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「短歌講座」
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昭和55年11月19日
④B
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大西 ・・・『行きし異国へ送らん梅を干しいる』。干しおりとか、それだけでもいいかもしれません。そのほうが、形は整いますね。『三年と子は言い置きて立ち行きし異国へ送らん梅を干しいる』。それのほうがよろしいかもしれません。今は外国へ行くことなど、与謝野晶子の時代は三千里などと言ってね、シベリア鉄道を行きましたけれども。今は隣の県へ行くように、まるで東京辺りにでも行くように、外国へ行ってしまいますね。その人の息子さんは「3年だ」と言って、出掛けていったんですね。
それから、38番。『ちごゆりのかそけき命保つもの手触れてもみん足音盗みて』。『手触れてもみん』、「て」「た」どちらも読むと思いますが、『ちごゆりのかそけき命保つもの手触れてもみん足音盗みて』。前の歌で、触れなば散らんというふうな風情で、はかなそうに咲いているチゴユリなんでしょ。チゴユリが、かそかな命を保っているものだな。そっと行って、足音を盗むように近づいていって、手を触れてみましょうかという歌で、チゴユリの咲き方のはかない美しさ、そんなものに惹かれて歌っている歌だと思います。『ちごゆりのかそけき命保つもの手触れてもみん足音盗みて』。大きな足音を立てただけでも、なんか散りそうな感じなのでしょうか。そういう危うい、かすかな命を保っているように見える花。それにちょっと魅力を感じ、触ってみたい気がする。そんな思いを歌っていますね。
それから、39はまだですね。『入選のわが句を聞けば胸躍る少女の如く頬の燃えくる』『入選のわが句を聞けば胸躍る少女の如く頬の燃えくる』。この方は、和歌と俳句、両方作っていらっしゃる、ね。入選したという、自分の俳句の話を聞いて、胸が躍って、少女のように頬が燃えてきましたと歌っています。そこのところで、『胸躍る』『頬の燃えくる』と、「る」で止まってますから、上のほう、『胸躍り』でいいじゃないでしょうかね。『入選のわが句を聞けば胸躍り少女の如く頬の燃えくる』。自分の俳句が入選したという、その喜びを素直に歌っていらっしゃると思います。
ひとわたりまいりましたが、何か質問がございましたらば、おっしゃってください。はい、どうぞ。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですね、歌の場合は、曲がり曲がりてというようなときは、ちゃんと書くのが普通ですね。このくの字じゃなくて、曲がり曲がりて。そうですね、そこ言いませんでした。曲がり曲がりてと、きっちり書いた方がいいでしょう。
そうですから、しみじみと涙流るるのようなとき、しみじみなんかも、しみじみとちゃんと書くほうがよろしゅうございますね。
それから、新仮名遣いと旧仮名遣いと、いろいろ使っていらっしゃる方、いますけれども。今、新聞の歌壇などでは、新仮名遣いが大変、多くなっていますが、結社によっては、旧仮名遣いをきちっと守らせている結社もございますから、そこの中で、そこの掟に従うことが大切ですし。アララギというところは、写実派の、正岡子規の系統をくむ雑誌ですけれども、今の短歌の世界で一番、大きい雑誌、『アララギ』というの発行していますが、アララギは、旧仮名遣いで、漢字も旧の漢字でございますね。旧漢字、旧仮名遣いを厳守して、そういう漢字を今、活字を持っている印刷所はございませんので、アララギ発行所が特別の印刷所を持って、昔の漢字を使って印刷していますね。
畳なんていう字は、難しい字。田を三つ書いて。今は一つしか書きませんでしょう、畳なんて。田を三つ書いて、こうする。そういう古い字を使っていましたね。そういう格式の高いところもございますし、普通の3分の2ぐらいのところはもう、新仮名遣いを使っているかもしれません。どちらにしても、交ぜないで使うことですね。どっちかに決めて交ぜないで使うこと。交ぜると何となくこう、だらしがない感じしますから。どっちかに決めたら、それを正しく使うことですね。新仮名遣いのほうは、先の「ちょう」という、分かりますように、大体が発音どおりに書くことになってますね。
ただ、昔、コオロギっていうようなとき、コホロギと書きました。それから、大宮っていうのは、おほみやと書きましたね、昔の漢字で。昔、「ほ」と書いたのは「お」なんです、「う」じゃなくて。コウロギじゃなくて、コオロギ。それから大宮は、おおみや。というふうに、昔、「ほ」って書いたのは「お」になりますね。頬もね。昔は、ほおだったんです、発音が。でも今は、ほほと読む場合もございますね。だから、ほほと読ませたいときは、ほほと書いてよろしゅうございましょう。ほほ笑みって、昔はほおえみって言ったんですけども、今、辞書引きますと、ほほえみと、ほおえみと、両方読んでいいようんなってますからね。ほほ笑むという言葉も生きているわけですね。
それから、何でもそういうふうに。はい、どうぞ。
(音質不良にて起こし不可)
大西 31番の?
(音質不良にて起こし不可)
大西 いね、いねたり。いねんが未然形で。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですね。いねず、いねたりと活用しますからね。正しく使わないと、いけないですね。たった31音の詩ですからね。ちょっとした間違いでも、大きな傷になるわけですね。長い文章ですと、1カ所ぐらい間違っても、そのまま通れますけども。たった31音しかないから、ちょっとした間違いも大きな傷になってしまうから。そういうこと、気を付けてね、使いませんと。
それから。どうぞ。
(音質不良にて起こし不可)
大西 はい、旧仮名遣いのとき。新仮名遣いを使うときはね。
(音質不良にて起こし不可)
大西 それは、歴史的な仮名遣い。旧仮名遣いを使うときは、この「い」ですね。それから新仮名遣い。
(音質不良にて起こし不可)
大西 いえ、自由ではないですよ。何ていうのかな。新仮名と旧仮名。自由というわけにはいかないですね。
(無音)
A- 3時です。体操いたしましょう。ご来場のお客さまも、お手隙の方はご一緒にどうぞ。
大西 ご自分が使う仮名遣いを、新仮名遣いでいくか、旧仮名遣いでいくかってこと、きちっと決めて、決めた以上は、それでやらなきゃいけないですね。交ぜないで。新仮名遣いのときは、発音どおりだから、いるっていうときも、これでいいわけです。旧仮名だったら、これになる。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうであれば、新仮名遣いでいいんじゃないですか。面倒な方は、新仮名遣いでいらっしゃれば。大体が、新仮名遣いだったら発音どおりですからね。と言うっていうときは、いうって書けるし。昔なら、いふでしょう。それからチョウチョウは、ちようちようって今、書けるけども、昔はてふてふって書いた。
B- そういうふうに習ってるんですけど。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そういう方は、新仮名遣いで思い切ってなされば。新仮名遣いで、発音どおり書くのが原則だということでなされば。そんなことで苦労してると歌のほうの苦労がなくなっちゃうね。字を書くことが、まずおっくうでは困りますからね。
B- わずらわしくてね。今、別に、勉強しなくても、もういいかなと思っちゃう。
大西 だったらば、新仮名遣いで、発音どおり書けば。
B- 発音どおりにいくのが新仮名遣いで。
大西 そうです。新仮名遣いは発音どおりが原則ですね。特別の場合のぞいて。先のコオロギとか、大宮とかいう場合をのぞいて、大体、発音どおり書くのが新仮名遣いですね。今の子どもたちみんな、新仮名遣いですね。
よろしゅうございますか。あと何か。何でもそのように、歌を作ろうと思う方は。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですね。どちらでもいいですよ。いねがてのでもいいです。いねがたきでもいいし。眠られぬでもいいし。どっちでもいい。いねがてぬなんて言われても、若い人なんか分かりませんから。若い人にも分かってもらいたい歌作るときは、眠られぬとしたほうが、一番分かりやすいですね。眠られぬ夜行車にいてっていうのが、一番、分かりやすい言葉ですね。それから、もう少し詩的にやろうとかいうときが、いねがてのとかいうことになるわけでしてね。
あと、ございません? ともかく、五七五七七の31文字。みそひともじと、昔、申しましたけれども、よく戦争中に学徒出陣などで行った、青年たちが亡くなるようなときに、慌てて書いたのが、辞世の歌だったって言われますでしょ。日本人の呼吸にかなった歌の形になってんですね、五七五七七という形は。一つの思想をきちっと表すのに適当な長さなわけですね。だから、学徒で亡くなる方たちは、お母さんって書くか、それとも歌の形で何かさよならを書くか、どっちかだったって言われておりますが。いまわの際になると、歌の形っていうのが自然に口をついて出るような、そういう日本人の呼吸に合ったのが歌の形でございますよね。それが少し難しいというか、インテリしかできないというふうな風潮があったときに、五七五の上の句だけを取って、庶民的な歌を作ろうっていうのが俳句になって、元禄時代から盛んになってきたわけでしょ。
だから、歌から分かれたのが俳句でございますから、やっぱり俳句のほうがいくらか庶民的でございますし、歌のほうはいくらか、堂上貴族の道具でしたから、気位が高うございます、俳句に比べると。気位の高い文学だったと、私、思いますけれども。そして、ちょっと愚痴っぽい人に、短歌のほうが向くわけでして。男っぽい方は、俳句で言い切ってしまえば、ね。五七五の俳句だけでは、どうも余っちゃうっていう人は、七七と付けて歌を作ればよろしいし、そういうふうに思っております。
だから、自分にかなった歌の形を選んで、その日その日の思いを書いておくということが、アルバムでできない、生き方の足跡になるんじゃないでしょうか。アルバムにでも、その日の俳句なり歌なりができれば、アルバムの脇に書いておけば、アルバムよりも写真よりももっと大きな心の歴史が刻まれることになるでしょう。ですから、せっかく日本の歌として俳句や歌がございますから、作らないのは損なのかもしれません。誰にでも作れるものですから。作ってお残しになるのも、子孫のためにもよろしいんじゃないでしょうか。お母さんは昔、歌を作ったとか、おばあちゃま歌作ったとかっていうの、やっぱり子どもにとって、大きな慰めになると思いますね。だから、あまり無理あそばしませんで、お作りくださいますよう。
よろしゅうございます? はい。どうぞ。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですね。究極のところは、山のてっぺんに行けば同じだと思うんですけれども。やっぱり、俳句の人口が短歌の約5倍って言われていますから。俳句のほうが入りやすいんですね。五七五で終わるでしょ。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですね。俳句のほうが、入りやすうございますね。ただ、俳句には季題っていうものがあって。季語っていうの、必ず入れて歌うんですね。菊っていえば、必ずもう秋ということなるわけでしょ。そういうふうな、季題っていうものがありますけれども、俳句のほうが入りやすうございます。ただ、奥はもっと深いかもしれない。本当に物の一部分だけをしか言えないでしょう、五七五って。そこで象徴して全体を表さなくちゃなんないから。最後の技巧のところいけば、歌よりも難しいんじゃないでしょうか。歌だと、七七という後の説明が入りますから、いくらか具体的に言えるけども。ちょっと言って全部を言わなくちゃならないから。ただ、入りやすいから。俳句人口のほうが5倍もあるということですね。
あと? はい。
(音質不良にて起こし不可)
大西 何人もの人と結婚したから、どの人かな、分かりませんけども。
(音質不良にて起こし不可)
大西 ああ、そういうの詳しく。
(音質不良にて起こし不可)
大西 よく知りません。その相手の方が、どんな方だったか。ともかく、何回か結婚して。
C- そうかもしれません。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。この方のご主人が。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですか。調べてみましょう、それじゃね。そういうとき、図書館に聞くと、図書館の人調べてくれるから。それが、図書館のレファレンスっていう機能なんですけども。分かんないことあったら、図書館の人に聞くとね、図書館が調べてくれる。
あと、何か。はい。
(音質不良にて起こし不可)
大西 散歩って止め方がおかしいですから、やっぱり、散歩すを入れたほうがいいと。それで、もし私が作るんだったらば、散歩すとはしないと思うんです。『懸命に生きんと今朝も杖つき試歩す』とかやると思う。試歩という言葉がありますでしょ。試しに、試験の試、試す。試歩という言葉があって。病気の治った人が試しに歩くってこと、試歩っていうんですね。『杖つき試歩す』とかすれば、「す」を入れても字余りにならないんじゃないかなと思うんです。散歩っていうと、何となく散歩しちゃうですよ。
(音質不良にて起こし不可)
大西 相手ですよ。いかばかりとなると、悲しからんになるんです。だから、慰めんとであったらば、どのように、に上がなる。どのように慰めんと思いて。上につながるからね。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですね。でも、どのようにでも構いません。『どのように慰めんと思い夢にまで見ゆ』とね。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そんなことない。
(音質不良にて起こし不可)
大西 私、図書館に勤めてますでしょう。きょうも途中から抜け出して来てるわけでして。そういうことをやってられないんですね。ですから、今のところはちょっと、そういう機会ないんでございますけれども。大丈夫、そんな心細いことおっしゃらないで。来年もまた、どうぞお願いいたします。
(音質不良にて起こし不可)
大西 そうですか。何か。困りますか。そうでございますか。それはそれはありがとうございます。私もじゃあ、亡くならないようにして。また、こちらのご予算があって、来年も来いとおっしゃれば、まいりましょう。だから、皆さまも元気でいらしてくださいませ。どうも、失礼いたしました。
D- どうもありがとうございました。来年もまた、短期講座で大西先生お待ちして。
(音質不良にて起こし不可)
大西 私でよろしいですか。
(了)