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「短歌講座」
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昭和55年11月12日
①A
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(雑談)00:00:00~00:04:50
大西 ご紹介いただきました大西でございます。お目にかかった方もたくさんいらっしゃって、いらっしゃらない方もまたおられますけれども。今お話しくださったのは、与野の図書館長さんのマツナカさんで、昔からのお知り合いでございます。こういう間借りの所で図書館をやっていらっしゃいましたが、大変実績があがって、独立の、立派な図書館ができあがることになり、私は今年の6月にできたばかりの久喜の図書館に今勤めておりますが、大変立派だと言われている図書館ですが、それにも負けない、いい図書館が与野市にできるようで、来年ですか、来年から開くようでございますけれども。今まで、間借りのような図書館で実績をあげてこられた、その成績が物を言って、新しい図書館ができるんだと思います。本当に良かったと思います。今日は、何回目かの短歌講座で、今、作品、ここへ伺ってから拝見したものですから、深く掘り下げてというわけにはいかないのですけれども、お見受けしたところ大変上手になっていらっしゃると思います。何年か目でこれくらいおできになれば、いいんじゃないかなと思ったりしております。それでは始めます。
今、お手元に差し上げた刷り物、ちょっとご覧いただきたいのですけれども。第9回全国短歌大会入賞者作品っていう1ページをコピーしてまいりましたけれども、これは去る9月の28日でございましたか、東京の東条会館という所で開かれた全国大会のときの、一番、点数の高かった作品でございます。なぜここに刷ったかと申しますと、今の歌を作る人口が日本中で何十万とかって言われているそうですけれども、そして、統計を取りますと、50以上の人が、50歳以上の短歌を作る人口が大体8割を占めているんですね。40、50、60、70というような、年を取った人が歌を作るということが大変、多くなっておりますけれども。
この間の全国大会のときに、やはり8200首ぐらい集まったんですけれども、その多くが40歳以上の作者であることが分かったりして、若い人が歌を作らなくなってきている。反対に、中年を過ぎた、そして、女性の方も多く歌を作るようになっている。そういう傾向をまざまざと見せたものでございましたけれども、そうした中で、どんな歌が8000首もの中から選ばれたかというようなことをお話しすると、今の歌の傾向が、私たちが作っている歌は歌として、どんな傾向が全国的にあるのだろうかっていうようなことが分かるんじゃないかなと思って、印刷してきたのでございます。
8200幾首が集まったものを、全国から集まった30人ほどの選者で選び合ったわけでして、この1位の朝日新聞社賞を得た作品は、30人ほどの選者の中で7人の方が採っていらした歌だったのですね。一番、点数が高い歌でございました。『警棒に割られし傷も髪薄くなりて隠せぬよわいとなりぬ』『警棒に割られし傷も髪薄くなりて隠せぬよわいとなりぬ』。作者の方が川崎からいらしておりましたが、大学の講師をしているという50歳ぐらいの男の人でした。この歌で分かりますように、その作者が若い日に何かデモのようなことをして、安保のときでしたか、そういうデモ隊に加わっていたときに、相手の警官に割られた傷を頭に持っている。髪がふさふさしていた頃はその傷がうまく隠れていたけれども、髪が薄くなって、その傷がうまく隠せなくなったと歌っていますね。
この歌を選者の多くが推奨したわけですけれども、こういう体験をしたという、そういう若い日に懸命に何かに激しくぶつかって、頭に深い傷を負ったというその経験が今になって生きて、その経験を生かした歌であろうと。懸命に若い日を激しく生きたということを経験しながら、今、年を取ってきて、だんだん髪が薄くなってきたというような、その人の持つ歴史というようなものがこの歌の中に語られているだろう、というような批評が多かったと思います。そのように、その作者の経験を生かし、体験を生かした歌というようなものが、他の人にまねのできない生き方の歌ですから、心を打つものだろうと思うわけですね。そういうような歌が第1位に選ばれておりました。そして、『警棒に割られし傷も髪薄くなりて』というふうに、句割れの歌になっていますけれども、一読してよく分かり、その人の生き方を追体験するというか、そういうことができる歌でして、推されたわけでございました。
それから、2位の歌。『朝の田に苗補植する人のいて抜きゆく足の泥光るなり』『朝の田に苗補植する人のいて抜きゆく足の泥光るなり』。今の農業の状態などをよく表している生活派の歌であるというような批評でございましたけれども。苗の補植とありますので、機械植えをして、田植えが終わった後、その機械のやり残した所を補植、補って植えていく人がいる。その田植えをしている人のひと足ひと足、抜きながら田を植えていくわけですけれども、その抜く時に、足に泥が光ったという歌ですね。これなども生活そのものをじっくりと見て歌っていますけれども、現代の農業の状態のようなものをよく見ている歌だと思うんですね。機械専制といっても、機械だけでは間に合わない。やはり人の手を借りて丁寧に補植していかないと、稲もきちっとは終わらない。そういう現代の農業の状態、それをよく見ている。そしてひと足ひと足、抜いていく足の泥が光ったという、そういうところをよく見て歌っていると。そういうようなことの批評がございました。これも70近いようなおばあちゃまの歌でございました。
それから、その次の歌が少し気持ちが変わっていまして、『花の種を袋に取りてさらさらと涼しき命われは預かる』『花の種を袋に取りてさらさらと涼しき命われは預かる』。この歌の作者が一番その中では若くて、35、6歳の女の方でございました。そして、埼玉県の坂戸の方で、とても喜んでいらしておりました。この歌の面白さというのは、そこに言葉の面白さっていうふうに書いてございますけれども、その批評もやはり、『さらさらと涼しき命われは預かる』というような言葉の爽やかに歌われていて、言葉の楽しさを生かした歌ではないかというふうな批評でございました。私どもも、庭に花を作りますと、その実るのを待って、種を取って、それを乾かして袋に入れて取っておくわけですけれども、『さらさらと涼しき命われは預かる』というような表現まではなかなか行かなくて、紙の袋に入れた種の音が爽やかだなあぐらいに思って過ぎてしまうのですけれども、『さらさらと涼しき命われは預かる』というように、言葉に工夫を凝らして歌っているというような批評でございました。で、私もこの歌は、点を入れておりましたので、高いところで入賞してよかったなと思いました。
それからその次が、『鼻緒内職の工賃上げよとデモのゆく手作りの旗の列は短く』『鼻緒内職の工賃上げよとデモのゆく手作りの旗の列は短く』。この歌などは、今はもうオートメーション時代で、多くの物が機械の力で大量生産されている時代ですけれども、鼻緒などというものを手作りで作っている内職の人がいるという、この現実を物語っていますね。そして、鼻緒の内職の工賃がいかにも低いから、物価高についていけない。工賃を上げてほしいと言って、デモがあった。その鼻緒内職をしている人たちのデモは、手作りの旗を掲げて、短く過ぎていったという歌でしてね。そういう内職に関わるような人たちの生活というか、そういった人たちがだんだん少なくなっている。しかも、まだ残っていて、そういうこと、生活の糧にしている人がいるのだというような現実を見据えて歌っている歌ですね。
『手作りの旗の列は短く』という辺りに、あの大きな大工場の旗は、国鉄とか、そういうところのデモなどは、大きな旗を、立派な旗を、赤旗を掲げて通っていくデモはよく見ますけれども、手作りの旗を持った、短いそういう列が、デモの列が行ったというふうなことで。今の何でも大量生産、何でもオートメーションという時代の中で、こういう生き方をしている人もいる。そして、内職の工賃を上げてほしいと願うような、そういう貧しい生活も片隅にあるのだというような現実の認識をきっちりと歌っているんじゃないかと、そういうような歌でございます。
それから、5位になった歌が、『溶接を終わりし鋼に吹き当たる春の吹雪が煙を立つる』『溶接を終わりし鋼に吹き当たる春の吹雪が煙を立つる』。これはまた鼻緒の内職とは違った、大きな工場のような所で、溶接というようなことをやっているのでしょう。その溶接を終わったばかりの、まだ熱を持った鋼鉄に、春の吹雪がどこからか入り込んで吹いてくる。そして、それがジュッという、熱い所に触れた雪が煙を立てたという歌で、これも現代の一つのメカニズムのようなものを歌っていて、そしてよく見て歌っていると。写生の目の届いた歌だというようなことが言われておりました。
このような歌を見ますと、今、私どもが書店で買うことのできる『短歌』とか『短歌研究』とか『短歌現代』とかいうようなジャーナリズム、雑誌がございますけれども、そういう中ではさまざまな新しい前衛的な歌がたくさん見られますけれども、それはどちらかといえばプロ歌人の、専門歌人の分野でございまして、何十万人いるか知れませんけれども、歌を作る多くの人が、生活の中からじっくりと自分の目で見たもの、感じたことをじっくりと歌おうとしている。その頂点にあるようなのが、こうした大会に出されて入賞した歌なのではないかなと思います。そんな意味があって、ここを、こんな歌を見たらいいんじゃないかと思ったわけです。
その大会で私が1位に選んだ歌を、その欄外に書いておいたんですけれど、読みづろうございますけれども、『ひたぶるにわが魂の戻り来て体に入りしとき目覚めたり』『ひたぶるにわが魂の戻り来て体に入りしとき目覚めたり』。この歌を私は1位に選んでおきました。で、この歌は自分の分かれていた魂がひたすらに体に戻って入ったときに目が覚めたという歌でございますけれども、ちょうどこの歌を批評することに当たった人が長沢一作という佐藤佐太郎さんのお弟子さんで、写実派の男の方がこの歌の批評に当たったのです。で、大西さんはこれを1位に選んだけれども、この歌は多分こんな意味でしょうと、その男の人がおっしゃった、その長沢さんが批評した言葉が、「この歌は多分大病をした人で、生きるか死ぬか分からないような大病をした人が命を取り留めて、そんなときにひたぶるにわが魂が戻ってきた、離れかけ、死にかけていた人が、分かれていた魂が戻ってきたところの歌だろう」って、批評なさったんです。
で、その大会が、表彰式が終わりまして、パーティーに移りました。ところが、この作者は九州の人だったようですけれども、はるばると来ておられました。そして私の所へ来て、「先生はこの歌を選んだんですけれども、さっき長沢先生がおっしゃったような意味で取ったんですか」って言うもんですから、私は大病をしたなんて、夢にも思わなかったと。女の人が、自分の魂が自分の体から離れていくような思いを、女の人っていうのはよく味わうものだから、いつの間にか自分の体を抜け出していた魂が一生懸命、自分の体に、元の所に戻って来ようとしている感じという、夢と現のあわいの、そういう感じを歌ったのではないかと思って、私は1位に取ったんですよってお話したら、作者は「それでいいんです。私は大病なんかしません」とおっしゃる。いや、健康そうな女の方でございます。
女の歌というのはそれほどに、男の方に分からないというか、女歌女歌と褒められたり、けなされたりいたしますけれども、女の人独自のものの感じ方っていうのがありまして、男の方もいらっしゃるのであれなんですけれども。何ていうのでしょうか、魂と肉体とがいつも寄り添っていないと気が済まないようなところが女の人にはあるのだと思いますし、寄り添っていなければならないと思うからこそ、自分の魂というようなものがこの身から離れていくということをいつも恐れながら暮らしているようなところが女の人にはあるんじゃなかろうか。
剥がれそうで怖いというような感情が女の人、例えば、赤ちゃんが体の中にできた時に、最初の2、3カ月頃は子宮の壁から剥がれる心配がある時期でございましょう、胎児が。そういうような時に剥がれるんじゃないかと、重い物持っても剥がれる、走っても剥がれるような、剥がれていく心配みたいなものを身ごもることがあると思うんですけれども、そういう剥離していく、剥がれていく、身を離れていくものに対する恐れのようなものを女の人は多く持ちやすいんじゃないかなっていう気がするわけですけれども。そういうことが男の人とちょっと生理的に多分違うところなんだと思うんですけれども。その話をこの間もある所でしましたら、男の人がそれを聞いて、「帰ってから女房によく聞いてみる」っつってましたけれども、なんか肉体と魂の分離みたいなものの恐れを、昔から日本の女は持って来ているんじゃないかなと思ったりするわけです。
例えば、『物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る』という和泉式部の歌がございますでしょう。あれは貴船神社の所で歌った歌だと言われていますけれども、自分がものを思っていると、魂が抜け出て行った。それが沢の蛍になって飛んでいるような気がすると、和泉式部が歌いましたけれども、そういうような、魂が抜け出ていく世界のようなものを、女の人は恐れながら抱いて来ているんじゃないかな。そういうものが、今の女の人の中にも受け継がれて、女歌の伝統として、万葉以来、和泉式部以来、今も残ってるんじゃなかろうかと、私などは自分の感じを通して思うわけなんですね。
私も若いときに網膜剥離という病気をしたことがあって、目が見えなくなったことがあります。お産の後でございましたけれども。で、ある日、ご飯を食べようと思ったら、ご飯が真っ黒なんです。「ご飯が黒いよ」って言ったんですけれども、その時は網膜が剥離した状況だったのね。何か剥がれやすいものを人間って持っているわけですけれども、網膜などはその一つでございましょうか。剥離、網膜剥離っていうので、半年ほど寝ておりましたけれども、そのうちに戻ってきて、見えるようになったんですけども。そういう剥離というような、剥がれるというような危うさを、ことに女の人は持つんじゃないかなっていう気がする。
この『ひたぶるに』の歌もそんな感じじゃなかろうかなと思って、1位に推したわけでしたけれども、作者に聞いてみて間違いでなかったので、ほっとしたんですけれども。そんな感情が女歌にはあると思いますし、そして、その3位になった『花の種』の歌でも、『さらさらと涼しき命われは預かる』というような感じに、やっぱり女の人のものであろうと思うわけですね。男の人は、そういう花の種の袋をさらさらと鳴らしても、『命われは預かる』というような歌い方、もしかしたら、男の人はなさらないんじゃないかなという気がするわけで。そんなところにも女の人の特有の感じ方、そんなものがあるんじゃなかろうかと思うわけです。
そんなことが今、最近、私が考えていることでございますので、お伝えしておこうと思いました。どの歌も皆、8000何百首から選ばれた歌でございますから、優れておりました。それでこのお話は終わりです。こんな話し方で、聞こえておりますでしょうか。後ろのほう、大丈夫ですか。ちょっと早口ですね。ゆっくりいたしましょう。
全部で39人の方がお出しになっている歌、2首ずつ、先ほどお昼休みに拝見したばかりでございますけれども、最初の頃、伺ったときは、ちょっと困ったなあと思う歌が多かったように思いますが、今回は困ったなあと思う歌はございません。皆さんよく歌っていらっしゃって。歌っていうのは、まず自分の歌いたいことが心の中にあったら、それを心ゆくまで歌ってみるということが一番大事であろうと思います。気の済むまで歌いたいことを歌ってみる。そういうことがまず一番でございます。そういう意味では、どなたも歌いたいことを、思うとおりに歌ってらっしゃるんじゃないかという気がいたします。それが第一段階であって、その次の段階は、相手の人に分からせるという、相手に分かるという段階が次の段階であろうと思います。で、3番目の段階とすると、第三者にも分かるということが、第三者と、言い換えれば、誰が読んでもその歌の意味が分かる。何を言おうとしているか分かる、というようなことが第三の段階だろうと思いますけれども。大体その第三辺りまでは、どの歌も行っているんじゃないかという気がいたします。
そして、その上で文学としての歌はどうあるかっていえば、読んだ人に感動を与えると。読んで、なるほどな、こんな生き方もあるのかというふうな感動を与えることが、文学の条件でございましょうけれども。歌というものは、まず、自分の思いを訴えて、表してみる、表現してみるということが一番でございますね。で、せめて相手には分かってもらいたいということ。そして、も少し、第三者にも分かってもらえたらいい。それが感動を与えるものであればなおさらいいというようなところが、歌の条件、作り方と、私は思っておりますけれども。
第三の段階までは、皆さん到達してらっしゃるようで、これからは素材をよく選んだり、それから表現を『さらさらと涼しき命われは預かる』というような、表現の妙といいますか、そういうものを工夫して得ていく、獲得していく。そういう段階に来ていらっしゃるんじゃないかという気がいたしました。たくさんございますので、簡単にお話ししながら、歌を詠んでいきたいと思います。ここは来週もまた集まるんですね?
C- 19日に。
大西 ああ、そうでございますか。また、あと2首、集められるようですので、それはもう集まってるの?
C- はい。集まって(####@00:26:58)というふうに聞いてます。
大西 あ、そうでございますか。そうすると、これは2首が1人ずつになっておりますね。そうすると、きょうやってしまうと、今度の時に全然やらない人もいる。一つずつやってきましょうか。そうすれば、きょう来たのに今度、来れないのに、きょう、残ってしまったら、この次、来れない、おしまいですね。一つ一つやってきましょうか。そうすれば、皆に当たるかな。もう一回、集めるわけじゃないんですね。
C- 違います。
大西 ああそうですか。じゃあ、大事に使わなくちゃと。
C- どうとも読める歌は、あれなんです。ちょっと下段(####@00:27:45)、ちょっとあれなんです。
大西 どうですか。歌というのは、作る数が多ければ多いほど、それは上達が早うございますから、もっと頑張って、もう2首ずつ作るっていうことであれば、きょうこれをだーってやってしまって、準急かなんかでやってしまって、もう2首お出しになりますか。それとも、これで2回に分けていたしますか。どちらがよろしい? これをゆっくりする? あと2首作るのは面倒? どちらがいいですか。
D- また今度、来るとき(####@00:28:32)。
大西 うん。
D- (####@00:28:38)。
E- (####@00:28:39)。
大西 でも、ご自分が出した歌の批評を中心にでございましょう?
F- (####@00:28:49)。
大西 どうしましょう。1首ずつしときましょうか。もう一回出して、またお手を煩わすの大変かな。じゃあ、1首置きにしながら、味わっていきましょうか。
それでは、1番の歌の初めのほう。『絽目走る波紋のごとき影追いて針運ぶ手の進みゆくなり』『絽目走る波紋のごとき影追いて針運ぶ手の進みゆくなり』。この歌は、お裁縫をしていらっしゃる奥さまの歌ですね。あの、絽目の走る布地って言いますから、薄物の絽のような生地、寒冷紗のような、絽のような、薄物の生地を縫っているわけですね。それが光と影の加減で、波紋のような光を帯びるわけですね。それを追いながら針を運んでいったという歌です。『絽目走る波紋のごとき影追いて』、そういう上等の生地、絹でございましょうかね、そういうものを縫っている喜び、そして、微妙な光と影を喜びながら物を縫っていらっしゃる、そんな縫い物の喜びみたいなのが出ているように私は思いました。『絽目走る波紋のごとき影追いて針運ぶ手の進みゆくなり』。はかどっていく仕事という感じが出ていると思います。
女の人の生活の中で、縫うとか、洗うとか、作るとか、いろいろな生活を女の人はしておりますけれども、物を縫う仕事っていうのが割合にはかどる仕事、目に見えてはかどる仕事だと私は思いまして。編み物とか縫い物とか、私も大変、好きなんですけれども、歌を作る作業というのは一向にはかどらなくて、来るか来ないか分からないお客さまを待っているようなのが歌の作り方でして。長い時間待っていれば、必ず歌ができるかっていうのも、そうでもなくて、突然、電車の中でできたりする代わりに・・・。