野火の村


07613
靴の先光らせて出づる朝々にひひらぎの花散りはじめたり
クツノサキ ヒカラセテイヅル アサアサニ ヒヒラギノハナ チリハジメタリ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.14


07614
洗いたる髪凍らせて帰りしか雪国の夜の記憶も古りぬ
アライタル カミコオラセテ カエリシカ ユキグニノヨノ キオクモフリヌ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.14


07615
坂道の反射に窓が明るめば間なく至らむ夕べの冷えは
サカミチノ ハンシャニマドガ アカルメバ マナクイタラム ユウベノヒエハ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.14


07616
一粒の火種を未だ持つわれと夜もすがらなる風を聴きゐし
ヒトツブノ ヒダネヲイマダ モツワレト ヨモスガラナル カゼヲキキヰシ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.14


07617
乾きゆく髪に残れるレモンの香何に萎へゐし心と思ふ
カワキユク カミニノコレル レモンノカ ナニニナヘヰシ ココロトオモフ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.14


07618
木鋏を鳴らして冬の枝を断つ芽ぐめる薔薇も容赦なく断つ
キバサミヲ ナラシテフユノ エダヲタツ メグメルバラモ ヨウシャナクタツ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07619
繃帯を巻きし足ごと冷ゆる夜はもくろまむ火花撒くかの神事
ホウタイヲ マキシアシゴト ヒユルヨハ モクロマムヒバナ マクカノシンジ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07620
ウインドウの花の飾りに灯がともりみな月代の青き男雛ら
ウインドウノ ハナノカザリニ ヒガトモリ ミナサカヤキノ アオキヲビナラ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07621
編み物を教へて暮らす友の来てふくらかに編みし帽子呉れゆく
アミモノヲ オシヘテクラス トモノキテ フクラカニアミシ ボウシクレユク

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07622
耳飾りしてゐるわれの写真出づ若くして逸り易き日ありき
ミミカザリ シテヰルワレノ シャシンイヅ ワカクシテハヤリ ヤスキヒアリキ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07623
ルージュもて咄嗟に書きし伝言の短かき文字を悔いて忘れず
ルージュモテ トッサニカキシ デンゴンノ ミジカキモジヲ クイテワスレズ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07624
メタセコイヤの木蔭に棲むといふ知らせ死後の便りの如くはろけし
メタセコイヤノ コカゲニスムト イフシラセ シゴノタヨリノ ゴトクハロケシ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07625
除刑日に生きて再びめぐりあふかなしみに似て鍵束の音
ジョケイニチニ イキテフタタビ メグリアフ カナシミニニテ カギタバノオト

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07626
紙幣もて十字架の飾り買へる見つ雪は次第に窓にはげしく
シヘイモテ クルスノカザリ カヘルミツ ユキハシダイニ マドニハゲシク

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.15


07627
置き石も筧も見えぬくらがりに水の音のみ光り流らふ
オキイシモ カケイモミエヌ クラガリニ ミズノオトノミ ヒカリナガラフ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07628
青白き馬が炎えつつ現はるる振り向くたびに闇の奥より
アオジロキ ウマガモエツツ アラハルル フリムクタビニ ヤミノオクヨリ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07629
砲身の長さを覆ふシート打ち雨音しげし停車の間
ホウシンノ ナガサヲオオフ シートウチ アマオトシゲシ テイシャノアイダ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07630
防災幕のたるみに溜まりゐし水の歩道に落ちてしぶきをあげつ
ボウサイマクノ タルミニタマリ ヰシミズノ ホドウニオチテ シブキヲアゲツ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07631
片端を地上の杭につなぎたる巻尺を率て人降りゆく
カタハシヲ チジョウノクイニ ツナギタル マキジャクヲヰテ ヒトクダリユク

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07632
悪霊を逐はむ願ひはわれも持つ夜々に野火焚く村を過ぎつつ
アクリョウヲ オハムネガヒハ ワレモモツ ヨヨニノビタク ムラヲスギツツ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07633
切り株を起こす作業にきほひゐつ壕掘りしこともなき少年ら
キリカブヲ オコスサギョウニ キホヒヰツ ゴウホリシコトモ ナキショウネンラ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07634
忽ちに飯場解かれて枯れ原をつなぐ分厚き橋残されぬ
タチマチニ ハンバトカレテ カレハラヲ ツナグブアツキ ハシノコサレヌ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07635
新しく敷かれし砂利の匂ふ道雨の匂ひに似つつ歩めり
アタラシク シカレシジャリノ ニオフミチ アメノニオヒニ ニツツアユメリ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.16


07636
木の洞に斧蔵ひおくことも知りあけくれ森を抜けつつ通ふ
キノウロニ オノシマヒオク コトモシリ アケクレモリヲ ヌケツツカヨフ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17


07637
橋桁のほとりまで来て消されたる野火の跡あり踏みつつ帰る
ハシゲタノ ホトリマデキテ ケサレタル ノビノアトアリ フミツツカエル

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17


07638
明けやらぬ森を騒立てゐる猟者ひそみてあれよわが野鳩らは
アケヤラヌ モリヲサワダテ ヰルリョウシャ ヒソミテアレヨ ワガノバトラハ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17


07639
凹凸のはげしき岩も遠ざかる辰砂を溶きし絵皿洗へば
オウトツノ ハゲシキイワモ トオザカル シンサヲトキシ エザラアラヘバ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17


07640
片濁りしてゐる沼を見し日よりオカリナの笛は聞かれずなりぬ
カタニゴリ シテヰルヌマヲ ミシヒヨリ オカリナノフエハ キカレズナリヌ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17


07641
人形の髪の濡れゐる錯覚も過ぎてミモザの水替へに立つ
ニンギョウノ カミノヌレヰル サッカクモ スギテミモザノ ミズカヘニタツ

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17


07642
耳ぎはの髪が吹かれてめざめたりそよぐ木の葉は何方ならむ
ミミギハノ カミガフカレテ メザメタリ ソヨグコノハハ イヅカタナラム

『短歌』(角川書店 1964.3) 第11巻3号 p.17