野火


08897
気付かれぬ距離に立ちゐて電車待つ五分ばかりの長かりしかな
キヅカレヌ キョリニタチヰテ デンシャマツ ゴフンバカリノ ナガカリシカナ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08898
最後尾の車両にをれば発車のベル押しゐる車掌の指の先見ゆ
サイコウビノ シャリョウニヲレバ ハッシャノベル オシヰルシャショウノ ユビノサキミユ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08899
郊外に家の立て込むわが町を新幹線の窓に見て過ぐ
コウガイニ イエノタテコム ワガマチヲ シンカンセンノ マドニミテスグ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08900
後部座席に英語の会話続きゐてをりをり笑ふ女性のこゑは
コウブザセキニ エイゴノカイワ ツヅキヰテ ヲリヲリワラフ ジョセイノコヱハ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08901
紋服の男子が一人乗りて来て坐るまで見て何事も無し
モンプクノ ダンシガヒトリ ノリテキテ スワルマデミテ ナニゴトモナシ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08902
トンネルに入りて紛るる核シェルターのことを話してゐたりし声も
トンネルニ イリテマギルル カクシェルターノ コトヲハナシテ ヰタリシコエモ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08903
一つの傘によりそひゆきてみちのくの訛りにわれもものを言ひゐつ
ヒトツノカサニ ヨリソヒユキテ ミチノクノ ナマリニワレモ モノヲイヒヰツ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08904
地図に無き農道にして枯れ残るゑのころぐさのうなづきやまず
チズニナキ ノウドウニシテ カレノコル ヱノコログサノ ウナヅキヤマズ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08905
堤より風を呼びつつ石を巻きまた走りたり野火の火先は
ツツミヨリ カゼヲヨビツツ イシヲマキ マタハシリタリ ノビノホサキハ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08906
先回りされゐし記憶よみがへり足型を砂に沈めつつゆく
サキマワリ サレヰシキオク ヨミガヘリ アシガタヲスナニ シズメツツユク

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08907
鳩の二十羽ほどが中空を旋回すリモートコントロールされゐる如く
ハトノニジッパ ホドガチュウクウヲ センカイス リモートコントロール サレヰルゴトク

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08908
音立てず門をあけたりいつまでもひとりのわが名標札に見て
オトタテズ モンヲアケタリ イツマデモ ヒトリノワガナ ヒョウサツニミテ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08909
笑ひたる顔が前列に写りゐて犬歯といふを今にわが持つ
ワラヒタル カオガゼンレツニ ウツリヰテ ケンシトイフヲ イマニワガモツ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08910
乱れしはわれかと思ふコーヒーのカップがドラマのなかに割られて
ミダレシハ ワレカトオモフ コーヒーノ カップガドラマノ ナカニワラレテ

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.


08911
山鳩の声にめざめて竪穴に棲みゐしころと何か変はらむ
ヤマバトノ コエニメザメテ タテアナニ スミヰシコロト ナニカカハラム

『短歌新聞』(短歌新聞社 1986.1.10) p.