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「短歌講座」
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昭和53年10月17日
①A
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マツナカ いろいろこんな行事あるときは、多分こっちに何とか時間とありまして、大体30分遅れるのが常ですけども、きょうは皆さん定刻には集まっていただきまして、だいたい5分遅れ。こんな行事するのに進むことも少ないんじゃないかと思っております。来ていただきまして、今年度、この間、うちが短歌(####@00:00:28)に書いてありましたように、去年、ここでは3回か4回になると思うんですけども、いろいろ与野市図書館では行事らしい行事もそうはないんですけども、その中で、去年、先生に無理して来ていただきまして、今年度なかなか好評やったもんで、ここで、短歌だけは、少し、与野市図書館の数少ない行事の、目玉にしていこうじゃないかということで、これからも進めていきたいと思っております。今回は去年とはちょっと変えまして、作り方、見方には、実作、これに書いてありますように2首ほど作ってもらって、それに講評等も加えながら、やれば、ただ聞きっぱなしじゃなくて、よりよい、身のある講座が、開かれるんじゃなかろうかと思ってこんな企画をしたわけでございます。短歌という同じ趣味の仲間を通して、お友達の輪を広げていただいたり、これからまだ、長い人生を、短歌を心の糧として、また生きていくというとおこがましいですけど、これからずっと生きていっていただければ、主催する与野市図書館としても、これに勝ることはございません。どうか、きょうと、次の火曜日24日の2日間にわたり、短歌講座を開いていきたいと思いますので、有意義な一日になりますように、私のごあいさつに代えさせていただきます。よろしくお願いいたします。
ホシノ では、講師のご紹介をさせていただきます。大西民子先生。大西さんは岩手県に生まれまして、奈良女子高等師範学校をご卒業なさってます。在学中、前川佐美雄先生に師事をされて、卒業後は、昭和24年に、木俣修先生に師事をされてます。以後、数々の作品を出されまして、昭和36年に日本歌人クラブ賞、それと昭和40年第3回短歌研究賞などを受賞なさっておられます。現在は県立浦和図書館の児童室に勤務されながら、作家活動としても、短歌活動も続けられておられます。お願いします。
マツナカ ちょっとすみません。これですね、今、この『埼玉事実』という、皆さんの手元には来ない、大体、役所関係に送ってきてますけども、これ御覧いただいたら、同じ短歌、皆さん勉強されなあかんてって、三ケ島葭子って、所沢出身の、ご存知の方もいらっしゃるかと思うんですけど、これの人物伝を、先生がね、書いていただいてまして。よかったら、勉強になれば。ここ、回しますから、ちょっと見て。そうしましたら、終わったあと、コピーしても構いませんから。ちょっと回しますけれども。
大西 大西でございます。ただいま、過分なご紹介いただきましたけれども、最初にごあいさつくださったマツナカさんは、図書館で、県立浦和図書館に前、おられまして同僚でございました。今は館長さんでございますけど。それから、私をご紹介くださいました、ホシノさんっていう若い職員の方は、私が今、県立浦和図書館で児童室の、子どものお相手のお部屋を受け持っておりますけれども、ホシノさんも児童のほうの本を受け持っていらっしゃってまして、やはりお仲間なのでございます。ですから、きょうは浦和の図書館は図書館の仕事を休みまして、曝書っていいまして、本を全部さらけて、そして1冊1冊、戸籍合わせをしている、大変忙しい日なのでございますけれども、与野の図書館のことだから行ってあげなさいよなんて言われて、逃げ出してまいった感じでございます。
それで、昨年は歌の作り方のようなお話を、縷々と申し上げたのですけれども、その後、実作をしていただきましたね。それを少しお直ししたりして差し上げたのですけれども、皆さんの歌を拝見しますと、相当できていらっしゃるんですよね、どなたも。だったらば思い切って最初から実作に取り組んでみたらどうかっていうお話いたしまして、昨年とは違って、実作をいきなり出していただいて、それをもとに実作に即したお話をしたほうがいいのではないかっていうようなことで、そんなふうにいたしましたら、皆さま一生懸命作ってくださって、ありがとうございました。この作品は1週間ほど前に私はいただいてございまして、そして詳しく拝見いたしました。そうして、皆さん大体作れていらっしゃるんじゃないかという気がいたしますですけれども、この会の持ち方をどうしたらいいのか。例えばいきなり1週目から私の感想をダーっと申し上げていくのがいいのか、それとも普通の短歌会のようにみんなで読んで、そして選んで、自分ならこれを取るというふうな歌を選んで、その上で歌会するのがいいか、どちらがよろしいでしょう。それはここで決めて、どちらでも結構です。
それから『秀歌を読む』ということで、今の歌の、傾向が、皆さんが作っていらっしゃる歌とはだいぶ違った傾向の歌が、ここに載せられていると思うんです。その歌も、今の歌っていうのかな、現代の歌、そして将来に開けていく歌というようなことを考えていく上には、参考にしなきゃならないような、素晴らしい歌を並べてございますので、そのお話もしたいと思うんですね。そんないろいろやりたいことがあるわけなんですけれども、それを皆さまで決めていただけば、そのようにしたいと思います。どういたしましょう。いきなりこの秀歌っていうのを読んでしまうと、ご自分たちの歌が寂しくなったりもしないかなという気もないではございませんね。
ちょっといわゆる専門家の歌がここに多く引かれてございますのと、大体この歌の傾向を申し上げますと、『秀歌を読む』っていうのの1っていうのをお開きくださいますか。
最初の生方たつゑさんっていう方は、NHKの『短歌入門』を今受け持ってらっしゃる方で、今の女流歌人の中では最高の第一人者でいらっしゃいますよね。NHKにも出ていらっしゃる方ですから、本当に女流歌人の模範とするような方でいらっしゃいます。五島美代子さんっていう方が亡くなりましたから、今ではもう長老の中の長老として、最も私たちの尊敬している女流歌人なわけでございますし。加藤克巳さんを2番目に挙げましたのは、与野市在住の、これも一流中の一流の歌詠みでいらっしゃいますから、加藤克巳さんを挙げさせていただいてるわけです。そのお二人の歌を読んだだけでも、私たちが普段作っているいわゆる歌というものと、面影が違うというようなことを、お感じになるはずだと思うんです。
生方さんの『氷片の触れ合う音す悲しみて焼きたる骨の鳴る音もする』『氷片の触れ合う音す悲しみて焼きたる骨の鳴る音もする』。なんのことか、とっさには分からない歌でございましょ。作者が現実に聞いている音というのは、多分、オンザロックか何かで水割りかな、ウイスキーをいただく、お酒をいただくときの氷片、またはお水をいただくときの、コップの中に入れた氷のかけらの音なわけですね。コップを揺するとかすかな氷の音がしますでしょ。その音が現実には聞こえている音であって、作者がその音から連想するものは、自分の肉親を焼いたときの、お骨の音なんですね。お骨がつぼの中で鳴るときの音。現実の音は、コップの中の氷が触れ合う音。それを聞いていると、連想するのは亡くなった肉親のお骨を焼いた後、カラカラと音がしますね。その音を呼び覚ます音になっていくというような、そういう現実と、現実のかなたにあるものとを、一首の歌の中でうまくつないでおりますね。そういうような歌い方。それはちょっと素人の私どもには難しい歌い方でございます。
例えば私たちですと、コップの中で氷が触れ合って爽やかな音を立てますと、その音が爽やかであると表現すると思う。それから音が涼しいと表現したり。風鈴の音のようだぐらいは、表現できますけれども、それが以前に亡くなった自分の肉親を焼いたお骨の音だというところまで飛躍させるのは、それは容易な技術ではないと思います。そういうふうに非常に私たちの次元から見ると高い次元といいますか、連想を高くした、想像をたくましくした歌というような意味で、生方さんの歌は大変光っていると思います。この歌は、先月でございましたか、角川書店から出ている『短歌』という雑誌が、現代の作家の中からいい歌を拾い出して挙げた中の第1番に挙げられた歌でして、生方さんの中の歌でも本当の優れた作品だろうと思うんですけれども。ポッと読んだときには、そのまま、現実の、音として響くまでに、なかなか間がかかる歌だと思うんですね。
加藤克巳先生は、与野の大戸に住んでおられて、戦後ずっと住んでらっしゃいますから。埼玉の土着の人のように、それ以上の郷土文化の働きをしてらっしゃいまして、現在、県の歌人会の会長しておられるし、それから県の文化団体連合会の理事長をしておられるし、そういう地元の仕事もなさりながら、全国の現代歌人協会の理事をされたり、『個性』という雑誌を主宰されたりして、第一人者の活躍を続けていらっしゃる方で、2、3日前にもお目にかかりましたが、60超えてらっしゃると思うんですけれども、お元気に活躍してらっしゃる方で。この方は、少年時代から歌を始めたんですが、最初からアバンギャルドっていいますか、前衛の、リアルでない、前衛派の歌を、初めから作ってこられた方なんです。一番特徴っていうのは、おおかた現代語で歌ってらっしゃいますね。口語で、自分たちの今使っている現代語で歌ってらっしゃる。そういう特徴を一つ持っておいでです。それからやはり、リアルなものよりも、想像の世界。現実を超えた次元の高い世界ということを、目指していらっしゃる点でも、加藤さんの特色っていうのは、少年時代から変わっておりません。最近、第七歌集ですか、『万象ゆれて』という歌集をお出しになりましたけれども、それもやはり少年時代に出した『螺旋階段』という、若々しい歌集がございましたけれども、それと少しも変わらない、やはりアバンギャルド、前衛の精神を貫いて歌っていらっしゃいます。
この歌も分かりづらい歌ですが、『天球にぶらさがりいる人間のつまさきほそいかなしみである』『天球にぶらさがりいる人間のつまさきほそいかなしみである』。何度か読んできまして、その状況を目の前に描いてみるとしますと、天体に何かの球があって、そこに人間がぶら下がっているとしたらどうなるだろう。それは天球でなくてもいいんですけれども、何かにぶら下がった人間の状況っていうのを考えますと、まず手でぶら下がりますから最初の、手先が細いでしょうし。それから膨らみが来て、頭が来て、胸が来て、胴が来て。最後に下につり下がるのは足でございますね。そうするとその状況っていうのは、先と先の細い、真ん中の膨らんだ、そういう形のものがぶら下がることになるであろう。その人間の爪先の細いぶら下がり方。それが人間の悲しみそのものである、いうような、抽象した世界っていうふうなものを、絵のように描いた歌ではないかと思うんです。それを思い描くことは、実は容易なことではありませんね。ぶら下がった人間を想像する。そして足先が多分細く、爪先がスーッと消えるように細いでしょう。そういう場面を、人間の悲しみの原点として考える。というふうな、極めて抽象的な、哲学的な、世界ですね。そういうようなところを、加藤先生は、いつも狙っていらっしゃるのです。
この生方さんと加藤さんの歌を、並べて考えながら、私が思ったことは、生方さんの歌は、あくまでも、どんなふうに突き詰めて抽象的に歌ったとしても、女らしい歌だと思うんですね。ところが男の人が、歌という一つの定型の世界で、何かを語ろうとするとき、やはり少し哲学的になり、少しアバンギャルドになり、やはり分かりづらくなるのではなかろうかなという気がいたします。女のものとして、歌というのは、万葉時代から古今、新古今、ずっと振り返って考えてみますと、まず歌い出して、歌の世界をリードしたのは、男性であったろうと思いますけれども、その後をついて、たくさんの女流歌人たちがね、長い歌の歴史を支えてきていると思うんです。古今集にしても、紀貫之っていうような人が、歌の論を開いて、歌論を開いて、「歌はかくあるべきものである」というふうなことを申しますけれども、それを実際に実行して、歌の命を永らえてきたのは、たくさんの有名無名の女流歌人たちだったと思うんです。
現代もそれと同じで、やはり、現代の歌の状況を考えてみますと、加藤克巳さんをはじめ、真ん中頃にあります玉城徹さんですとか、それからその次の岡野弘彦さんですとか、それから、終わりのほうの、池田純義さんですとか、最後の島田修二さんですとか。そういうような、篠弘なんて方もいらっしゃいますけれども、そういう、近藤芳美さんなども含めて、多くの歌の男の作者たちが、いろいろに歌はかくあるべきだっていうふうなことを、論を立てておっしゃいますわけですが、実際の歌の作者っていうのは、女流のほうがはるかに多くて、そして男の方たちが開いた道を押し進めていく役目を、今も、女の歌人がたくさんいて、果たしているんだと思うんです。そして、いろいろに多様化されて、前衛の歌や抽象的な歌や絵のような歌や彫刻のような歌や、さまざまな枯れ木のような歌がありますが、そういうさまざまな歌がきっと、次の時代に、受け継がれていくんだろうと思うんですけれども。それを受け継いでいく役目をするのはやっぱり、たくさんの女流歌人だろうと思うんですね。人間の命を女の人が、子々孫々伝えていくように、歌の命も多分、女流の多くの人が、かすかに作る自分の歌によって、子どもたちにその歌の息吹っていうのを伝えていくのではないかなという気が、どうしてもいたします。歌論を開くのは男であり、それを実践して、後の世に伝えていくのは、女性であろうなという感じがしきりにいたしますが、そういう、女性と男性の役割っていうのは、歌だけの世界ではなくて、それぞれの世界でも多分、いろいろな役割を果たしているのでございましょう。歌の世界でもそういうことが言えると思いますし、突き詰めていったところでも、生方さんと加藤さんのような、違いはね、出てくるんだと、思われます。
もう一つ際立った例を、この秀歌の中で申しますと、真ん中の、玉城徹さんの歌。『冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり』『冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり』。この歌は、3年ほど前に読売文学賞を取られた玉城徹さんの、ちょうど私と同じ年頃でございますが、高校の先生をしている、東京に住んでおられる方ですが、玉城さんの代表的な作品と言ってもいいのではないかと思いますが、男らしい、りりしい歌だと私思っております。『冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり』。きょうのような日でございましょうか。冬の晴れ晴れとした清々しい光の中を、1人歩いていたら、自分が着ているわけではないんです、よろいもかぶとも。でも、着ているような感じがして、自分の着ているとしたら、よろいもかぶとも鳴り響くような、そういう清々しい、しかも勇気りんりんと湧くような、そういう男らしい気持ちになって、道を歩いて行ったという歌なんですね。『冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり』。これは、何にもたくむところがないように見えますけれども、自分が着ているわけでもないよろいかぶとというようなものを、昔の人の、もののふですか、昔のもののふの思いを自分の思いとして、男らしく、勇ましく生きていこうとする、そういうひと時のね、勇気のようなもの、歌っていらっしゃると思う。
いくら男性が強くても、こういう勇気りんりんというようなことは、そうたびたびあるものでもないし、長く続くものでもないと思いますが、冬晴れの清々しい中を行ったときに、ふと、よろいかぶとを着けているような気持ちになる。それがりんりんと響いて、1人の男として生きていく勇気のようなものを、身に覚えたというような歌でございますね。玉城さんは北原白秋のお弟子でしたから、そういう浪漫的な気風が、今でも歌の隅々に残っていらっしゃいますが、この歌などは非常に爽やかに、男の人のあるときの勇気、男性もいらっしゃいますが、いつも勇気りんりんではなかろうと思うのですね、そういうあるときの勇気にりんと張り詰めた、気持ちがね、歌われている、いい歌であろうと思います。
それに比べますと、その次の歌。岡野弘彦さん。『またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく』『またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく』。この歌はまた一種玄妙な、暗い世界でございますね。顔のない男が、また1人現れてきて、顔のない男ばっかり、踊って輪になっていた。そこに1人加わったために、暗い顔のない人だけの踊りの輪が広がっていった。という歌なんですが、それはこの世にないものなのではないでしょうか。この人は釈迢空、折口信夫先生の、内弟子として、最期をみとった方です。ですから、折口先生の世界、目に見えない、神のおわします世界のようなものを、身をもって、折口先生から学ばれた1人だと思います。今国学院の古代文化研究所の所長、教授をしておられますけれども。そういう神韻縹渺とした世界といいますか、魂の遊ぶ世界といいますか、いわばそれは地獄であったりするわけですけれども、そういう、魂のゆくところの世界っていうようなものを歌うことにおいて、岡野さんは、前登志夫っていう人がおりますが、その人と2人、特異な存在だと思っております。前さんの歌は『秀歌を読む』2で聞こうと思っておりますが、そういう、この世ならぬ世界っていうふうなものも、歌では歌うことができるわけですね。その状況思い描くことできますか。顔のない男たちの踊り、それは、薄闇の中で踊られてるかもしれません。そこへ顔のない男がもう1人現れてきて、そしてその1人の分だけ踊りの輪が広がって、何か、奇妙な踊りが続いていったという、夢のような世界なのではないでしょうか。そういうふうに、同じような男の人であっても、あるときは、不気味に暗い、そういう魂の遊ぶ世界を歌いますし、あるときは、冬の太陽の美しい輝きの中で、りりしい勇気を歌うっていうふうに、その歌の世界の広がりっていうのは、現代の専門歌人の中では大きい広がりがあるということ、一つ分かっていただけると、いいのではないかと思います。
『肩を落とし去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として』『肩を落とし去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として』。めったに見ないのですけれども、プロ野球の、試合など見ていますと、ノックアウトされる投手がいますね。いくら投げても、フォアボールが出たり、思い切って投げるとホームラン打たれたりして、交代しますでしょ。その選手が本当に肩を落としてマウンドを去りますね。それはどんな場面でも、例えば、マラソンでもなんでもいいでしょうが、敗れ去った選手。それが肩を落としてがっくり、気落ちして、去っていく選手。どんな世界にもいると思いますが、そのあるときの選手の去っていく場面を見たとき、それは自分の精神の、ちょうど、ありさまのようであった。それを遠くから見ているような感じがした。敗れ去って、肩を落として、行ってしまう選手は、あれは私自身の精神の状況なのではないか、と歌っています。島田さんは、実際の彼の生活状況を見ますと、読売新聞社の本社の編集部長か何かしておられて、今ときめいた職を持っておられますし、宮柊二さんのお弟子さんで、大変、はつらつとした働きをしている。年は私頃でございましょう。働き盛りの男の人でございますけれども、あるときふと、マウンドから肩を落として去る、敗れた選手を見たときに、それが自分の精神状況にそっくりだなと思ったというような、あるときの敗北の・・・。