無数の耳


10738
かすかなる時報互に聴きわけて遅速異なる時間持ち合ふ
カスカナル ジホウカタミニ キキワケテ チソクコトナル ジカンモチアフ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.16


10739
切り株につまづきたれば暗闇に無数の耳のごとき木の葉ら
キリカブニ ツマヅキタレバ クラガリニ ムスウノミミノ ゴトキコノハラ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.16


10740
耳たぶの小さき黒子を禍根とし朝々われは髪もて覆ふ
ミミタブノ チイサキホクロヲ カコントシ アサアサワレハ カミモテオオフ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.16


10741
装ほへるよろこび淡く雨傘の輪をずらしつつ従ひゆきぬ
ヨソホヘル ヨロコビアハク カウモリノ ワヲズラシツツ シタガヒユキヌ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.16


10742
芝焼きし痕のまだらに注ぐ雨囮の雌も鎮めて待たむ
シバヤキシ アトノマダラニ ソソグアメ ヲトリノメスモ シズメテマタム

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.16


10743
立体を取り戻しゆく夜の心くるめくやうなワルツを弾きて
リッタイヲ トリモドシユク ヨノココロ クルメクヤウナ ワルツヲヒキテ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.16


10744
みづからの呼び醒ましたる潮騒にゆれ出す壁画のなかの破船も
ミヅカラノ ヨビサマシタル シオサヰニ ユレダスヘキガノ ナカノハセンモ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10745
抽象に流るるわれを堰くごとく鉢傾けて灰汁こぼしゐる
チュウショウニ ナガルルワレヲ セクゴトク ハチカタムケテ アクコボシヰル

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10746
地下深き震源を伝ふる夜半の声枕にオーデコロンが匂ふ
チカフカキ シンゲンヲツタフル ヨワノコエ マクラニオーデ コロンガニオフ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10747
温床のパイロットランプ吹き消して来し悔いをふと点すに似たる
オンショウノ パイロットランプ フキケシテ コシクイヲフト トモスニニタル

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10748
拭ひ切れぬガラスの曇りわが持てる歪みも触れて痛まずなりぬ
ヌグヒキレヌ ガラスノクモリ ワガモテル ヒズミモフレテ イタマズナリヌ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10749
菊石のおのおのが持つ輪郭を踏みつつぼけてゆく指点あり
キクイシノ オノオノガモツ リンカクヲ フミツツボケテ ユクシテンアリ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10750
指先の繃帯うすくよごれゐて午後の会議の次第に疎し
ユビサキノ ホウタイウスク ヨゴレヰテ ゴゴノカイギノ シダイニウトシ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10751
圧点を知られしごとき危ふさに油絵のなかのわれと向き合ふ
アツテンヲ シラレシゴトキ アヤフサニ アブラエノナカノ ワレトムキアフ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.17


10752
重心が迫り上げられて苦しきに間を置かず来る製材の音
ジュウシンガ セリアゲラレテ クルシキニ マヲオカズクル セイザイノオト

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10753
きりのなき仕事区切りて中心がくぼむ朱肉も机にしまふ
キリノナキ シゴトクギリテ チュウシンガ クボムシュニクモ ツクエニシマフ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10754
森を抜けてのがるる如く帰りしが眼裏に白き一枚の沼
モリヲヌケテ ノガルルゴトク カエリシガ マナウラニシロキ イチマイノヌマ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10755
花栗の香の吹き溜まる夕まぐれ埴輪の巫女の唇うごく
ハナグリノ カノフキタマル ユウマグレ ハニワノミコノ クチビルウゴク

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10756
夜の駅の伝言板に溢れゐる文字声なして響むことあり
ヨノエキノ デンゴンバンニ アフレヰル モジコエナシテ トヨムコトアリ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10757
切り口より垂るる血のごと脈打ちてタール吐きゐる土管ありたり
キリクチヨリ タルルチノゴト ミャクウチテ タールハキヰル ドカンアリタリ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10758
野の隅に積まれ久しきドラム罐土橋を渡るをりふしに見ゆ
ノノスミニ ツマレヒサシキ ドラムカン ドバシヲワタル ヲリフシニミユ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10759
自転車を土手に寝かせて人憩ふ萱草の花もやがて開かむ
ジテンシャヲ ドテニネカセテ ヒトイコフ クワンサウノハナモ ヤガテヒラカム

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.18


10760
水滴を垂れつつ尖りゆく氷柱暗示にかかる如く見てゐつ
スイテキヲ タレツツトガリ ユクツララ アンジニカカル ゴトクミテヰツ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10761
山々の雌雄をつなぐ物語旅の一夜のつれづれに恋ふ
ヤマヤマノ シユウヲツナグ モノガタリ タビノヒトヨノ ツレヅレニコフ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10762
麦の穂のかすかに白き花まとふ野を傾けて過ぎゆく疾風
ムギノホノ カスカニシロキ ハナマトフ ノヲカタムケテ スギユクハヤテ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10763
円心に沈みゆく身を幻覚に光る波紋のひろがりやまず
エンシンニ シズミユクミヲ ゲンカクニ ヒカルハモンノ ヒロガリヤマズ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10764
中傷の文字読みしあと硝子戸に映れるわれはゆらゆらと起つ
チュウショウノ モジヨミシアト ガラスドニ ウツレルワレハ ユラユラトタツ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10765
円筒の太き脚もて立つ埴輪われは踵を返すほかなく
エントウノ フトキアシモテ タツハニワ ワレハクビスヲ カエスホカナク

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10766
生け垣を透かして歩むわれの影引き裂かれたき心が還る
イケガキヲ スカシテアユム ワレノカゲ ヒキサカレタキ ココロガカエル

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19


10767
とめどなく降る売子木の花見つつゐて芯の重みに堪へ得よわれは
トメドナク フルエゴノハナ ミツツヰテ シンノオモミニ タヘエヨワレハ

『短歌研究』(短歌研究社 1972.8) 第19巻8号 p.19