遠景-離職あとさき


08546
うす雪の白くこごれるしづけさにあと幾朝と思ひつつ出づ
ウスユキノ シロクコゴレル シヅケサニ アトイクアサト オモヒツツイヅ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.28


08547
雪のあとの木の間しづもり身の軽きものの足跡かそかに曳けり
ユキノアトノ コノマシヅモリ ミノカルキ モノノアシアト カソカニヒケリ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.28


08548
登庁のかはりなければ三月後にやめゆくわれと人に知られず
トウチョウノ カハリナケレバ ミツキゴニ ヤメユクワレト ヒトニシラレズ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.28


08549
一度にて点きしライター思はざる大きほのほを目の前に上ぐ
イチドニテ ツキシライター オモハザル オオキホノホヲ メノマエニアグ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.29


08550
B4の紙片一枚回付され組織をまるごとゆさぶる日あり
ビーヨンノ シヘンイチマイ カイフサレ ソシキヲマルゴト ユサブルヒアリ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.29


08551
狐ほどに痩せたる顔を持ち歩く夢ながながと見て夜の明けぬ
キツネホドノ ヤセタルカオヲ モチアルク ユメナガナガト ミテヨノアケヌ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.29


08552
やめてゆく職場にあれば日毎日毎遠景となる書類の束も
ヤメテユク ショクバニアレバ ヒゴトヒゴト エンケイトナル ショルイノタバモ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.29


08553
二十歳にて教員たりきこだはらぬ性にからくも働きて来し
ハタチニテ キョウインタリキ コダハラヌ ショウニカラクモ ハタラキテコシ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.29


08554
追ひ詰められし思ひにをれば目の前のパンジーの花も両眼を持つ
オヒツメラレシ オモヒニヲレバ メノマエノ パンジーノハナモ リョウガンヲモツ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.29


08555
いとまいとまに物縫ふならひいつとなく失せて買ひおく更紗も古りぬ
イトマイトマニ モノヌフナラヒ イツトナク ウセテカヒオク サラサモフリヌ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.30


08556
目つぶしを投げて鬼よりのがれしが鬼の顔さへわれは見ざりき
メツブシヲ ナゲテオニヨリ ノガレシガ オニノカオサヘ ワレハミザリキ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.30


08557
ユリア樹脂の羊歯あをあをと繁らせて装ほふことの限り見えくる
ユリアジュシノ シダアヲアヲト シゲラセテ ヨソホフコトノ カギリミエクル

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.30


08558
ゆく末に虹を見ぬとも決まりゐず光るコインのまろび出で来る
ユクスエニ ニジヲミヌトモ キマリヰズ ヒカルコインノ マロビイデクル

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.30


08559
流氷の寄せ来む春と言ふ聞けばわが待つ春にかさねて思ふ
リュウヒョウノ ヨセコムハルト イフキケバ ワガマツハルニ カサネテオモフ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.30


08560
道々に思ひつづけしはかなごと目の前に来て木の立ちあがる
ミチミチニ オモヒツヅケシ ハカナゴト メノマエニキテ キノタチアガル

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.30


08561
うたかたの職場におのれ尽くし来ぬ指のあはひを風の抜けゆく
ウタカタノ ショクバニオノレ ツクシキヌ ユビノアハヒヲ カゼノヌケユク

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.31


08562
くらがりに時計を打つはたれの手か二階の部屋と気づきて寒し
クラガリニ トケイヲウツハ タレノテカ ニカイノヘヤト キヅキテサムシ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.31


08563
生活の資を得るのみに終らむと思ひ見ざりき日々に気負ひて
セイカツノ シヲウルノミニ オワラムト オモヒミザリキ ヒビニキオヒテ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.31


08564
しろじろとどこからも見ゆる明るさに喪の家の灯の夜すがら点る
シロジロト ドコカラモミユル アカルサニ モノイエノヒノ ヨスガラトモル

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.31


08565
みひらかば大きなる目を逝きまして左合はせの白衣もやさし
ミヒラカバ オオキナルメヲ ユキマシテ ヒダリアハセノ ハクイモヤサシ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.31


08566
生きをれば嘆くことのみあるものをいたく小さし柩の顔は
イキヲレバ ナゲクコトノミ アルモノヲ イタクチイサシ ヒツギノカオハ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.31


08567
縛られつつ護られてもゐしわれならむ公務員とふ肩書失せぬ
シバラレツツ マモラレテモヰシ ワレナラム コウムイントフ カタガキウセヌ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.32


08568
余すなく咲きたる桜仰ぎゐてかかるゆとりもわれに久しき
アマスナク サキタルサクラ アオギヰテ カカルユトリモ ワレニヒサシキ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.32


08569
野の空のいづこに落ち合ふ蝶ならむふはふはとしてとめどなく舞ふ
ノノソラノ イヅコニオチアフ チョウナラム フハフハトシテ トメドナクマフ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.32


08570
大仰なしあはせなどは願はねどすこやかにしばしあらしめ給へ
オオギョウナ シアハセナドハ ネガハネド スコヤカニシバシ アラシメタマヘ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.32


08571
三枚のガラスを透かす角度にて花びらの如し黄の洋傘は
サンマイノ ガラスヲスカス カクドニテ ハナビラノゴトシ キノヨウガサハ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.32


08572
定期券など忘るることのなくてすむたつきのあるを知らで過ぎ来し
テイキケンナド ワスルルコトノ ナクテスム タツキノアルヲ シラデスギコシ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.32


08573
有楽町へ着くまで長し独りごとを言ひやまぬ人と隣りあはせて
ユウラクチョウヘ ツクマデナガシ ヒトリゴトヲ イヒヤマヌヒトト トナリアハセテ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.33


08574
立ちどまり捨てし煙草を踏み消して去りゆくさまの映画めきたる
タチドマリ ステシタバコヲ フミケシテ サリユクサマノ エイガメキタル

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.33


08575
青銅の像を見をれば胸板のつめたかりにし夜を忘れず
セイドウノ ゾウヲミヲレバ ムナイタノ ツメタカリニシ ヨルヲワスレズ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.33


08576
あやとりをしてゐし夢にたれならむもうひとりゐし幼な子の影
アヤトリヲ シテヰシユメニ タレナラム モウヒトリヰシ オサナゴノカゲ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.33


08577
湯のたぎる待ちて立ちゐていつよりかマッチを置かぬ厨と気づく
ユノタギル マチテタチヰテ イツヨリカ マッチヲオカヌ クリヤトキヅク

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.33


08578
沿線に春闌けにけむ勤めやめて桐の花など見られずなりぬ
エンセンニ ハルタケニケム ツトメヤメテ キリノハナナド ミラレズナリヌ

『短歌現代』(短歌新聞社 1982.6) 第6巻6号 p.33