ひて落ちつかずなる
メザマシノ デンチノキルル コロナラム フイニオモヒテ オチツカズナル

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06624
絨緞に音を吸はせて何事をなし来し人か歩み去りたり
ジュウタンニ オトヲスハセテ ナニゴトヲ ナシコシヒトカ アユミサリタリ

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06625
背後など母に似て来しわれならむ狼煙を仰ぎゐるとき思ふ
ハイゴナド ハハニニテコシ ワレナラム ノロシヲアオギ ヰルトキオモフ

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06626
タクシーの窓のガラスの幅だけの帯のやうなる枯れ野を行けり
タクシーノ マドノガラスノ ハバダケノ オビノヤウナル カレノヲユケリ

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06627
人の手に刻まれて立つ像ながらはろばろといます観音像は
ヒトノテニ キザマレテタツ ゾウナガラ ハロバロトイマス カンノンゾウハ

『形成』(形成発行所 1981.6) 第29巻6号(通巻338号) p.4


06628
分れ道とふ地名の残り青々と雑木の原の萌えわたりたり
ワカレミチトフ チメイノノコリ アオアオト ゾウキノハラノ モエワタリタリ

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06629
雨あとは虫の祭の日ならむか蛾も蝶も出でてはたはたと飛ぶ
アメアトハ ムシノマツリノ ヒナラムカ ガモチョウモイデテ ハタハタトトブ

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06630
横文字を石に刻める表札の古りていかなる外人の住む
ヨコモジヲ イシニキザメル ヒョウサツノ フリテイカナル ガイジンノスム

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06631
あたたかきゆふべを帰るわが上を今年はじめて蝙蝠が飛ぶ
アタタカキ ユフベヲカエル ワガウエヲ コトシハジメテ コウモリガトブ

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06632
つぎつぎに朱の色を噴くサボテンの花の速度にもわれは及ばぬ
ツギツギニ シュノイロヲフク サボテンノ ハナノソクドニモ ワレハオヨバヌ

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06633
母のいまさば問ふことあらむ遥かなる火祭の夜を恋ひつつ眠る
ハハノイマサバ トフコトアラム ハルカナル ヒマツリノヨヲ コヒツツネムル

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06634
はろばろと幟なびけて虫送りの行列などはいづち行きけむ
ハロバロト ノボリナビケテ ムシオクリノ ギョウレツナドハ イヅチユキケム

『形成』(形成発行所 1981.7) 第29巻7号(通巻339号) p.112


06635
火をつけて放つ矢などは持たねども美しからむ夜空に曳きて
ヒヲツケテ ハナツヤナドハ モタネドモ ウツクシカラム ヨゾラニヒキテ

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06636
ループタイに何のメダルか光らせて歩むならむかかの人なども
ループタイニ ナンノメダルカ ヒカラセテ アユムナラムカ カノヒトナドモ

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06637
人の声頭上より降り電線を持てる工夫の地上にもゐし
ヒトノコエ ズジョウヨリフリ デンセンヲ モテルコウフノ チジョウニモヰシ

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06638
透明の縄にいましめられてゐてわれならぬ声にもの言ふ日あり
トウメイノ ナワニイマシメ ラレテヰテ ワレナラヌコエニ モノイフヒアリ

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06639
襟もとをゆるむるやうにほぐれゆく花菖蒲見てひと日見飽かぬ
エリモトヲ ユルムルヤウニ ホグレユク ハナショウブミテ ヒトヒミアカヌ

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06640
明けそめて沼のほとりのうすあかり思ひつつまた眠らむとする
アケソメテ ヌマノホトリノ ウスアカリ オモヒツツマタ ネムラムトスル

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06641
一枚の古りし名刺に乱されてこころもとなくゆふべををりぬ
イチマイノ フリシメイシニ ミダサレテ ココロモトナク ユフベヲヲリヌ

『形成』(形成発行所 1981.9) 第29巻9号(通巻341号) p.4


06642
昼過ぎてまたたどきなく眠りゆく術後熱とぞ聞きて知れども
ヒルスギテ マタタドキナク ネムリユク ジュツゴネツトゾ キキテシレドモ

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.3


06643
隣室の声意味なしてはげしきはわが耳冴ゆるたそがれのころ
リンシツノ コエイミナシテ ハゲシキハ ワガミミサユル タソガレノコロ

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.3


06644
雲を見てひと日ありしが山の端はげんげの花の色に染みゆく
クモヲミテ ヒトヒアリシガ ヤマノハハ ゲンゲノハナノ イロニソミユク

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.3


06645
誰がためのいのちと問ひてはかなきにわれの病の日毎癒えゆく
タガタメノ イノチトトヒテ ハカナキニ ワレノヤマイノ ヒゴトイエユク

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.3


06646
渋滞の車さへ今こころよく退院せるわれの運ばれてゆく
ジュウタイノ クルマサヘイマ ココロヨク タイインセルワレノ ハコバレテユク

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.4


06647
病院を出づれば秋のたつきあり藁を焚く香の道になづさふ
ビヨウインヲ イヅレバアキノ タツキアリ ワラヲタクカノ ミチニナヅサフ

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.4


06648
親猫と子猫とむつみゐたるのみ陽ざしあまねき枯れ野を渡る
オヤネコト コネコトムツミ ヰタルノミ ヒザシアマネキ カレノヲワタル

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.4


06649
全開の音量といふも知らず経て雨の夜更けに聴くモーツアルト
ゼンカイノ オンリョウトイフモ シラズヘテ アメノヨフケニ キクモーツアルト

『形成』(形成発行所 1982.1) 第30巻1号(通巻345号) p.4


06650
旅行きて遭へるくさぐさ聞きをれば北上川に降る雨も見ゆ
タビユキテ アヘルクサグサ キキヲレバ キタガミガワニ フルアメモミユ

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.3


06651
くくり椿運ばれゆけり癒えし身に通ひ慣れたる道も新し
ククリツバキ ハコバレユケリ イエシミニ カヨヒナレタル ミチモアタラシ

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.3


06652
降り出づる気配言ひつつ別れ来ぬ互みの傘を確かめあひて
フリイヅル ケハイイヒツツ ワカレキヌ カタミノカサヲ タシカメアヒテ

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.3


06653
ケニアなど行く日もなくて終らむか縞馬の絵を見をれば思ふ
ケニアナド ユクヒモナクテ オワラムカ シマウマノエヲ ミヲレバオモフ

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.3


06654
いつとなく人に頼れるわれならむ部品の名など覚えてをらず
イツトナク ヒトニタヨレル ワレナラム ブヒンノナナド オボエテヲラズ

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.4


06655
新米といふを賜ひぬとぎをればとぎてゐるまにこころしづまる
シンマイト イフヲタマヒヌ トギヲレバ トギテヰルマニ ココロシヅマル

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.4


06656
ふるさとを同じ北国と知れるのみはだれのやうな雲の湧く日よ
フルサトヲ オナジキタグニト シレルノミ ハダレノヤウナ クモノワクヒヨ

『形成』(形成発行所 1982.2) 第30巻2号(通巻346号) p.4


06657
病室は六畳ほどか出で入りに薔薇の匂ひの乱されやすし
ビョウシツハ ロクジョウホドカ イデイリニ バラノニオヒノ ミダサレヤスシ

『形成』(形成発行所 1982.3) 第20巻3号(通巻347号) p.4


06658
点滴の痕を幾つも身に持ちて縛られやすく日々の過ぎゆく
テンテキノ アトヲイクツモ ミニモチテ シバラレヤスク ヒビノスギユク

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06659
浮世絵の波の色よりなほ青く幾年も見ぬ海がひろがる
ウキヨエノ ナミノイロヨリ ナホアオク イクトシモミヌ ウミガヒロガル

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06660
横顔のまま歩み去る像ならむ髪の飾りの羽毛が白し
ヨコガオノ ママアユミサル ゾウナラム カミノカザリノ ハネゲガシロシ

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06661
手の届く範囲にものを置く習ひ乱丁の辞書もかたはらに置く
テノトドク ハンイニモノヲ オクナラヒ ランチョウノジショモ カタハラニオク

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06662
暖房の部屋に置く供華たちまちに心やつるるさまに衰ふ
ダンボウノ ヘヤニオククゲ タチマチニ ココロヤツルル サマニオトロフ

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06663
言ひつのる口もとを見てゐたりしが次第にわれの戦意失ふ
イヒツノル クチモトヲミテ ヰタリシガ シダイニワレノ センイウシナフ

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06664
いくひらの椎茸を水にもどしおきわれにしづかに年暮れむとす
イクヒラノ シイタケヲミズニ モドシオキ ワレニシヅカニ トシクレムトス

『形成』(形成発行所 1982.3) 第30巻3号(通巻347号) p.4


06665
似かよへる顔を探して何にならむ石仏はみな雪をかづける
ニカヨヘル カオヲサガシテ ナニニナラム セキブツハミナ ユキヲカヅケル

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.3


06666
旅先の雪に作れる雪うさぎ庭石にのせて別れ来にけり
タビサキノ ユキニツクレル ユキウサギ ニワイシニノセテ ワカレキニケリ

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.3


06667
白梅は咲き終りたれ福寿草のつぼみニ粒いまだ開かぬ
シラウメハ サキオワリタレ フクジュソウノ ツボミフタツブ イマダヒラカヌ

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.3


06668
亡きあとの月日流れて梁にかかれる大き魚拓も古りぬ
ナキアトノ ツキヒナガレテ ウツバリニ カカレルオオキ ギョタクモフリヌ

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.4


06669
黄の花の多き季節よ人は去りまばらに墓の取り残されぬ
キノハナノ オオキキセツヨ ヒトハサリ マバラニハカノ トリノコサレヌ

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.4


06670
日曜は目ざましも鳴らず病院の朝のめざめの如きしづけさ
ニチヨウハ メザマシモナラズ ビョウインノ アサノメザメノ ゴトキシヅケサ

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.4


06671
花も葉も夜は閉ざすとふ草の名を数へあぐみてなほ眠られぬ
ハナモハモ ヨハトザストフ クサノナヲ カゾヘアグミテ ナホネムラレヌ

『形成』(形成発行所 1982.4) 第30巻4号(通巻348号) p.4


06672
ゆるやかに鰭をゆらして魚のゐるけはひと思ひ夜半を醒めゐつ
ユルヤカニ ヒレヲユラシテ ウオノヰル ケハヒトオモヒ ヨワヲサメヰツ

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06673
しはぶける一人まじへて幾人か坂のぼりゆく夜の人声
シハブレル ヒトリマジヘテ イクニンカ サカノボリユク ヨルノヒトゴエ

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06674
夜の鳥のかすかに鳴きて過ぎしあと家のめぐりのしづまり返る
ヨノトリノ カスカニナキテ スギシアト イエノメグリノ シヅマリカエル

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06675
いまだ見ぬうすずみ桜思ひゐてわが目の前のふとくらみたり
イマダミヌ ウスズミザクラ オモヒヰテ ワガメノマエノ フトクラミタリ

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06676
わが住むは平野のもなかくれがたに見ゆるのみなる何山ならむ
ワガスムハ ヘイヤノモナカ クレガタニ ミユルノミナル ナニヤマナラム

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06677
バスに見て過ぐる校門偶像のごとく崩れし雪の像置く
バスニミテ スグルコウモン グウゾウノ ゴトククズレシ ユキノゾウオク

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06678
われの道蝶の道目に見えねども古地図に江戸の街路ととのふ
ワレノミチ チョウノミチメニ ミエネドモ コチズニエドノ ガイロトトノフ

『形成』(形成発行所 1982.5) 第30巻5号(通巻349号) p.3


06679
しろじろと煙ひろげて朝より川の向かうは何をか燃やす
シロジロト ケムリヒロゲテ アシタヨリ カワノムカウハ ナニヲカモヤス

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06680
絵本見てゐたる児の忘れゆきにけむ玩具の鳥を誰かの鳴かす
エホンミテ ヰタルコノワスレ ユキニケム ガングノトリヲ タレカノナカス

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06681
稚魚あまた一夜に死して水面に散りたる花のごとく浮かべる
チギョアマタ ヒトヨニシシテ スイメンニ チリタルハナノ ゴトクウカベル

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06682
人の持つ習ひに似むかかたまりてやがて散りゆく魚を見てゐし
ヒトノモツ ナラヒニニムカ カタマリテ ヤガテチリユク ウオヲミテヰシ

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06683
釣り人の老いたる見れば亡き父の釣り竿などのいかになりけむ
ツリビトノ オイタルミレバ ナキチチノ ツリザオナドノ イカニナリケム

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06684
いつの日の逢ひとも知れず石仏の肩に夕陽の届きてゐたる
イツノヒノ アヒトモシレズ セキブツノ カタニユウヒノ トドキテヰタル

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06685
つね仰ぐ欅の木ぬれて宿り木の黒きかたまりなす夕まぐれ
ツネアオグ ケヤキノキヌレテ ヤドリギノ クロキカタマリ ナスユウマグレ

『形成』(形成発行所 1982.6) 第30巻6号(通巻350号) p.11


06686
幾つものトンネルを抜けて旅ゆけば改まる如しわれの思ひも
イクツモノ トンネルヲヌケテ タビユケバ アラタマルゴトシ ワレノオモヒモ

『形成』(形成発行所 1982.8) 第30巻8号(通巻352号) p.3


06687
しろじろと谷のへに咲く何の花と見分かぬ速度に汽車は過ぎゆく
シロジロト タニノヘニサク ナンノハナト ミワカヌソクドニ キシャハスギユク

『形成』(形成発行所 1982.8) 第30巻8号(通巻352号) p.3


06688
未だ雪の残れる木の間山神をおろしまつると里人の寄る
イマダユキノ ノコレルコノマ ヤマガミヲ オロシマツルト サトビトノヨル

『形成』(形成発行所 1982.8) 第30巻8号(通巻352号) p.3


06689
山あひの棚田のほとり木造の小さき校舎ありてしづもる
ヤマアヒノ タナダノホトリ モクゾウノ チイサキコウシャ アリテシヅモル

『形成』(形成発行所 1982.8) 第30巻8号(通巻352号) p.3


06690
能登の浦は夕凪のとき遠く来て人に負ひたる傷も癒えむか
ノトノウラハ ユウナギノトキ トオクキテ ヒトニオヒタル キズモイエムカ

『形成』(形成発行所 1982.8) 第30巻8号(通巻352号) p.3


06691
旅人と何か変はらむ血縁のひとりさへなき故郷に泊てて
タビビトト ナニカカハラム ケツエンノ ヒトリサヘナキ コキョウニハテテ

『形成』(形成発行所 1982.9) 第30巻9号(通巻353号) p.3


06692
堂深く窓の明りに仰ぎ来し十一面観音は目とぢても見ゆ
ドウフカク マドノアカリニ アオギコシ ジュウイチメンカンノンハ メトヂテモミユ

『形成』(形成発行所 1982.9) 第30巻9号(通巻353号) p.3


06693
若草いろのデミタスカップ旅先に妹のありし日をまた思ふ
ワカクサイロノ デミタスカップ タビサキニ イモウトノアリシ ヒヲマタオモフ

『形成』(形成発行所 1982.9) 第30巻9号(通巻353号) p.3


06694
それぞれの闇をまとひて立つ木々に混りて立たばわれは何の木
ソレゾレノ ヤミヲマトヒテ タツキギニ マジリテタタバ ワレハナンノキ

『形成』(形成発行所 1982.9) 第30巻9号(通巻353号) p.4


06695
蕗の葉の大きく開くしづけさに石の手を組む石の羅漢は
フキノハノ オオキクヒラク シヅケサニ イシノテヲクム イシノラカンハ

『形成』(形成発行所 1982.9) 第30巻9号(通巻353号) p.4


06696
くろぐろと森の芯より暮れそめてきらめく如きひぐらしのこゑ
クログロト モリノシンヨリ クレソメテ キラメクゴトキ ヒグラシノコヱ

『形成』(形成発行所 1982.10) 第30巻10号(通巻354号) p.3


06697
目の下に短き橋のかかりゐて身ぶりさまざまに人の行き交ふ
メノシタニ ミジカキハシノ カカリヰテ ミブリサマザマニ ヒトノユキカフ

『形成』(形成発行所 1982.10) 第30巻10号(通巻354号) p.3


06698
人の声やいばをなすと聞きをれば真実胸のへの痛みくる
ヒトノコエ ヤイバヲナスト キキヲレバ シンジツムネノ ヘノイタミクル

『形成』(形成発行所 1982.10) 第30巻10号(通巻354号) p.3


06699
言ひ出づることにあらねど思ひゐてわが切先のひらめきはじむ
イヒイヅル コトニアラネド オモヒヰテ ワガキッサキノ ヒラメキハジム

『形成』(形成発行所 1982.10) 第30巻10号(通巻354号) p.3


06700
ゆで玉子をむきつつあれば指先のいつしか荒れて秋は来向かふ
ユデタマゴヲ ムキツツアレバ ユビサキノ イツシカアレテ アキハキムカフ

『形成』(形成発行所 1982.10) 第30巻10号(通巻354号) p.3


06701
夜に入りて雨呼ぶ風のはげしきに門火も焚かで送りまつりぬ
ヨニイリテ アメヨブカゼノ ハゲシキニ モンカモタカデ オクリマツリヌ

『形成』(形成発行所 1982.11) 第30巻11号(通巻355号) p.3


06702
肩のへのまろやかにしてつめたけれ花を捨てたる壼を拭へば
カタノヘノ マロヤカニシテ ツメタケレ ハナヲステタル ツボヲヌグヘバ

『形成』(形成発行所 1982.11) 第30巻11号(通巻355号) p.3


06703
野菜籠をさげて歩めば主婦の顔に見ゆるならむか日傘のなかに
ヤサイカゴヲ サゲテアユメバ シュフノカオニ ミユルナラムカ ヒガサノナカニ

『形成』(形成発行所 1982.11) 第30巻11号(通巻355号) p.3


06704
乾きたる砂に半ばをうづもれて貝殻はみな海の傷持つ
カワキタル スナニナカバヲ ウヅモレテ カイガラハミナ ウミノキズモツ

『形成』(形成発行所 1982.11) 第30巻11号(通巻355号) p.3


06705
銀いろのタンクの遠く見ゆる窓何の合図か送られやまず
ギンイロノ タンクノトオク ミユルマド ナンノアイズカ オクラレヤマズ

『形成』(形成発行所 1982.11) 第30巻11号(通巻355号) p.3


06706
香水の匂ふ石鹸あわだてて勤めを持たぬ朝のしづけさ
コウスイノ ニオフセッケン アワダテテ ツトメヲモタヌ アサノシヅケサ

『形成』(形成発行所 1982.12) 第30巻12号(通巻356号) p.4


06707
むらさきに片照る山よ秋づきて雲のかたちのやさしくなりぬ
ムラサキニ カタテルヤマヨ アキヅキテ クモノカタチノ ヤサシクナリヌ

『形成』(形成発行所 1982.12) 第30巻12号(通巻356号) p.4


06708
ふるさとに夜泣き石とふ岩ありき思ひ出づるは霧の夜ばかり
フルサトニ ヨナキイシトフ イワアリキ オモヒイヅルハ キリノヨバカリ

『形成』(形成発行所 1982.12) 第30巻12号(通巻356号) p.4


06709
傍らにありにしものを鳥などの飛びたつやうにわれを去りにき
カタワラニ アリニシモノヲ トリナドノ トビタツヤウニ ワレヲサリニキ

『形成』(形成発行所 1982.12) 第30巻12号(通巻356号) p.4


06710
眠られぬ夜とまたならむ柩に入れし手毬の色のよみがへり来て
ネムラレヌ ヨトマタナラム ヒツギニイレシ テマリノイロノ ヨミガヘリキテ

『形成』(形成発行所 1982.12) 第30巻12号(通巻356号) p.4


06711
指先の動き思はせベルベットの薔薇はやさしく花びらを巻く
ユビサキノ ウゴキオモハセ ベルベットノ バラハヤサシク ハナビラヲマク

『形成』(形成発行所 1983.1) 第31巻1号(通巻357号) p.3


06712
幾重にも鏡に映るシャンデリア何におもたきわれの思ひか
イクエニモ カガミニウツル シャンデリア ナニニオモタキ ワレノオモヒカ

『形成』(形成発行所 1983.1) 第31巻1号(通巻357号) p.3


06713
敷き置けるムートンの白小羊のかたちに立ちて歩む夜なきや
シキオケル ムートンノシロ コヒツジノ カタチニタチテ アユムヨナキヤ

『形成』(形成発行所 1983.1) 第31巻1号(通巻357号) p.3


06714
古傷を胸に持つゆゑあらかじめ言葉飾りて防がむとせり
フルキズヲ ムネニモツユヱ アラカジメ コトバカザリテ フセガムトセリ

『形成』(形成発行所 1983.1) 第31巻1号(通巻357号) p.3


06715
電線のどこかもつれてゐたりしがいつしか地上の闇にまぎるる
デンセンノ ドコカモツレテ ヰタリシガ イツシカチジョウノ ヤミニマギルル

『形成』(形成発行所 1983.1) 第31巻1号(通巻357号) p.3


06716
働きて過ぎにしひと世嘆かねどみ胸ゆたけしマリアの像は
ハタラキテ スギニシヒトヨ ナゲカネド ミムネユタケシ マリアノゾウハ

『形成』(形成発行所 1983.2) 第31巻2号(通巻358号) p.3


06717
もみぢして明るき木の間道標も立たず岐るる道ありにけり
モミヂシテ アカルキコノマ ドウヒョウモ タタズワカルル ミチアリニケリ

『形成』(形成発行所 1983.2) 第31巻2号(通巻358号) p.3


06718
背後よりのぞき来にしが少年の拇指におさへてゐたるパレット
ハイゴヨリ ノゾキキニシガ ショウネンノ ボシニオサヘテ ヰタルパレット

『形成』(形成発行所 1983.2) 第31巻2号(通巻358号) p.3


06719
抜け穴の出口の如く草深き窪みのありし道を来りぬ
ヌケアナノ デグチノゴトク クサフカキ クボミノアリシ ミチヲキタリヌ

『形成』(形成発行所 1983.2) 第31巻2号(通巻358号) p.3


06720
誇張されて伝へられゐることあらむ秋の薊は紫の濃き
コチョウサレテ ツタヘラレヰル コトアラム アキノアザミハ ムラサキノコキ

『形成』(形成発行所 1983.2) 第31巻2号(通巻358号) p.3


06721
年の瀬の賑はひのなか喪の帯を小さく結べる人と連れだつ
トシノセノ ニギハヒノナカ モノオビヲ チイサクムスベル ヒトトツレダツ

『形成』(形成発行所 1983.3) 第31巻3号(通巻359号) p.3


06722
こもりゐの正月と電話に答へつつみづからを諭す言葉の如し
コモリヰノ ショウガツトデンワニ コタヘツツ ミヅカラヲサトス コトバノゴトシ

『形成』(形成発行所 1983.3) 第31巻3号(通巻359号) p.3


06723
オルゴール短く鳴りて鳴り終へぬ人のをらざる隣の部屋に
オルゴール ミジカクナリテ ナリオヘヌ ヒトノヲラザル トナリノヘヤニ

『形成』(形成発行所 1983.3) 第31巻3号(通巻359号) p.3


06724
ひっそりと何か煮詰めてゐる如し亡き母のひとり厨に立ちて
ヒッソリト ナニカニツメテ ヰルゴトシ ナキハハノヒトリ クリヤニタチテ

『形成』(形成発行所 1983.3) 第31巻3号(通巻359号) p.3


06725
買ひ戻すこともせざりし父祖の田を埋めて雪は降りつもりゐむ
カヒモドス コトモセザリシ フソノタヲ ウズメテユキハ フリツモリヰム

『形成』(形成発行所 1983.3) 第31巻3号(通巻359号) p.3


06726
一気に遠き職場となれどたまひたるライターはつね傍らに置く
イッキニトオキ ショクバトナレド タマヒタル ライターハツネ カタワラニオク

『形成』(形成発行所 1983.4) 第31巻4号(通巻360号) p.1


06727
いつ使ふ指とも知れず春立ちてひびわれやすし右の中指
イツツカフ ユビトモシレズ ハルタチテ ヒビワレヤスシ ミギノナカユビ

『形成』(形成発行所 1983.4) 第31巻4号(通巻360号) p.1


06728
焼け跡を映す画面にただ一つ椅子のかたちの燃え残りゐし
ヤケアトヲ ウツスガメンニ タダヒトツ イスノカタチノ モエノコリヰシ

『形成』(形成発行所 1983.4) 第31巻4号(通巻360号) p.1


06729
会釈して若き尼僧の過ぎしあと白梅の花のうつすらと湧く
エシャクシテ ワカキニソウノ スギシアト シラウメノハナノ ウツスラトワク

『形成』(形成発行所 1983.4) 第31巻4号(通巻360号) p.1


06730
枯れ草の底より風の湧くごとし釣り人はみな孤独のかたち
カレクサノ ソコヨリカゼノ ワクゴトシ ツリビトハミナ コドクノカタチ

『形成』(形成発行所 1983.4) 第31巻4号(通巻360号) p.1


06731
救はるる思ひのごとし戒名の清き妹の墓に参れば
スクハルル オモヒノゴトシ カイミョウノ キヨキイモウトノ ハカニマイレバ

『形成』(形成発行所 1983.5) 第31巻5号(通巻361号) p.4


06732
ひと刷毛の雪の残れる墓原の枯れ葉鳴らして鳥の飛び立つ
ヒトハケノ ユキノノコレル ハカハラノ カレハナラシテ トリノトビタツ

『形成』(形成発行所 1983.5) 第31巻5号(通巻361号) p.4


06733
嘆きつつ一夜をあればかたはらの孔雀の羽根は大き目を持つ
ナゲキツツ ヒトヨヲアレバ カタハラノ クジャクノハネハ オオキメヲモツ

『形成』(形成発行所 1983.5) 第31巻5号(通巻361号) p.4


06734
桟橋の下も荒海たえまなく波のひびきは胸もとに来る
サンバシノ シタモアラウミ タエマナク ナミノヒビキハ ムナモトニクル

『形成』(形成発行所 1983.5) 第31巻5号(通巻361号) p.4


06735
坂道を降り来てより道暗し余熱のごとき悔いも過ぎゐる
サカミチヲ クダリキテヨリ ミチクラシ ヨネツノゴトキ クイモスギヰル

『形成』(形成発行所 1983.5) 第31巻5号(通巻361号) p.4


06736
もやもやに写し出されて木の如しあばらといふを持てるわが胸
モヤモヤニ ウツシダサレテ キノゴトシ アバラトイフヲ モテルワガムネ

『形成』(形成発行所 1983.6) 第31巻6号(通巻362号) p.134


06737
胡蝶蘭の最後の鉢も枯れしめぬ風邪がちに冬も終らむとして
コチョウランノ サイゴノハチモ カレシメヌ カゼガチニフユモ オワラムトシテ

『形成』(形成発行所 1983.6) 第31巻6号(通巻362号) p.134


06738
ひとりゆく旅のさびしさ浜名湖は風にたわみし水見えわたる
ヒトリユク タビノサビシサ ハマナコハ カゼニタワミシ ミズミエワタル

『形成』(形成発行所 1983.6) 第31巻6号(通巻362号) p.134


06739
春の夜の雨ともあらず音あらく降りつぐ雨を聴きて醒めゐし
ハルノヨノ アメトモアラズ オトアラク フリツグアメヲ キキテサメヰシ

『形成』(形成発行所 1983.6) 第31巻6号(通巻363号) p.134


06740
落葉松の芽ぶきのときに来会ひたりしろがねなして雨の渡らふ
カラマツノ メブキノトキニ キアヒタリ シロガネナシテ アメノワタラフ

『形成』(形成発行所 1983.6) 第31巻6号(通巻362号) p.134


06741
水濁る運河のほとり気がかりを散ぜむすべもなくて歩めり
ミズニゴル ウンガノホトリ キガカリヲ サンゼムスベモ ナクテアユメリ

『形成』(形成発行所 1983.7) 第31巻7号(通巻363号) p.15


06742
旦夕に追れりと知るみいのちのとめどもあらず雨降りしきる
タンセキニ オワレリトシル ミイノチノ トメドモアラズ アメフリシキル

『形成』(形成発行所 1983.7) 第31巻7号(通巻363号) p.15


06743
急がねばならぬことあり急ぎても間に合はざらむ涙出でくる
イソガネバ ナラヌコトアリ イソギテモ マニアハザラム ナミダイデクル

『形成』(形成発行所 1983.7) 第31巻7号(通巻363号) p.15


06744
石仏の肩もつめたくおはすらむ八重の桜を散らす雨降る
セキブツノ カタモツメタク オハスラム ヤエノサクラヲ チラスアメフル

『形成』(形成発行所 1983.7) 第31巻7号(通巻363号) p.15


06745
声あげて泣きて醒めしが現にも夢にもおはす先生ならず
コエアゲテ ナキテサメシガ ウツツニモ ユメニモオハス センセイナラズ

『形成』(形成発行所 1983.7) 第31巻7号(通巻363号) p.15


06746
先生のいまさずなりて三彩の馬の置き物を見るはさぶしも
センセイノ イマサズナリテ サンサイノ ウマノオキモノヲ ミルハサブシモ

『形成』(形成発行所 1983.8) 第31巻8号(通巻364号) p.14


06747
み柩に黄菊白菊入れまつるこの世の顔をよせあひにつつ
ミヒツギニ キギクシロギク イレマツル コノヨノカオヲ ヨセアヒニツツ

『形成』(形成発行所 1983.8) 第31巻8号(通巻364号) p.14


06748
みそなはしいまさむと思ほえて橋に掛ける歩度ゆるみたり
ミソナハシ イマサムト オモホエテ ハシニカケル ホドユルミタリ

『形成』(形成発行所 1983.8) 第31巻8号(通巻364号) p.14


06749
仕へたる三十四年ひとたびも叱り給はざりしことも思ほゆ
ツカヘタル サンジュウヨネン ヒトタビモ シカリタマハザリシ コトモオモホユ

『形成』(形成発行所 1983.8) 第31巻8号(通巻364号) p.14


06750
東京へ出づる日つづきこの夏は夾竹桃の白も喪の花
トウキョウヘ イヅルヒツヅキ コノナツハ キョウチクトウノ シロモモノハナ

『形成』(形成発行所 1983.8) 第31巻8号(通巻364号) p.14


06751
われのみの知れる忌の日の巡り来て今年の梅雨は未だあがらぬ
ワレノミノ シレルキノヒノ メグリキテ コトシノツユハ イマダアガラヌ

『形成』(形成発行所 1983.9) 第31巻9号(通巻365号) p.126


06752
ゆるやかに二つ寄りゐし流灯の早瀬となりて相別れゆく
ユルヤカニ フタツヨリヰシ リュウトウノ ハヤセトナリテ アイワカレユク

『形成』(形成発行所 1983.9) 第31巻9号(通巻365号) p.126


06753
何を売る嫗と知れず立ちゐたり母かと思ふ姉かと思ふ
ナニヲウル オウナトシレズ タチヰタリ ハハカトオモフ アネカトオモフ

『形成』(形成発行所 1983.9) 第31巻9号(通巻365号) p.126


06754
精霊舟の燃えて流れてゆきにしが醒めて思へばふるさとの川
ショウリョウブネノ モエテナガレテ ユキニシガ サメテオモヘバ フルサトノカワ

『形成』(形成発行所 1983.9) 第31巻9号(通巻365号) p.126


06755
いくばくを眠れるひまにうすらなる繭をかけゐき小さき虫は
イクバクヲ ネムレルヒマニ ウスラナル マユヲカケヰキ チイサキムシハ

『形成』(形成発行所 1983.9) 第31巻9号(通巻365号) p.126


06756
逃げ水の幾つをバスに越えにつつゆきつく先もおほよそは見ゆ
ニゲミズノ イクツヲバスニ コエニツツ ユキツクサキモ オホヨソハミユ

『形成』(形成発行所 1983.10) 第31巻10号(通巻366号) p.14


06757
日ぐれとも朝ともつかぬ薄明につつまれて死といふはあるべし
ヒグレトモ アサトモツカヌ ハクメイニ ツツマレテシト イフハアルベシ

『形成』(形成発行所 1983.10) 第31巻10号(通巻366号) p.14


06758
断ちがたく思へることをそのままに雲大いなる高原に来ぬ
タチガタク オモヘルコトヲ ソノママニ クモオオイナル コウゲンニキヌ

『形成』(形成発行所 1983.10) 第31巻10号(通巻366号) p.14


06759
標高を問ひつつゆくに山国の紫陽花の毬はいまだ小さし
ヒョウコウヲ トヒツツユクニ ヤマグニノ アジサイノマリハ イマダチイサシ

『形成』(形成発行所 1983.10) 第31巻10号(通巻366号) p.14


06760
花の香にまみれて過ぎて見返れば黄菅の色の原がひろがる
ハナノカニ マミレテスギテ ミカエレバ キスゲノイロノ ハラガヒロガル

『形成』(形成発行所 1983.10) 第31巻10号(通巻366号) p.14


06761
駅の名を見落として過ぎてあわつるも常のことにて荻窪に来つ
エキノナヲ ミオトシテスギテ アワツルモ ツネノコトニテ オギクボニキツ

『形成』(形成発行所 1983.11) 第31巻11号(通巻367号) p.134


06762
みちのくの訛りある声後方にしてゐしがバスはトンネルに入る
ミチノクノ ナマリアルコエ コウホウニ シテヰシガバスハ トンネルニイル

『形成』(形成発行所 1983.11) 第31巻11号(通巻367号) p.134


06763
曲り家は今も残ると伝ふれど馬のにほひを久しく嗅がぬ
マガリヤハ イマモノコルト ツタフレド ウマノニホヒヲ ヒサシクカガヌ

『形成』(形成発行所 1983.11) 第31巻11号(通巻367号) p.134


06764
美容院の午後四時大き男来てリースのゴムの木の鉢を置く
ビヨウインノ ゴゴヨジオオキ オトコキテ リースノゴムノ キノハチヲオク

『形成』(形成発行所 1983.11) 第31巻11号(通巻367号) p.134


06765
腕力も年毎に衰へゆくならむ片手には重き辞書となりつつ
ワンリョクモ トシゴトニオトロヘ ユクナラム カタテニハオモキ ジショトナリツツ

『形成』(形成発行所 1983.11) 第31巻11号(通巻367号) p.134


06766
ドアの外は夕焼けの街信ずるよりほかなく医師に励まされ来ぬ
ドアノソトハ ユウヤケノマチ シンズルヨリ ホカナクイシニ ハゲマサレキヌ

『形成』(形成発行所 1983.12) 第31巻12号(通巻368号) p.15


06767
限られし視野と思へど鯖雲のうろこは遠くひろがりゆけり
カギラレシ シヤトオモヘド サバグモノ ウロコハトオク ヒロガリユケリ

『形成』(形成発行所 1983.12) 第31巻12号(通巻368号) p.15


06768
似合ふとふレースの服を着て出づる今日の講座の滑らかなれよ
ニアフトフ レースノフクヲ キテイヅル キョウノコウザノ ナメラカナレヨ

『形成』(形成発行所 1983.12) 第31巻12号(通巻368号) p.15


06769
起き出でて靴を履くまでの一時間あわただしかりし朝々ありき
オキイデテ クツヲハクマデノ イチジカン アワタダシカリシ アサアサアリキ

『形成』(形成発行所 1983.12) 第31巻12号(通巻368号) p.15


06770
曼珠沙華の花はテレビに見たるのみ秋の彼岸も終らむとする
マンジュシャゲノ ハナハテレビニ ミタルノミ アキノヒガンモ オワラムトスル

『形成』(形成発行所 1983.12) 第31巻12号(通巻368号) p.15


06771
傾きて立つ松林秋の海の風見の羽根はすぐひるがへる
カタムキテ タツマツバヤシ アキノミノ カザミノハネハ スグヒルガヘル

『形成』(形成発行所 1984.1) 第32巻1号(通巻369号) p.141


06772
熱気球は忽ち遠くゴンドラに振るハンカチのひらひらも消ゆ
ネツキキュウハ タチマチトオク ゴンドラニ フルハンカチノ ヒラヒラモキユ

『形成』(形成発行所 1984.1) 第32巻1号(通巻369号) p.141


06773
返り咲くはまなすの花見て来しにやいばの如く光る波寄す
カエリサク ハマナスノハナ ミテコシニ ヤイバノゴトク ヒカルナミヨス

『形成』(形成発行所 1984.1) 第32巻1号(通巻369号) p.141


06774
砂山を降りてほどきて体温よりかなり冷たき手と思ひたり
スナヤマヲ オリテホドキテ タイオンヨリ カナリツメタキ テトオモヒタリ

『形成』(形成発行所 1984.1) 第32巻1号(通巻369号) p.141


06775
吊り皮に男の立ちて夕凪の海の見えゐし視界ふさがる
ツリカワニ オトコノタチテ ユウナギノ ウミノミエヰシ シカイフサガル

『形成』(形成発行所 1984.1) 第32巻1号(通巻369号) p.141


06776
先生のいまさぬ思ふ仙台の駄菓子のねぢり折りてはみつつ
センセイノ イマサヌオモフ センダイノ ダガシノネヂリ オリテハミツツ

『形成』(形成発行所 1984.2) 第32巻2号(通巻370号) p.336


06777
早馬を駆りてゆきなば何を見むサラブレッドは目の前を過ぐ
ハヤウマヲ カケリテユキナバ ナニヲミム サラブレッドハ メノマエヲスグ

『形成』(形成発行所 1984.2) 第32巻2号(通巻370号) p.336


06778
人形の斬られてがばと打ち伏せばいづこかわれの関節ゆるむ
ニンギョウノ キラレテガバト ウチフセバ イヅコカワレノ カンセツユルム

『形成』(形成発行所 1984.2) 第32巻2号(通巻370号) p.336


06779
石鹸の匂ひのあらぬ石鹸もこころもとなし今朝の寝醒めに
セッケンノ ニオヒノアラヌ セッケンモ ココロモトナシ ケサノネザメニ

『形成』(形成発行所 1984.2) 第32巻2号(通巻370号) p.336


06780
結論のまろびて出づることなきか瞼の重き日の続きをり
ケツロンノ マロビテイヅル コトナキカ マブタノオモキ ヒノツヅキヲリ

『形成』(形成発行所 1984.2) 第32巻2号(通巻370号) p.336


06781
ナレーションの絶えし画面に音もなく噴水三基もりあがりゐつ
ナレーションノ タエシガメンニ オトモナク フンスイサンキ モリアガリヰツ

『形成』(形成発行所 1984.3) 第32巻3号(通巻371号) p.134


06782
方向音痴のままに終らむひと世とも見知らぬ坂を従きて登れり
ホウコウオンチノ ママニオワラム ヒトヨトモ ミシラヌサカヲ ツキテノボレリ

『形成』(形成発行所 1984.3) 第32巻3号(通巻371号) p.134


06783
持ちあがらぬ大き袋は何なりし何を運びゐし夢かと思ふ
モチアガラヌ オオキフクロハ ナニナリシ ナニヲハコビヰシ ユメカトオモフ

『形成』(形成発行所 1984.3) 第32巻3号(通巻371号) p.134


06784
水玉を小さくあげて沈みたり薔薇のかたちの砂糖二粒
ミズタマヲ チイサクアゲテ シズミタリ バラノカタチノ サトウフタツブ

『形成』(形成発行所 1984.3) 第32巻3号(通巻371号) p.134


06785
目分量の塩を掴みて振りゆくにしなふは菜ともわれとも知らず
メブンリョウノ シオヲツカミテ フリユクニ シナフハナトモ ワレトモシラズ

『形成』(形成発行所 1984.3) 第32巻3号(通巻371号) p.134


06786
道の上に不意に日ざしの濃くなりて鈴懸の木の影を踏みゆく
ミチノウエノ フイニヒザシノ コクナリテ スズカケノキノ カゲヲフミユク

『形成』(形成発行所 1984.4) 第32巻4号(通巻372号) p.15


06787
持ち時間幾何われに残れるやハングライダーを飛ばす若きら
モチジカン イクバクワレニ ノコレルヤ ハングライダーヲ トバスワカキラ

『形成』(形成発行所 1984.4) 第32巻4号(通巻372号) p.15


06788
春の日は傾きそめてゆるやかに弧を描きつつ波の引きゆく
ハルノヒハ カタムキソメテ ユルヤカニ コヲエガキツツ ナミノヒキユク

『形成』(形成発行所 1984.4) 第32巻4号(通巻372号) p.15


06789
土手の上を駆けゐる子らの影絵なす一時ありて海暮れむとす
ドテノウエヲ カケヰルコラノ カゲエナス ヒトトキアリテ ウミクレムトス

『形成』(形成発行所 1984.4) 第32巻4号(通巻372号) p.15


06790
バスの来てその儘乗りて行きにしが真顔に何を告げむとしたる
バスノキテ ソノママノリテ ユキニシガ マガオニナニヲ ツゲムトシタル

『形成』(形成発行所 1984.4) 第32巻4号(通巻372号) p.15


06791
東京の空にひばりのあがる見て電車は王子の駅に入りたり
トウキョウノ ソラニヒバリノ アガルミテ デンシャハオウジノ エキニイリタリ

『形成』(形成発行所 1984.5) 第32巻5号(通巻373号) p.130


06792
日本は如何なる国かフルートを吹ける異人のをとめに思ふ
ニッポンハ イカナルクニカ フルートヲ フケルイジンノ ヲトメニオモフ

『形成』(形成発行所 1984.5) 第32巻5号(通巻373号) p.130


06793
いくたりを見送りにけむ遍路して果てむ願ひのよぎることあり
イクタリヲ ミオクリニケム ヘンロシテ ハテムネガヒノ ヨギルコトアリ

『形成』(形成発行所 1984.5) 第32巻5号(通巻373号) p.130


06794
十四年ゐたる犬なり今会はば生きてゐし日のままになつくや
ジュウヨネン ヰタルイヌナリ イマアハバ イキテヰシヒノ ママニナツクヤ

『形成』(形成発行所 1984.5) 第32巻5号(通巻373号) p.130


06795
しづかなる夜となりたり届きたる大判の辞書を机に置きて
シヅカナル ヨルトナリタリ トドキタル オオバンノジショヲ ツクエニオキテ

『形成』(形成発行所 1984.5) 第32巻5号(通巻373号) p.130


06796
うづもるる思ひにをればテレビの中の陽明門にも雪降りしきる
ウヅモルル オモヒニヲレバ テレビノナカノ ヨウメイモンニモ ユキフリシキル

『形成』(形成発行所 1984.6) 第32巻6号(通巻374号) p.15


06797
夕焼けを見むと二階の戸を繰れば川原を埋めし雪も染まれる
ユウヤケヲ ミムトニカイノ トヲクレバ カワラヲウメシ ユキモソマレル

『形成』(形成発行所 1984.6) 第32巻6号(通巻374号) p.15


06798
遠景に相争へるさま見えてそのまま雪にくづほれゆけり
エンケイニ アイアラソヘル サマミエテ ソノママユキニ クヅホレユケリ

『形成』(形成発行所 1984.6) 第32巻6号(通巻374号) p.15


06799
行き違ひになりたるのみと知るまでにまた重ねたる歳月ありき
ユキチガヒニ ナリタルノミト シルマデニ マタカサネタル サイゲツアリキ

『形成』(形成発行所 1984.6) 第32巻6号(通巻374号) p.15


06800
かなしみの漸く過ぎてしづけきに前触れもなくまた何が来む
カナシミノ ヨウヤクスギテ シヅケキニ マエブレモナク マタナニガコム

『形成』(形成発行所 1984.6) 第32巻6号(通巻374号) p.15


06801
つらなれる古墳の丘は稜線のけばだつさまに芽ぶきそめたり
ツラナレル コフンノオカハ リョウセンノ ケバダツサマニ メブキソメタリ

『形成』(形成発行所 1984.7) 第32巻7号(通巻375号) p.166


06802
桐の実の鳴ることもなく立つ見ればあはく渦なす思ひも過ぎぬ
キリノミノ ナルコトモナク タツミレバ アハクウズナス オモヒモスギヌ

『形成』(形成発行所 1984.7) 第32巻7号(通巻375号) p.166


06803
植ゑぬ田のかたちに芦の枯れ残る広野の道をバスにゆれゆく
ウヱヌタノ カタチニアシノ カレノコリ ヒロノノミチヲ バスニユレユク

『形成』(形成発行所 1984.7) 第32巻7号(通巻375号) p.166


06804
病むことは何もせぬことたゆたひて繭なす雲を窓に見てゐる
ヤムコトハ ナニモセヌコト タユタヒテ マユナスクモヲ マドニミテヰル

『形成』(形成発行所 1984.7) 第32巻7号(通巻375号) p.166


06805
駅前に駐在所ありてふるさとは雪解の水のささらぐころか
エキマエニ チュウザイショアリテ フルサトハ ユキゲノミズノ ササラグコロカ

『形成』(形成発行所 1984.7) 第32巻7号(通巻375号) p.166


06806
風邪に寝て一日をあれば知らざりし日中の音のくさぐさ聞こゆ
カゼニネテ ヒトヒヲアレバ シラザリシ ヒナカノオトノ クサグサキコユ

『形成』(形成発行所 1984.8) 第32巻8号(通巻376号) p.13


06807
黒豆を煮て浮く灰汁をすくひつつすくひ切れざる澱もあるべし
クロマメヲ ニテウクアクヲ スクヒツツ スクヒキレザル オリモアルベシ

『形成』(形成発行所 1984.8) 第32巻8号(通巻376号) p.13


06808
好奇心の強い子と言はれ育ちにき日に幾たびも辞書を引き寄す
コウキシンノ ツヨイコトイハレ ソダチニキ ヒニイクタビモ ジショヲヒキヨス

『形成』(形成発行所 1984.8) 第32巻8号(通巻376号) p.13


06809
こみあへる葉をぬきんでし著莪の花紫と黄のまだらがあはし
コミアヘル ハヲヌキンデシ シャガノハナ ムラサキトキノ マダラガアハシ

『形成』(形成発行所 1984.8) 第32巻8号(通巻376号) p.13


06810
乱るるはわが言の葉よ噴水の風に吹かれてひろがりやまず
ミダルルハ ワガコトノハヨ フンスイノ カゼニフカレテ ヒロガリヤマズ

『形成』(形成発行所 1984.8) 第32巻8号(通巻376号) p.13


06811
幾月か空き家となりてゐし軒に風鈴吊られうれしげに鳴る
イクツキカ アキヤトナリテ ヰシノキニ フウリンツラレ ウレシゲニナル

『形成』(形成発行所 1984.9) 第32巻9号(通巻377号) p.142


06812
ユツカ蘭のまだ珍しきころなりき移り住みたる大宮に見き
ユツカランノ マダメズラシキ コロナリキ ウツリスミタル オオミヤニミキ

『形成』(形成発行所 1984.9) 第32巻9号(通巻377号) p.142


06813
夕焼けに染まるガラスを見てをればつくねんとわれは黒き塊
ユウヤケニ ソマルガラスヲ ミテヲレバ ツクネントワレハ クロキカタマリ

『形成』(形成発行所 1984.9) 第32巻9号(通巻377号) p.142


06814
背後より襲ふがごとくかたはらをすりぬけて行きし無灯自転車
ハイゴヨリ オソフガゴトク カタハラヲ スリヌケテユキシ ムトウジテンシャ

『形成』(形成発行所 1984.9) 第32巻9号(通巻377号) p.142


06815
呼びとめて何ひさぎゐし人の影ビルのあはひに吸はれてゆけり
ヨビトメテ ナニヒサギヰシ ヒトノカゲ ビルノアハヒニ スハレテユケリ

『形成』(形成発行所 1984.9) 第32巻9号(通巻377号) p.142


06816
リラの雨くちなしの雨と過ぎゆきていま軒を打つ夕立の雨
リラノアメ クチナシノアメト スギユキテ イマノキヲウツ ユウダチノアメ

『形成』(形成発行所 1984.10) 第32巻10号(通巻378号) p.16


06817
気にかかりゐたりしが今朝の外電は事故によるとふ死因を伝ふ
キニカカリ ヰタリシガケサノ ガイデンハ ジコニヨルトフ シインヲツタフ

『形成』(形成発行所 1984.10) 第32巻10号(通巻378号) p.16


06818
つねよりも大きく見ゆる路線バス暗き顔のみ乗せてとまれる
ツネヨリモ オオキクミユル ロセンバス クラキカオノミ ノセテトマレル

『形成』(形成発行所 1984.10) 第32巻10号(通巻378号) p.16


06819
一滴の黄の除光液たちまちにコットンに吸はれてまるく広がる
イッテキノ キノジョコウエキ タチマチニ コットンニスハレテ マルクヒロガル

『形成』(形成発行所 1984.10) 第32巻10号(通巻378号) p.16


06820
マニキュアをしをれば不意に騒立ちて時雨の音の窓を過ぎゆく
マニキュアヲ シヲレバフイニ サワタチテ シグレノオトノ マドヲスギユク

『形成』(形成発行所 1984.10) 第32巻10号(通巻378号) p.16


06821
かなしみの身に添ふごとし夜の更けて盆燈籠を組み立てをれば
カナシミノ ミニソフゴトシ ヨノフケテ ボントウロウヲ クミタテヲレバ

『形成』(形成発行所 1984.11) 第32巻11号(通巻379号) p.146


06822
眠られぬ病を持ちてコーヒーも紅茶のたぐひもいつしか飲まず
ネムラレヌ ヤマイヲモチテ コーヒーモ コウチャノタグヒモ イツシカノマズ

『形成』(形成発行所 1984.11) 第32巻11号(通巻379号) p.146


06823
行き止りに幾度も出会ふ夢なりき最後は如何になりしや知れず
ユキドマリニ イクタビモデアフ ユメナリキ サイゴハイカニ ナリシヤシレズ

『形成』(形成発行所 1984.11) 第32巻11号(通巻379号) p.146


06824
砂利はじく音をあらはに人声の絶えししじまを自転車行けり
ジャリハジク オトヲアラハニ ヒトゴエノ タエシシジマヲ ジテンシャユケリ

『形成』(形成発行所 1984.11) 第32巻11号(通巻379号) p.146


06825
気のつけば指輪ゆるめる薬指思ひ痩せつつ夏過ぎむとす
キノツケバ ユビワユルメル クスリユビ オモヒヤセツツ ナツスギムトス

『形成』(形成発行所 1984.11) 第32巻11号(通巻379号) p.146


06826
病みをれば思はぬいとまの湧く如しモーツアルトをFMに聴く
ヤミヲレバ オモハヌイトマノ ワクゴトシ モーツアルトヲ エフエムニキク

『形成』(形成発行所 1984.12) 第32巻12号(通巻380号) p.14


06827
うす味の食事にも慣れてゆくらむか心もとなきことばかりなる
ウスアジノ ショクジニモナレテ ユクラムカ ココロモトナキ コトバカリナル

『形成』(形成発行所 1984.12) 第32巻12号(通巻380号) p.14


06828
ゆるみゐるコートの釦そのままに出で来て遠しバスまでの道
ユルミヰル コートノボタン ソノママニ イデキテトオシ バスマデノミチ

『形成』(形成発行所 1984.12) 第32巻12号(通巻380号) p.14


06829
つくばひに苔むしてゐつ隙間なく十薬は生ひて花かかげゐつ
ツクバヒニ コケムシテヰツ スキマナク ジフヤクハオヒテ ハナカカゲヰツ

『形成』(形成発行所 1984.12) 第32巻12号(通巻380号) p.14


06830
ちぎり絵を始むと言へり捗りてたのしからむとわれさへ思ふ
チギリエヲ ハジムトイヘリ ハカドリテ タノシカラムト ワレサヘオモフ

『形成』(形成発行所 1984.12) 第32巻12号(通巻380号) p.14