身を責めて


07802
いつの日の海とも知れず現るる水平線はつねに目の高さ
イツノヒノ ウミトモシレズ アラワルル スイヘイセンハ ツネニメノタカサ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.64


07803
ついばみて足もとにゐし鳩一羽ふとなまぐさし飛びたつときは
ツイバミテ アシモトニヰシ ハトイチワ フトナマグサシ トビタツトキハ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07804
保つべき距離と思ふに鼓動などの木にも草にもあるごとき日よ
タモツベキ キョリトオモフニ コドウナドノ キニモクサニモ アルゴトキヒヨ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07805
女にて怯む思ひの間々きざす人ごみのなかいま橋の上
オンナニテ ヒルムオモヒノ ママキザス ヒトゴミノナカ イマハシノウエ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07806
わが知らぬ職種もあらむかたはらの一人は磁気のごときをまとふ
ワガシラヌ ショクシュモアラム カタハラノ ヒトリハジキノ ゴトキヲマトフ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07807
どのやうなかなしみをまた知るわれか胸濡らしつつ髪を洗へり
ドノヤウナ カナシミヲマタ シルワレカ ムネヌラシツツ カミヲアラヘリ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07808
消しておくテレビに映りゆくりなく逆三角をなすもわが顔
ケシテオク テレビニウツリ ユクリナク ギャクサンカクヲ ナスモワガカオ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07809
みづからのこめかみ押して堪へむとす分別といふがよみがへりつつ
ミヅカラノ コメカミオシテ タヘムトス ブンベツトイフガ ヨミガヘリツツ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.65


07810
背後よりしづもる夜更け使ひたる鋏を置けば音はねかへる
ハイゴヨリ シヅモルヨフケ ツカヒタル ハサミヲオケバ オトハネカヘル

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07811
さわがしく光を反しゐたる雪しみじみ白し夜の闇に見て
サワガシク ヒカリヲカヘシ ヰタルユキ シミジミシロシ ヨノヤミニミテ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07812
かなへられぬ願ひの一つ前面に踊りて出づる黒衣を待つは
カナヘラレヌ ネガヒノヒトツ ゼンメンニ オドリテイヅル クロコヲマツハ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07813
眠り薬のきき出すころか胸の上に軟体となる十本の指
ネムリグスリノ キキダスコロカ ムネノウエニ ナンタイトナル ジッポンノユビ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07814
青みさす雪のあけぼのきぬぎぬのあはれといふも知らで終らむ
アオミサス ユキノアケボノ キヌギヌノ アハレトイフモ シラデオワラム

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07815
うす雲にまぎるるほどの残月と仰ぎしことも夢かも知れず
ウスグモニ マギルルホドノ ザンゲツト アオギシコトモ ユメカモシレズ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07816
階段を昇りゆくときひざまづくかたちに椅子の見ゆる事務室
カイダンヲ ノボリユクトキ ヒザマヅク カタチニイスノ ミユルジムシツ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.66


07817
踊り場のガラスはいつも曇りゐて坂下の沼とけぢめのつかぬ
オドリバノ ガラスハイツモ クモリヰテ サカシタノヌマト ケヂメノツカヌ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07818
運といふたれにもつきまとふものならむ採点に根を詰めゐて思ふ
ウントイフ タレニモツキマトフ モノナラム サイテンニコンヲ ツメヰテオモフ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07819
目の前が真紅に染みぬシクラメンを届けむといふ電話聞きつつ
メノマエガ シンクニソミヌ シクラメンヲ トドケムトイフ デンワキキツツ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07820
すさみゐし午後と思ふにはかどれる仕事のことを人の言ひゆく
スサミヰシ ゴゴトオモフニ ハカドレル シゴトノコトヲ ヒトノイヒユク

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07821
山の地図を柩に入れてやる見つつ死者になし得るなべてさびしき
ヤマノチズヲ ヒツギニイレテ ヤルミツツ シシャニナシウル ナベテサビシキ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07822
告ぐるべき人もあらねど喪の家の夜の賑はひを脱けて戻り来
ツグルベキ ヒトモアラネド モノイエノ ヨノニギハヒヲ ヌケテモドリク

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07823
花びらの反りて辛夷も過ぎむとす影の濃き日と思ひ仰げば
ハナビラノ ソリテコブシモ スギムトス カゲノコキヒト オモヒアオゲバ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.67


07824
色の濃きプラム・無花果入り混り喧しく見ゆ果実の店は
イロノコキ プラム・イチジク イリマジリ カシマシクミユ カジツノミセハ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07825
ゴムの輪を手首に嵌めてゐる人の女のやうな指がレジ打つ
ゴムノワヲ テクビニハメテ ヰルヒトノ オンナノヤウナ ユビガレジウツ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07826
炊ぎなどに時割くこともあへなくてセロリは匂ふ夜の厨に
カシギナドニ トキサクコトモ アヘナクテ セロリハニオフ ヨルノクリヤニ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07827
わが使ふ光と水と火の量の測られて届く紙片三枚
ワガツカフ ヒカリトミズト ヒノリョウノ ハカラレテトドク シヘンサンマイ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07828
生命線の短き手相見てしまひ思へることのちりぢりとなる
セイメイセンノ ミジカキテソウ ミテシマヒ オモヘルコトノ チリヂリトナル

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07829
反復をのがれむとのみゆく旅にしだれ桜は見ごろと言へり
ハンプクヲ ノガレムトノミ ユクタビニ シダレザクラハ ミゴロトイヘリ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07830
はじけたる草の実にふとたじろぎし鳩のそのまま歩み去りたり
ハジケタル クサノミニフト タジロギシ ハトノソノママ アユミサリタリ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.68


07831
あけびの花の芯の黒まで行き着きてまた戻りくる何の意識か
アケビノハナノ シンノクロマデ ユキツキテ マタモドリクル ナンノイシキカ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07832
赤松の幹に斜めにたち割られ遠くかがやく苗代の水
アカマツノ ミキニナナメニ タチワラレ トオクカガヤク ナワシロノミズ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07833
下り来て遠目となれる夜の桜なまあたたかしふり返るとき
クダリキテ トホメトナレル ヨノサクラ ナマアタタカシ フリカエルトキ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07834
旅びとも馬も疲れて眠りたらむセロファンが道を吹かれてゆけり
タビビトモ ウマモツカレテ ネムリタラム セロファンガミチヲ フカレテユケリ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07835
スカートをたたみて置きて眠らむに久しく聞かずダミアの唄も
スカートヲ タタミテオキテ ネムラムニ ヒサシクキカズ ダミアノウタモ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07836
雨傘を持たせて帰しやりしあと争はむ家族もわれにはあらぬ
アマガサヲ モタセテカエシ ヤリシアト アラソハムカゾクモ ワレニハアラヌ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07837
白の花の多き季節と言ひてゐし亡き母を思ふ雨に倦む日は
シロノハナノ オオキキセツト イヒテヰシ ナキハハヲオモフ アメニウムヒハ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.69


07838
思はむときに目に来る記憶の一つにて皇帝ハイレ・セラシエの写真
オモハムトキニ メニクルキオクノ ヒトツニテ コウテイハイレ・ セラシエノシャシン

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07839
咲きそろふ黄の薔薇のなか布きれのやうに余れる花びらは見ゆ
サキソロフ キノバラノナカ ヌノキレノ ヤウニアマレル ハナビラハミユ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07840
箪笥一棹と思へど移すあてあらずまた幾日が降りつづく雨
タンスヒトサオト オモヘドウツス アテアラズ マタイクニチガ フリツヅクアメ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07841
何事か夜の明くるまに終りゐて少女らはみな白の靴履く
ナニゴトカ ヨノアクルマニ オワリヰテ ショウジョラハ ミナシロノクツハク

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07842
鳥も虫もみな地に落ちて死にてをり夏の落ち葉を掃きつつ思ふ
トリモムシモ ミナチニオチテ シニテヲリ ナツノオチバヲ ハキツツオモフ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07843
混線し入りくる曲の名も知らず短く切れぬ夜の電話は
コンセンシ イリクルキョクノ ナモシラズ ミジカクキレヌ ヨルノデンワハ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07844
もろともに声を挙げたるたれも亡し間遠になりて花火は終る
モロトモニ コエヲアゲタル タレモナシ マドホニナリテ ハナビハオワル

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.70


07845
身を責めてうすらぐ咎と思はねど旅ゆきて売子木の花どきに遭ふ
ミヲセメテ ウスラグトガト オモハネド タビユキテエゴノ ハナドキニアフ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71


07846
日のくれをひそみて待ちてゐし如くライトを浴びす噴水の穂に
ヒノクレヲ ヒソミテマチテ ヰシゴトク ライトヲアビス フンスイノホニ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71


07847
亡き人の使ひ残せる香水も飛びて小さき瓶すきとほる
ナキヒトノ ツカヒノコセル コウスイモ トビテチイサキ ビンスキトホル

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71


07848
われの名をうすく彫りたる銀の匙まことさいはひうすきわが名よ
ワレノナヲ ウスクホリタル ギンノサジ マコトサイハヒ ウスキワガナヨ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71


07849
惜しみつつ時間を食べてゐる虫のわれかと思ひ膝に手を置く
オシミツツ ジカンヲタベテ ヰルムシノ ワレカトオモヒ ヒザニテヲオク

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71


07850
右腕をかばはむとのみ眠りつつつめたき魚となりては目ざむ
ミギウデヲ カバハムトノミ ネムリツツ ツメタキウオト ナリテハメザム

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71


07851
灯を一つ残して出でてゆく習ひ忌の日の薔薇もしをれそめつつ
ヒヲヒトツ ノコシテイデテ ユクナラヒ キノヒノバラモ シヲレソメツツ

『短歌』(角川書店 1974.9) 第21巻9号 p.71