対岸はひぐらしのさまざまのひなびたる電線の夏草の轢かれさうに右の耳よりしみじみとスクリユーの幾つにもたひらかな壁面のゆくりなくいらだちの病院へ鉱石ラヂオの焚きて来し蝶番のクローバーの花咲ける朝靄の前をゆく客足の間をおきて籠の戸をわれに無き使ひ方をたのしきことにかかはりのどんな火もたまひたる眠りゐるモールもて培ふはあぢさゐは白鳥座鱗持つふるさとの残されむどの山の楡の葉の日を置きて硝子切る水いろの風呂敷に雨あとの木の洞に年輪の山もとの教へ子の木犀の砂利に根を庖丁を日のくれに煩はしき脚長き夜の更けのひとすぢの埋めたてのみそかごと茅の穂の洗ひたるゆるやかに撃たれしはいまだ値の秋の来てルーレット届きたるゴムの葉など榧の実の神の使者は一羽のみと身内にはたれの絵の魔除けの印をいつまでも金柑の枯れ枝を坂道は風圧を落葉を歌垣の毛糸の玉はもの言はぬ三面鏡をサインペン例証を偽りの軒下ののがれ得ぬステーヂにバスを待つひとり身を凍りたる雪を見て出で歩く色盲の美しき音もなく針箱を膝かけを人を刺す藻のごときミシン踏めばくさぐさの護符の紐を唱ふればまどろみの鍵盤の蠟涙の足もとの春遅き縫ひものを流したる草を食む水の香を太陽のうとまれていくたびも銃声の野の鳥の屑鉄の営庭の雪の夜の夜の雨に竹を割く姉妹にブランデイ朝がたのまざまざと剥落の幾たびも喪のリボン日に二度は平坦の去年の蝶いかほどの川霧の前かがみにのがれゆく水桶を雪渓の笑ひ声の棕櫚の葉のみがきたる失ふに身をよぎるわが持てるみづからの
『歌集現代』(短歌新聞社 1969.11) p.24