岸辺かここは


08195
大方は忘れて過ぐる死者にしてかすかにわれを縛ることあり
オオカタハ ワスレテスグル シシャニシテ カスカニワレヲ シバルコトアリ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.154


08196
葉がくれに朴は花咲きひとすぢの水の流れのごとく匂ひ来
ハガクレニ ホオハハナサキ ヒトスヂノ ミズノナガレノ ゴトクニオヒク

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.154


08197
着替へして出でゆく用のあるはよし朝の声音に鳥も鳴くなり
キガヘシテ イデユクヨウノ アルハヨシ アサノコワネニ トリモナクナリ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.155


08198
コンサートのための暗譜をしてゐたり夢に出で来し少女のわれは
コンサートノ タメノアンプヲ シテヰタリ ユメニイデコシ ショウジョノワレハ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.155


08199
何をして冬を越ししや畦道は幅いっぱいに若草のいろ
ナニヲシテ フユヲコシシヤ アゼミチハ ハバイッパイニ ワカクサノイロ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.155


08200
山越えてあがる凧ありうら若き父とその子の走るならずや
ヤマコエテ アガルタコアリ ウラワカキ チチトソノコノ ハシルナラズヤ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.155


08201
くぐもれる声に鳴きつつゐる鳩の飛びたつときに音あらあらし
クグモレル コエニナキツツ ヰルハトノ トビタツトキニ オトアラアラシ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.155


08202
男言葉女言葉のけぢめなく語らひゆけり若き人らは
オトココトバ オンナコトバノ ケヂメナク カタラヒユケリ ワカキヒトラハ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.155


08203
まる見えに立ちて一日働くはつらからむ白のハイヒール履く
マルミエニ タチテイチニチ ハタラクハ ツラカラムシロノ ハイヒールハク

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.156


08204
いきいきとレジ打つさまに見とれしがうとむにもあらずわれの職場を
イキイキト レジウツサマニ ミトレシガ ウトムニモアラズ ワレノショクバヲ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.156


08205
立ち退きの終れる広き工場跡古しり祠のありて残さる
タチノキノ オワレルヒロキ コウバアト フリシホコラノ アリテノコサル

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.156


08206
母ならで聞くはうとまし幼な子のあたりかまはぬ声に泣くなり
ハハナラデ キクハウトマシ オサナゴノ アタリカマハヌ コエニナクナリ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.156


08207
遠き日に失ひてをり買物籠をみたして帰るよろこびなども
トオキヒニ ウシナヒテヲリ カイモノカゴヲ ミタシテカエル ヨロコビナドモ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.156


08208
針金の錆びてまつはる垣などを予測してゐるわれかと思ふ
ハリガネノ サビテマツハル カキナドヲ ヨソクシテヰル ワレカトオモフ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.156


08209
をりをりに炎あげつつ野火は燃え暮れゆく山のたちまち黒し
ヲリヲリニ ホノオアゲツツ ノビハモエ クレユクヤマノ タチマチクロシ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.157


08210
新幹線は動かずと言へり春雪に阻まれてしまふ逢ひなどあらむ
シンカンセンハ ウゴカズトイヘリ シュンセツニ ハバマレテシマフ アヒナドアラム

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.157


08211
盤をかこみ老ひし人らのなす遊び球はぶつかりにぶき音立つ
バンヲカコミ オヒシヒトラノ ナスアソビ タマハブツカリ ニブキオトタツ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.157


08212
三十年経て忘られず道だけが残りてゐたる空中写真
サンジュウネン ヘテワスラレズ ミチダケガ ノコリテヰタル クウチュウシャシン

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.157


08213
予測してゐたる通りに告げられて飛びのくやうな思ひをなせり
ヨソクシテ ヰタルトオリニ ツゲラレテ トビノクヤウナ オモヒヲナセリ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.157


08214
トルソーの胸にも深く響きゐむガラス戸に鳴る木々の嵐は
トルソーノ ムネニモフカク ヒビキヰム ガラスドニナル キギノアラシハ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.157


08215
計算器のボタン押しつつ思ひ出づ暗算に母はひいでいましき
ケイサンキノ ボタンオシツツ オモヒイヅ アンザンニハハハ ヒイデイマシキ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.158


08216
職場は地獄などと思ふにあらねど穴より出でし如くに歩む
ショクバハ ジゴクナドト オモフニアラネド アナヨリイデシ ゴトクニアユム

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.158


08217
つながねば見えぬ星座もさびしけれおぼろに高き春の夜の空
ツナガネバ ミエヌセイザモ サビシケレ オボロニタカキ ハルノヨノソラ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.158


08218
ひさびさの休日の朝わが庭の羊歯はけぶらふさまに茂りぬ
ヒサビサノ キュウジツノアサ ワガニワノ シダハケブラフ サマニシゲリヌ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.158


08219
隠し絵の女の顔に見覚えのありてやさしく春の夜をゐる
カクシエノ オンナノカオニ ミオボエノ アリテヤサシク ハルノヨヲヰル

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.158


08220
飲み慣れし薬といへど散りやすくガラスの粉のやうなざらざら
ノミナレシ クスリトイヘド チリヤスク ガラスノコナノ ヤウナザラザラ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.158


08221
振り向けば壁に立つ影声もなし流れ着きたる岸辺かここは
フリムケバ カベニタツカゲ コエモナシ ナガレツキタル キシベカココハ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.159


08222
地球ごと滅ぶるは何時砂をゑぐる駱駝の足を画面は捉ふ
チキュウゴト ホロブルハイツ スナヲヱグル ラクダノアシヲ ガメンハトラフ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.159


08223
跳びはねて帰りゆきしがあやつりの狐も今は眠れるころか
トビハネテ カエリユキシガ アヤツリノ キツネモイマハ ネムレルコロカ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.159


08224
どのやうに生きても一生繭なさぬ糸を吐きつぐ一生もあらむ
ドノヤウニ イキテモヒトヨ マユナサヌ イトヲハキツグ ヒトヨモアラム

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.159


08225
骨として埋めらるるまで幾日か死にたらむ後もいまいましけれ
ホネトシテ ウメラルルマデ イクニチカ シニタラムノチモ イマイマシケレ

『短歌』(角川書店 1980.7) 第27巻7号 p.159