峠のごとき


08112
降りやまぬ雨を見をればわが茎の芦より青く立つことのあり
フリヤマヌ アメヲミヲレバ ワガクキノ アシヨリアオク タツコトノアリ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.40


08113
ゆるやかにレール分れて草のなか穀倉地帯の名も古りむとす
ユルヤカニ レールワカレテ クサノナカ コクソウチタイノ ナモフリムトス

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.40


08114
裏道の昼のしづけさローラーカナリアの声などこのごろ聞かず
ウラミチノ ヒルノシヅケサ ローラー カナリアノコエナド コノゴロキカズ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.41


08115
予告なきもののみにして目の前のマンホールから人の出で来る
ヨコクナキ モノノミニシテ メノマエノ マンホールカラ ヒトノイデクル

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.41


08116
バスに行き遠見となればかたまりてあはきみどりをなす梨の花
バスニユキ トホミトナレバ カタマリテ アハキミドリヲ ナスナシノハナ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.41


08117
善悪のかなたのことと慰めて慰めきれず人の歎きは
ゼンアクノ カナタノコトト ナグサメテ ナグサメキレズ ヒトノナゲキハ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.41


08118
電圧の変るときのまチアノーゼ色に映れる俳優の口
デンアツノ カワルトキノマ チアノーゼ イロニウツレル ハイユウノクチ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.41


08119
灯を消してみひらきをれば一定の量の闇にて濃くなるばかり
ヒヲケシテ ミヒラキヲレバ イッテイノ リョウノヤミニテ コクナルバカリ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.41


08120
エンジンをかけて夜通し待ちゐたる船も何をかのせて発ちたり
エンジンヲ カケテヨドオシ マチヰタル フネモナニヲカ ノセテタチタリ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.42


08121
正面に見たる魚の顔一つ最前列の顔とかさなる
ショウメンニ ミタルウオノ カオヒトツ サイゼンレツノ カオトカサナル

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.42


08122
雨のあとの街に湧きたつささめきはわがゐる五階の窓にも届く
アメノアトノ マチニワキタツ ササメキハ ワガヰルゴカイノ マドニモトドク

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.42


08123
階段のひとところ陽の差してゐて少女ら脛を光らせて過ぐ
カイダンノ ヒトトコロヒノ サシテヰル ショウジョラハギヲ ヒカラセテスグ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.42


08124
人だのみの多くなりつつ目に見えて諦め易くわれは働く
ヒトダノミノ オオクナリツツ メニミエテ アキラメヤスク ワレハハタラク

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.42


08125
いくたびも仕事を替へていとまある職場といふは得ず終らむか
イクタビモ シゴトヲカヘテ イトマアル ショクバトイフハ エズオワラムカ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.42


08126
目の前に紙切る見れば左利きと知らで過ぎたり十日余りを
メノマエニ カミキルミレバ ヒダリキキト シラデスギタリ トオカアマリヲ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.43


08127
一人前の労働力に還元し励む日萎ゆる日ありてすぎゆく
イチニンマエノ ロウドウリョクニ カンゲンシ ハゲムヒナユルヒ アリテスギユク

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.43


08128
駆け戻る思ひに夜々を帰り来て机に向ふもあと幾年か
カケモドル オモヒニヨヨヲ カエリキテ ツクエニムカフモ アトイクトシカ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.43


08129
年を経し死者の一人は幾たびもわが夢のなかに来ては死ぬるも
トシヲヘシ シシャノヒトリハ イクタビモ ワガユメノナカニ キテハシヌルモ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.43


08130
ばらばらのクッキーをホイルに包みゐて心一つをまとめむに似る
バラバラノ クッキーヲホイルニ クルミヰテ ココロヒトツヲ マトメムニニル

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.43


08131
あらかじめ人の寿命は定まると聞き来て歩度のゆるむ思ひす
アラカジメ ヒトノジュミョウハ サダマルト キキキテホドノ ユルムオモヒス

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.43


08132
見のがしてゐることあらむセロリーの鮮度などにわがかかづらふ間に
ミノガシテ ヰルコトアラム セロリーノ センドナドニワガ カカヅラフマニ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.44


08133
売られゐるもののみに足る生活と思ひてをればバスの近づく
ウラレヰル モノノミニタル セイカツト オモヒテヲレバ バスノチカヅク

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.44


08134
白粉花の折れ易き茎ほきほきと節から折りて児らのあそべる
オシロイバナノ オレヤスキクキ ホキホキト フシカラオリテ コラノアソベル

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.44


08135
琴を弾く埴輪見をればわが指に届かぬ弦のあるごとき日よ
コトヲヒク ハニワミヲレバ ワガユビニ トドカヌゲンノ アルゴトキヒヨ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.44


08136
畳の上に大き鋏のありにしが朝起き出でて何事もなし
タタミノウエニ オオキハサミノ アリニシガ アサオキイデテ ナニゴトモナシ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.44


08137
口をあく扇形グラフ馬鈴薯をむくことなどもなくてすぎゆく
クチヲアク センケイグラフ バレイショヲ ムクコトナドモ ナクテスギユク

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.44


08138
いつとなく死せる人らを責むるまでさかのぼりゆくわれの思ひは
イツトナク シセルヒトラヲ セムルマデ サカノボリユク ワレノオモヒハ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.45


08139
列車よりも心馳せにき西へ向ふブルートレインもなくなるといふ
レッシャヨリ ココロハセニキ ニシヘムカフ ブルートレインモ ナクナルトイフ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.45


08140
出奔の夜なりきわれは街灯に次々に照らされて駅へ急ぎき
シュッパンノ ヨナリキワレハ ガイトウニ ツギツギニテラサレテ エキヘイソギキ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.45


08141
ラベンダーより色濃き花と見てありて詳しく知れることも少なし
ラベンダーヨリ イロコキハナト ミテアリテ クワシクシレル コトモスクナシ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.45


08142
左右より木立の欝は迫り来てまたさしかかる峠のごとき
サユウヨリ コダチノウツハ セマリキテ マタサシカカル トウゲノゴトキ

『短歌』(角川書店 1979.9) 第26巻9号 p.45