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「短歌講座」
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昭和55年11月12日
①B
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大西 そういうはかどる仕事をしたいことが多うございますけれども、そんな仕事の一つが縫い物だろうと思います。私は今、着ているこの服も自分で縫ったんですけれども。例えば、1時間かけると袖が片袖できるとか、そういうはかどり方を見せますでしょ。そういうはかどる仕事っていうのを、なんかこの歌が楽しんでいるようなところがあると思います。絽目の走る波紋のような影、そういう微妙なところを捉えていらっしゃると思います。
それから、2番の歌。『尾花咲き白粉花の実も熟れて秋の漂いそこはかとなく』『尾花咲き白粉花の実も熟れて秋の漂いそこはかとなく』。尾花、ススキですね。ススキが穂になって、オシロイバナの実も黒い実を持って、周囲の状況が、秋の気配がそこはかとなく漂っている季節だという、季節感の漂った歌だと思います。この歌で、もし考える所があるとすると、『尾花咲き白粉花の実も熟れて秋の漂いそこはかとなく』、すーっと続いていましてね、どこでも切れていないということだと思います。歌というのは一つのセンテンス、一つの文章として成立していなければなりませんから、どこかで句読点、丸を打つ所があるほうが、しっかりと歌が立ち上がります。それで、この歌の場合でしたら、『尾花咲き白粉花の実も熟れぬ』と、そこで切りまして、いったん。『秋の漂いそこはかとなく』と、補うような形に置いていけば、歌が落ち着くと思います。
私の師匠は木俣修という人で、北原白秋のお弟子ですけれども、口癖のようにおっしゃることは、「歌は着地がうまくいっていない体操だといけないよ」。体操っていうのは、どんな素晴らしいウルトラCの演技をしても、着地のときに失敗すると5点ぐらい引かれますでしょう。あの着地っていうのが大事だと。「着地っていうのは、どっかできちっと歌が止まっている。1カ所は止まっていること。そういう止め方をきちっとしないと、着地失敗だよ」っておっしゃるんですけれども。どこかで句読点が打てるような歌の作り方。それは必ずしも名詞や形容詞の終止形とかなんかでなくても、名詞のような、名詞止めっていうこともございますし、それから、連体止めっていうような止め方もありますので、終止形と限らないんですけれども、どこかで句読点が打てる形にしておく。最後でもよろしいし、真ん中でもいいわけですけれども、そういう止め方をしておくことが、歌を落ち着ける方法だと思います。この歌ですと、上の句で止める。『尾花咲き白粉花の実も熟れぬ』として、『秋の漂いそこはかとなく』と補う形に置くということが、歌の形を整えることだと思います。
それから、3番。『収拾のつかぬよわいとなりにけりコスモスの花に恋の夢見る』『収拾のつかぬよわいとなりにけりコスモスの花に恋の夢見る』。どれぐらいの年になると収拾がつかなくなるか、分からないんですけれども、収拾がつかない、何となく、とりとめのないということでしょうかね。きちっとしなくなった。とりとめのないような年齢になってしまったと、まず言って、その一つのこととして、一つの例として、コスモスの花に恋の夢を見たりする。この夢は、必ずしも眠って見る夢ではなくて、うつつの夢かもしれませんけれども、コスモスの花を見ると、懐かしい人を思い出したりするというようなことでございましょう。これは、上の句の『収拾のつかぬよわいとなりにけり』と止めてありますね。それで、この歌は大丈夫だと。コスモスの花に恋の夢を見たりもすると、そこでも止まっておりますから、きちっとできた歌です。
こういう歌を読みますと、収拾のつかぬよわいにちょっと憧れますけれども。年を取っても、いつまでも浪漫の夢というようなものを捨てないでおくことが、さっき館長さんがおっしゃいましたような老化を防ぐことになるのかもしれませんですね。この間、広島県の軍港の町でございましたが、呉という所へ、短歌大会があってお話にまいりました。そこへ行って、広島県の方がたくさん集まりましたが、やはりお歳召した方、50以上の女性の方が多うございました。やっぱり年を取ったら駄目になると、皆さん思ってらっしゃる。それで、駄目になんかなりませんよというお話をしてきたんですけれども。
例えば、与謝野晶子とか、斎藤茂吉とか、北原白秋とか、そういう方たちの年取った後の歌を見ますと、決してよれよれになってなんかいないんですね。皆さん、最後まで老いの歌をきっかりと歌っていらっしゃる。で、北原白秋などは、目が見えなくなってしまうんですね。亡くなる2年半ぐらい前から、糖尿病で目が見えなくなっていくんですが、その目が見えない中で、きちっとした歌をやっぱり作っていらっしゃるんですね。それが『黒檜』という歌集にまとまっておりますけれども。白秋は目が見えなくなってもきっかりと歌を歌い続けましたし、与謝野晶子は63か4で亡くなりましたけれども、やはり夫の与謝野寛が亡くなった後の歌をきちっと、挽歌を歌って、最後まで乱れておりませんし。斎藤茂吉の老いの歌も、しっかりとしたものですね。だから、年取っても決して悲観することありません。よれよれにならないで、歌を作り続けましょうと申し上げてきましたけれども。ほんとうに、よれよれに老いない。で、きちっと歌を作って老いていきたいと、私なども思っております。『収拾のつかぬよわい』っていうのは、そんなことを思い出させました。
それから、4番。『少年期父母に別れし我身にも孫が生まれて務め終わりぬ』『少年期父母に別れし我身にも孫が生まれて務め終わりぬ』。我がの所へ、「が」を入れたほうがよろしいです。われと読まれてしまいますから。『少年期父母に別れし我が』と、「が」という送り仮名を入れて、読みやすくしてください。『孫が生まれて務め終わりぬ』。自分は少年の頃、父母と別れるという、そういう悲しい運命を背負って生い立ったけれども、自分には子どももきちっと育ち、そして孫も生まれて、自分の人生の務めは終わったような気がすると歌っていらっしゃいます。少年期に父母と別れたという、そういう運命はむごいものでございましょうが、それを乗り越えて、この作者がしっかりと生きて、子どもを育て、孫を得たと、そういうその人の年輪というようなものを感じさせる歌い方だと思います。『少年期父母に別れし我が身にも孫が生まれて務め終わりぬ』。人生っていうのは、孫が生まれると務め終わったという、昔から言われておりますが、やっぱり曽孫が生まれるぐらいまでは務めが終わらないと考えませんと、よれよれになりますので。孫が生まれたところで安心しませんように、お願いいたします。一応、昔からの言い伝えでは、孫の顔が見られれば人生、終わりだと。昔は人生50年でございましたからね、そうだったと思いますが、今は人生80年の時代ですので、務め終わった、ひとまず終わったって考えて、次の、よれよれにならない老いの歌を作りたいものだと思います。
5番。『すがれゆく山の斜面に蕎麦の花白々咲きて風に揺れいる』『すがれゆく山の斜面に蕎麦の花白々咲きて風に揺れいる』。斜面というの、昔の歌ですと、なだりというふうに詠んだりいたしました。傾斜面のことをなだり、平仮名でなだりと詠んだりいたしました。斜面っていう言葉が固いとお思いのときは、なだりっていうふうに詠めばよろしいでしょう。『すがれゆく山のなだりに蕎麦の花白々咲きて風に揺れいる』。ソバの花というのが、不作のときの食物として昔からよく作られましたが、2、3カ月で花が咲いて実がなって、ソバの粉ができる。そういう丈夫な、便利な穀物でございますね。もう周りがすがれていく、そういう荒涼とした秋の景色の中で、その山の斜面だけはソバの花が白々と咲いて、そして風に揺れている。これは写実の歌、叙景の歌として、しっかりとできていると思います。『すがれゆく山のなだりに蕎麦の花白々咲きて風に揺れいる』。目をつぶると、ソバの花が斜面に一面に咲いて、風に揺れている。そんな情景が目に映るように歌っていると思いますね。叙景の歌、景色を歌うときは、そういうふうに目をつぶったら見えるような、そういう歌にするのがいいと思いますね。
それから、6番。『手作りの軍手人形携えて問い来ぬ友と楽しく語る』『手作りの軍手人形携えて問い来ぬ友と楽しく語る』。ちょっとおかしいんじゃないと思うとこありませんか。問い来ぬの所ですね。問い来ぬ。訪ねて来たのがどっちかっていうことが分かりづらいの。お友達なのか作者なのか。どちらと取れますか。お友達が、じゃないかな。お友達が軍手人形を持って訪ねて来たっていうんですね。だから、問い来し、じゃないかな。『問い来し友と』。問うて来た、訪ねて来た。『手作りの軍手人形携えて問い来し友と楽しく』。問いきし、問いこし、どちらもカ行変格活用の未然形ですから、来ない、来ますと両方、こ、き、と未然形の活用をしますから、どちらでも読めるんですが、問いこし、『問いきし友と楽しく語る』。だろうと思うんですが、もし、軍手人形を携えて訪ねたのが作者だったらどうなりますか。
F- (####@00:12:10)。
大西 問いゆく、でもいいですね。『問いゆきて友と楽しく語る』。それから、『携えて友を訪ねて楽しく語る』とか、分かりやすくしなければなりませんが。これは、多分、お友達が訪ねて来たのではないかと思う。そうとすれば、問いこし、『問いきし友と楽しく語る』。そういうふうにいたしますと、この頃は人形劇というのが大変はやっておりまして、軍手で作る、割合に易しくできる軍手を使った、それも軍手も今は白だけじゃなくて黄色とか赤とかいろんな軍手が人形劇用に売ってるんですね。だからそういうものを使って作ったお人形なのでしょう。それを携えて、持ってということですね、持って訪ねて来たお友達と楽しくひと時を話し合いましたという歌です。そこの、問い来ぬの所だけちょっとお直ししますと、この歌はしっかりと歌えていると思います。『手作りの軍手人形携えて問い来し友と楽しく語る』。もし作者が行ったのなら、問いゆきて。問いゆきて楽しく語る、そういうふうになると思います。
それから、7番。『明日知れぬ友見舞いこし』、そこ、来るという字を補いたいと思ったんですが。『明日知れぬ友見舞い来し老いし夫(つま)の寝返り打つをわれは聞きいつ』『明日知れぬ友見舞い来し老いし夫の寝返り打つをわれは聞きいつ』。ご主人が明日をも知れないような重病人であるお友達にお見舞いに行った。そうして帰ってきて、何かと考え事をするのでしょうか。なかなかご主人が寝付かれないでいるらしい。で、何遍も寝返りを打つ。それを私は聞きながら知っていたという歌でございまして。そういう思い、お友達を見舞ってきたということによって作者のご主人が寝付かれないほどいろいろ考え事をするのでしょう。自分の身を気遣ったりもなさるのでしょうか。そんなことで、眠られないらしいということが、寝返り打つをということで、現れているんだと思いました。で・・・。
G- 私が歌(####@00:14:50)。
大西 はい。なくても。老い夫(づま)の、としますか。
(音質不良にて起こし不可)
大西 はい、それでもよろしいと思います。見舞い来しと「し」があるから。老いし夫(つま)の「し」と重なる耳障りを避けるために、『老い夫(づま)の』、「し」を取ってしまって、老いた夫(つま)、『老い夫の』としてもいいんじゃないかとおっしゃいました。それでよろしいと思います。老い夫(づま)、老夫と書いて老い夫と読ませることができますからね。『明日知れぬ病友見舞い』、病友も「とも」と読ませてもよろしいでしょう。『病友(とも)見舞い来し老い夫(づま)の寝返り打つをわれは聞きいつ』。打つを、聞きいつ。「つ」もやっぱりちょっと重なる感じがいたしますけれども。『われは聞きいつ』、「つ」っていうのは過去なんですが、聞いていたっていう歌い方ですけれども、聞き入るでも構わないですよね、現在にしてもね。『寝返り打つをわれは聞き入る』、われは聞きおり。どちらでもよろしいかと思いますけれども。最後を現在形にしてもいいと思います。
H- 質問いいですか。
大西 はい、どうぞ。
H- これは、先ほど(####@00:16:22)言ったのは、やっぱり(####@00:16:26)。
大西 『友見舞い来し老い夫(づま)』だから、ご主人でしょう。
H- (****ゴシュジン@00:16:33)。
大西 はい。『明日知れぬ友見舞い来し老い夫(づま)』が、「が」ですからね。「の」っていうのは、「が」と同じ格助詞ですから、年取ったご主人が寝返りをいつまでも打っているのを聞いているということですから。病の篤いお友達と会ってきた興奮というのかな、その余韻が覚めないんですね。それで、ご主人が眠られないでいるということを案じているわけですね、今度は妻のほうからね。妻のほうから案じていると。眠られないらしいなと同情している。何を考えているのかしらなんて考えながら、奥さんの立場で歌っているわけですね。
それから、8番。『公園の池登りきし』、登りこし、どちらでも詠めますよ、『登り来し鴨三羽芝生にうららまどろみており』『公園の池登り来し鴨三羽芝生にうららまどろみており』。小春日和という感じがいたしますが、カモが3羽、公園の池に浮かんでいたのを、丘の上に上がって来て芝生の上にいる。見ていると、うらうらと、のどかにまどろむようなふうをしているとい歌ですね。そういう情景を見たことありませんけれども、公園の池に浮かんでいたカモが芝生の上に登って来て、うつらうつらしていた。いかにものどかな感じが歌われていると思います。
そこでちょっと気にするとすれば、うららだと思うんですけれども。うららかな日差しの中でのどかにという意味に使われているかもしれませんね。まどろむというときには、うつらうつらなどという言葉を使いますでしょう。で、ここの場合はちょっとうつらうつらでは字余りになりますから、よろしいんですけれども、うらら、うららかに、のどかにというような意味に使われていると思います。
それから、9番に行きまして。『半欠けのまぼろしのごとき白い月秋風の野をわれと歩めり』『半欠けのまぼろしのごとき白い月秋風の野をわれと歩めり』。どうぞ。なんでしょう。
I- (####@00:19:19)。
大西 大丈夫ですか。
この歌は、半ば欠けた、半分欠けたまぼろしのような白いお月さんが、自分が歩くにつれて秋風の野を一緒に動いていくような感じだと歌っているんですが、私は最初読んだときに昼の月かと思ったんですが、これは昼の月でいいでしょうか。『半欠けのまぼろしのごとき白い月秋風の野をわれと歩めり』。昼の月でよろしいでしょうか。どう? お昼の月でいいんですか。はい。昼間の月だなって、『白い月』の所で、大体、掛かっているとき、真っ白く見える、薄紙を剥がしたように白く見えるのは昼の月かなと思ったんですが。
J- (####@00:20:29)。
大西 昼の月、まぼろしのような白い月が。
J- (####@00:20:36)。
大西 うっすらと掛かっている。作者が歩めば、お月さんも歩く。そういうような感じで、歌われていると思います。
で、好き嫌いの問題になりますけれども、半欠けのっていうような言葉、ちょっと口語的で熟さないなと思うようなことがありましたら、半ば欠けてというふうな字余りにしても、『半ば欠けしまぼろしのごとき白の月』。半ば欠けしというふうな歌い方をしてもいいと思う。半欠けってなんか半欠けのリンゴみたいな感じで、ちょっと口語的だと思うときはね、半ば欠けし。そういうふうな歌い方でよろしいと思います。
10番。『こおろぎの一夜限りの悲しくも薬散に明け亡きがら一つ』『こおろぎの一夜限りの悲しくも薬散に明け亡きがら一つ』。薬散っていう言葉が分かりづらかったんですが、だんだん分かってきて、多分、薬剤散布のことなんじゃないかなと思ったんですが。農薬、DDTかなんか知りませんけれども、農薬か除虫剤かを撒いたのでしょうかね。コオロギが一晩だけで死んでしまって、亡きがらを夜明けには残したという歌ですね。薬散っていうような言葉、よほど考えないと分からない言葉ですので、できれば分かりやすい言葉で歌うのがようございますね。
よく歌を見てますと、ヘリという言葉が出てくる。ヘリコプターのことをヘリ、ヘリって歌われて、なかなか最初分からなかったんですけども、この頃はヘリが飛ぶとか言って、言い習わすようになりましたので、ヘリと出てくるとヘリコプターだと思うようになりましたけれども、できるだけ言葉は正しく使うということが大事だと思います。ヘリコプターと歌う余裕があったらヘリコプターと歌っておく。余裕がないときだけ、ヘリとなさってくださいませ。お願いいたします。
はい。
K- (####@00:23:05)。
大西 そうでございますか。2時になりましたね。分かりました。じゃあ10番までの所でお休みだそうでございます。
『薬剤散布に』とすると、でもちょっと間が伸びますね。なんかうまい方法がないでしょうか。
L- (####@00:23:27)。
大西 『薬剤散布に亡きがら残す』とかなんかしましょうか。
M- (####@00:23:46)。
大西 うん、そんなことでもする他ないかな。もし薬剤散布ときちっと言おうとするとね。『こおろぎの一夜限りの悲しくも薬剤散布に亡きがら残す』。明けた、というふうなことありませんが、一夜限りとあるから、夜明けだと類推することはできるかもしれませんね。
じゃあ、10番までの所でちょっと休憩だそうでございます。10分ほど?
N- 今から。
大西 じゃあ、10分ほど。
(休憩)
(雑談)
大西 はい。
O- (####@00:25:05)。
大西 はい。そうですね、字足らずというのは、損ですね。せっかく31あるわけだから。それを全部使ったほうが、内容が深いっていうかな。たくさん歌えますでしょ。
O- でも(####@00:25:24)。
大西 字余りもよろしいということね。
O- (####@00:25:31)。
大西 そうですか。出していらっしゃいますか。
O- (####@00:25:40)。
大西 そうですか。
O- (####@00:25:50)。
大西 そうでございますか。はい、分かりました。
長いこと作ってらっしゃる方と初めての方と、いろいろいらっしゃるでしょ。だから、長いこと作ってらっしゃる方には退屈だ、かもしれないなと思うような気がしたので、さっき女歌の話を。いろんな方が多分いらして、混じってらっしゃるでしょうからね。
O- (####@00:26:26)。
大西 はい、分かりました。
O- (####@00:26:28)。
大西 季題はありませんね。俳句と違ってね。
O- でも、規則は(####@00:26:41)。
大西 ええ、五七五七七のが入ってればね。
O- だったら(####@00:26:46)。
大西 そうですね。どちらかといえばね。
O- (####@00:26:52)。
大西 はい?
O- (####@00:27:00)。
大西 はい。
O- (####@00:27:36)。
大西 長くやってらっしゃる方と、始めたばかりの方と、いらっしゃるようですので、大きな流れをここでちょっとお話ししときましょうか。
今、御歌所っていうのはもう今なくなっていますけれども、明治天皇御製のような歌。それから、古今集のような歌。昔風の歌を、旧派と呼んでおりますけれども、それは、古今集、新古今集の時代を経て、江戸時代、香川景樹という人がいまして、その人が江戸時代の歌の大物なんですけれども、その人が伝えてきた歌を旧派っていうふうに言っております。で、旧派の歌は大体、明治の前期、20年代ぐらいまでで、すたれていきまして、その後、新派の和歌が起こるわけですけれども、その新派の和歌の中で、写実派と浪漫派と、大きく分ければ、あると思います。
写実派のほうが正岡子規が起こした根岸短歌会の流れでございまして、その後、斎藤茂吉とか、土屋文明とか、今『アララギ』という大きな結社があって、やっているのが写実派の歌だと思います。それに対して、与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻が起こしたのが『明星』で、新詩社という結社を作りまして、その流れが北原白秋とか、今ですと木俣修とか、宮柊二とかいうような人が、その与謝野晶子の系統を引くわけでございますね。私も木俣修の弟子ですから、木俣修は北原白秋の弟子でございましたし、北原白秋は与謝野晶子の弟子でございましたから、与謝野晶子系の歌を私は作っていることになるのでございます。
ただ、今は、あなたは写実派、あなたは浪漫派というようなきっかりした分け目がだんだんなくなってきておりまして、ほとんど、誰が詠んでもいい歌はいい歌。写実派でないから駄目だとか、浪漫派だからいいとかっていうようなことは、今はもう言われなくなっていまして、ジャーナリズムが発達して、情報が通うようになりましたから。どんな歌でもいい歌はいい歌として言われておりますけれども。厳密に言っていくと、写実派と浪漫派と分かれるなと実感することがあります。
その一つがさっきの、『ひたぶるにわが魂の戻り来て体に入りし時目覚めたり』という歌は、やはり浪漫派の歌だと思うんですね。その歌を長沢一作という、佐藤佐太郎さんのお弟子ですけれども、その写実派の長沢さんが批評をすると、この人は大病をして死ぬか生きるかだったに違いないというふうな、現実的な解釈になるわけですね。だから、厳密に言っていくと分かれるんですけれども、ほとんど、今はその区別がなくなっている。そうした中で、もう一つ、前衛派というのが戦後、おもに起きた派ですけれども、与野に住んでいらっしゃる加藤克巳さんというような方は、どちらかというと写実でも浪漫でもない前衛派。アブストラクトっていいますか、形が歌の形をしていなかったり、歌の形をしているけれども、中身が絵のようであったりするようなのが、その他にあるっていうのが事実だろうと思い・・・。