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「短歌講座」
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昭和56年6月10日
②B
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大西 ・・・続けているようなものですからね。これはこれで、二つ切れた感じがしないんじゃないかな。リフレインって感じ、続けた感じ。詠むことによってね。リフレインとして、繰り返しとして、こう続けるような感じに歌われていて。そして、もし意味の上でつなげるとすればバラの垣の続いている路地があって、そして幼子は花びらを追って走っていたというふうな続け方になるんですね。口語に直せば。ですから、ちっとも構わない。
それから、24番。『早緑の茂れる下に揚羽舞う』、舞う揚羽、どちらでもいいですが、『網持ち追いし子は離れ住む』。こういうときも2カ所切れているような感じがされますか。あんまり気にしないでよろしいので。私の・・・。
A- 情景が全然違うからそういうふうに思われるのではないでしょうか。
大西 ああ、そうかな。
A- 分からないですけど。私が・・・。
大西 あまり感じないけれども。
(雑談)
大西 24番の場合ですと、アゲハチョウが舞っている。そのアゲハチョウを見ていると思い出す。それは子どものことだ、と意識がつながるでしょう。だから、切れて別のことを歌っていることにはならないんじゃないかな。意識がつながっているから。
表現の上では、1カ所は必ず切れるっていうことが大事だと。1カ所はどこかで丸を付けて切れるところがないと。そうでないと、口語に直して散文にしますってときにうまく訳ができないんです。1カ所きちっと丸を付ける場所、止まる場所がありますと、散文にしたときに順序を変えてこうやれば、きちっと一つの文章、センテンスとして丸ができる。そういう文章になるように歌うという。1カ所は必ず切れますけれども、2カ所も3カ所も切れる歌だってあるでしょう。よろしゅうございますか。古今集なんかだと、小倉山、みたいに1カ所切れて、何々何々何々や、何々何々何々ってこう、3カ所ぐらい切れるときもある。それも構わないんですね、意識がつながれば。
B- 6番・・・。
大西 6番。
B- 2回目はひょっとしたら来られないかも・・・。
大西 ああ、そうなんですか、はい。6番の2首目のほう。『意に沿えず遠き野にいで蘖(ひこばえ)の萌えいるさまに決意固むる』『意に沿えず遠き野にいで蘖の萌えいるさまに決意固むる』という歌ですね。ひこばえって難しい字ですが、お分かりですか。若い人は分かんないかもしれないから。大きな木を切った後、その根元から新しい芽が吹き出してきて、ひこっていうのはひこ孫のひこ、が生えてくるという意味なんでしょうね、ひこばえって。ひこばえっていうのはね、割に使いますよ。
-- そうですか。私、今これだけ勉強させていただいたわ。
大西 『意に沿えず遠き野にいで』、何か気持ちが沿わなくて、鬱々としているときなんじゃないですか。遠い野原に出てみると、切られた木がまた芽を吹き出して、ひこばえが萌えている様子を見た。それを見て、切られた木でさえもこんなふうにまた萌えてくるのだと思って、励まされたという意味じゃないでしょうか。『意に沿えず遠き野にいでひこばえの萌えいるさまに決意固むる』。切られた木でも根元からまた吹き出てくるので、だから人間挫折しても、そこでくじけてしまわないで、また再びしっかりと歩き出そうと決意をしたと。励まされて、眺めていたという歌ですね。
-- 若い方の歌ね。
大西 しっかりとしてていいですよね。それで、ひこばえに励まされてもう大丈夫。それを繰り返すのよね。一遍はまた励まされて大丈夫と思うけれども、またつまずいたり。そうしながら人間って生きていくのですよね。
この次は何かプリントしてきてまいりましょうね。
-- もう一ついいですか。この歌、よそのあれで見たんですけど、訳が分からないんですよね。この歌の中でなくてもよろしゅうございますか。『花咲くさまを見ると思えや』っていう下の句がつながっているんですけども、『見ると思えや』っていうのはどういう訳したらよろしいんでしょう。『滅びゆく朱鷺(とき)にも似たるかたくりの花咲くさまを見ると思えや』。
大西 どっかで見た歌だな。どこかで出てましたね。『見ると思えや』。反語じゃないかな。
-- そうすると、見ようとっていうんですか。見たと思うけど、見ようと・・・。
大西 『見ると思えや』。見ることがあると思っただろうか、思いはしなかったっていうような、反語で。
-- 見たんですか、この方。それでこういうのをお作りになったんです・・・。
大西 見ることがあると思ったかしら、思ってもみなかったものをきょう見た。反語に使ってる。
-- 見ると思ったことはなかったけれども・・・。
大西 見るんだろうとは思えなかったけれども、見ることができてうれしい。よろしゅうございますか。多分反語で使っていらっしゃる。
(雑談)
大西 見ん? 助動詞です。未来の助動詞。
-- 先生、もう一つよろしいですか。8番なんですけれども。『カットグラスの輝きに似て見せばやの』ですね。このミセバヤって花の名前ですか。
大西 と思いましたけどね。
-- 私ね、『カットグラスの輝きに似て』だから、そのように見せようとした、そんなふうに私、考えちゃったんですけども。ミセバヤって花が本当にあるんでしょうか。
大西 分かんない。誰か知っていません? ミセバヤの花。
-- 私は知っています。
大西 花の名でしょう?
-- そうですね。すっと伸びた・・・。
(雑談)
大西 今、分かりやすくするためだと思うんですけれども、植物、花の名とか鳥の名とかを漢字に書かないで片仮名でミセバヤというようにして植物の名前があるよっていうことを表す方式を馬場あき子さんなんか採っていますね。植物や鳥の名前、みんな片仮名にしちゃうと。あの方は新仮名遣いで歌っているから、それがよく効くんです。旧仮名遣いの場合は、植物の名前って大体新仮名になってしまってますでしょう。ショウブっていうと『シヨウブ』になるし、チョウチョウだと『チヨウチヨウ』に。それで、文語で歌う場合には熟さないんですけれども、新仮名遣いを使ってらっしゃる方は割に馴染むんですね。それがかえって新鮮な感じがしたりするんです。『チヨウチヨウが舞う』っていうふうにして、植物、動物であるっていうことをはっきりと印象付けようとする歌い方をする人もいるぐらいですから。
この『見せばや』も、ミセバヤって植物であるならば片仮名でミセバヤっていうふうに書けば分かりやすかったかもしれませんね。それから今おっしゃった意味、よく分かるんですよ。『カットグラスの輝きに似て』見せようとして、その花の芯の露が光っているとも解釈できるという意味ですね。それもよく分かります。そのときは『見せばやと』とするのがいいかな。『輝きに似て見せばやと』。そうすればなるほどっていうこともありますけれども。『見せばやの』だから、花の名前と張り合っていいんじゃないかな。
ミセバヤっていうのは見せたいということですものね。花の名前もそれぞれ、ワレモコウなんてのは、私もまた紅ですとかいう字が書いてあって。花のように見えない、すとんとした花ですけれども私だって紅ですよっていうふうにワレモコウと名前が付いていて。ミセバヤっていうのも割に目立たない花なのかな。よく分かりませんですね。植物図鑑を引かなければ駄目ですね。
-- 知らないで見てるかもしれないね。
大西 あとは、ようございますか。
-- お名前ちょっと書いていただけますか。
大西 ん?
-- 先生のお歌のご本とかあれば。
大西 本の話ですか?
-- 先生のね、お歌の本を。聞きたいんですけど、どういう本を発行していらっしゃるか。
大西 歌集ですか?
-- ええ。
大西 ここにないかな。
男性 ございます。
大西 図書館にあるから。
男性 あとで、後ほどお受けいたしますので。
時間を過ぎておりますので、第1回の短歌講座、(####@00:12:22)。ありがとうございました。第2回は6月18日木曜日です。時間は同じく2時から4時まで。どうぞおいでください。
(了)