森の匂ひ


08164
光りつつへだてあひつつ花びらは雲のうろこのやうに降りくる
ヒカリツツ ヘダテアヒツツ ハナビラハ クモノウロコノ ヤウニフリクル

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.274


08165
両手もてふさぎし耳にひとしきり遠き故郷の吹雪の声す
リョウテモテ フサギシミミニ ヒトシキリ トオキコキョウノ フブキノコエス

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.274


08166
一枚の皮膚と思ふに目の前を黄色に染めて風の吹く日よ
イチマイノ ヒフトオモフニ メノマエヲ キイロニソメテ カゼノフクヒヨ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.275


08167
雨の日の津和野はわれの思ふのみ滴を切りて傘の始末す
アメノヒノ ツワノハワレノ オモフノミ シズクヲキリテ カサノシマツス

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.275


08168
選びがたき思ひにをればかかはりもあらぬ埴輪の筒などが見ゆ
エラビガタキ オモヒニヲレバ カカハリモ アラヌハニワノ ツツナドガミユ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.275


08169
言葉を持つ不幸に思ひ至る日をはればれと舞ふ銀杏の落ち葉
コトバヲモツ フコウニオモヒ イタルヒヲ ハレバレトマフ イチョウノオチバ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.275


08170
急行のとまらぬ駅と寂しみて待つ間に逢魔が時も過ぎなむ
キュウコウノ トマラヌエキト サビシミテ マツマニオウマガ トキモスギナム

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.275


08171
掃きよせて砂のまじれる葉を燃せば森の匂ひをたててくすぶる
ハキヨセテ スナノマジレル ハヲモセバ モリノニオヒヲ タテテクスブル

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.275


08172
何により山鳩などに生まれしや問ひやまず啼く一羽木にゐる
ナニニヨリ ヤマバトナドニ ウマレシヤ トヒヤマズナク イチワキニヰル

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.276


08173
あくる日の仕事のことをわれの言ひこころさもしくなりて別れき
アクルヒノ シゴトノコトヲ ワレノイヒ ココロサモシク ナリテワカレキ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.276


08174
眠る前のやさしさのなか青蚊帳の麻の匂ひを久しく嗅がず
ネムルマエノ ヤサシサノナカ アオガヤノ アサノニオヒヲ ヒサシクカガズ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.276


08175
次々に疑ひばかり湧く日にて人の掛けおくコートが赤し
ツギツギニ ウタガヒバカリ ワクヒニテ ヒトノカケオク コートガアカシ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.276


08176
メラミン樹脂塗られて固き机とぞ手を置けば手のかたちに曇る
メラミンジュシ ヌラレテカタキ ツクエトゾ テヲオケバテノ カタチニクモル

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.276


08177
ルワンダのコーヒー匂ふゐながらにたのしむことの限界として
ルワンダノ コーヒーニオフ ヰナガラニ タノシムコトノ ゲンカイトシテ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.276


08178
ゆく末に賑はひあれよ群書類従二十四巻今日は届きぬ
ユクスエニ ニギハヒアレヨ グンショルイジュウ ニジュウヨンカン キョウハトドキヌ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.277


08179
しめ繩の張られてゐたる片隅の遠き記憶のなかのくらがり
シメナワノ ハラレテヰタル カタスミノ トオキキオクノ ナカノクラガリ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.277


08180
山の端に今し浮く雲平面に叩きつけられし如きかたちす
ヤマノハニ イマシウククモ ヘイメンニ タタキツケラレシ ゴトキカタチス

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.277


08181
おもむろに芯に近づくけはいにも身動きならぬ果実かわれは
オモムロニ シンニチカヅク ケハイニモ ミウゴキナラヌ カジツカワレハ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.277


08182
骨格の模型垂りゐし標本室夢に見て今も入りてゆけず
コッカクノ モケイタリヰシ ヒョウホンシツ ユメニミテイマモ ハイリテユケズ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.277


08183
抜けおちて隙間だらけの羽根を持ち谷の一つも越え得るらむか
ヌケオチテ スキマダラケノ ハネヲモチ タニノヒトツモ コエエルラムカ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.277


08184
あきらめて忘れて今は眠らむに重たき腕を両脇に置く
アキラメテ ワスレテイマハ ネムラムニ オモタキウデヲ リョウワキニオク

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.278


08185
この秋の終りの蜆蝶ならむ草のもみぢにまぎれつつ飛ぶ
コノアキノ オワリノシジミ チョウナラム クサノモミヂニ マギレツツトブ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.278


08186
葉がくれにくぐもり咲ける枇杷の花思ひ自虐に似つつ仰ぎぬ
ハガクレニ クグモリサケル ビワノハナ オモヒジギャクニ ニツツアオギヌ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.278


08187
年を経て狭められたる庭園にしろじろと立つ噴水の穂は
トシヲヘテ セバメラレタル テイエンニ シロジロトタツ フンスイノホハ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.278


08188
鹿の角のやうに開きし枯れ枝に間違ひならむ黄の花の咲く
シカノツノノ ヤウニヒラキシ カレエダニ マチガヒナラム キノハナノサク

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.278


08189
感情のひろがる幅の見えやまず船が分けゆく水脈を見をれば
カンジョウノ ヒロガルハバノ ミエヤマズ フネガワケユク ミヲヲミヲレバ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.278


08190
きれぎれになりても生きむなど思ひ眠りしのちはゆくへ知られず
キレギレニ ナリテモイキム ナドオモヒ ネムリシノチハ ユクヘシラレズ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.279


08191
堕ちてゆくこころまざまざ見し夢に憎みゐたりき人の背中を
オチテユク ココロマザマザ ミシユメニ ニクミヰタリキ ヒトノセナカヲ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.279


08192
てのひらに残る記憶よ霧の夜の石のてすりのつめたかりけり
テノヒラニ ノコルキオクヨ キリノヨノ イシノテスリノ ツメタカリケリ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.279


08193
外套に首をうづめて人波にまぎれゆきたる咎びともゐむ
ガイトウニ クビヲウヅメテ ヒトナミニ マギレユキタル トガビトモヰム

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.279


08194
夕刊を取りこみドアの鍵一つかけてしまへば夜の檻のなか
ユウカンヲ トリコミドアノ カギヒトツ カケテシマヘバ ヨノオリノナカ

『短歌』(角川書店 1980.1) 第27巻1号 p.279